更年期と呼ばれる年齢に差し掛かったころから、体の面でも気持ちの面でも老いを実感している。もし100歳まで生きるとしたら、これまで生きてきたのと同じだけの年月を「老いた状態」で過ごすのかと思うとため息が出る。セミみたいに何年も地中で過ごして、外に出てきたと思ったら交尾をしてすぐに死んでしまう一生は儚いけれど、少なくとも彼らには老後の心配はない。考えようによっては、ピンピンコロリの理想的な死に方かもしれない。
セミに限らず、ヒト以外の生物には基本、「老後」というものがないそうだ。では、なぜヒトだけが老いるのか。そんな素朴な疑問に答えてくれるのが、生物学者の小林武彦さんの新著だ。
前作の『生物はなぜ死ぬのか』(講談社)で小林さんは、生物は変化と選択を繰り返す「進化のプログラム」によって作られたと説明している。進化のために、わたしたちは最初から死ぬようにプログラムされて生まれてきた。死は「進化の原動力」であり、「生命の連続性を支える源」である、というのだ。
それなら「老い」なんて何のメリットもない段階を踏むことなく、さっさと死んでしまうほうがヒトの進化にとっても都合がよいのでは? という疑問が浮かぶが、小林さんの見方によれば、「老化した状態」という性質こそが、ヒトが次世代へと命をつなぐために重要な「選択」だったのだという。
生物学的な定義では、「老後」とは生殖可能年齢を過ぎた後、つまりヒトのメスであれば閉経後、おおよそ50歳以降ということになる(オスはどうなのよ?という話は本書で確認を)。80歳まで生きるとすれば人生の40%は「老後」にあたるのだ。ヒトに近いゴリラやチンパンジーもヒトと大体同じ時期に閉経を迎えるが、子どもを産めなくなるとすぐに死んでしまうので、彼らには老後という期間はない。
本書で小林さんは、ヒトが老化を選択した理由をさまざまな例を用いて詳細に説明しているが、ここでは主な理由を2つ紹介する。ものすごくざっくりまとめるとこういうことらしい。
1つは有名な「おばあちゃん仮説」で、他の生物と比べてものすごく手間のかかるヒトの子育てには、おばあちゃんのサポートが必要だったから、というもの。子育て経験豊富なおばあちゃんが母親の負担を減らすことで、複数の子どもを産む余裕が生まれる。結果的に、元気で長生きするおばあちゃんがいる家族が子だくさんになった。このことから「長寿遺伝子を持ったヒトがより多くの子孫を増やした結果、集団の中でその遺伝子を持つヒトが多数になっていった」ことがわかる。
もう1つは「シニア」の公共的な役割だ。一般にシニアというとお年寄りのイメージだが、本書では年齢に関わらず、「集団の中で相対的に経験・知識、あるいは技術に長じた、物事を広く深くバランス良く見られる人」を指す。ヒトが集団として結束力を高め、生産性が向上して生活が安定してくると、教育が重要になってくる。また、仲間割れを防ぐための調整役も必要だ。そこで、シニアがいる集団が有利になってくる。年齢に関係がないとはいえ、実際にその役割を担うのは年を重ね経験を積んだ年長者が多かったことから、元気なシニアがいる強い集団が選択され、ヒトは生殖可能年齢を過ぎても生き続けるように進化したと考えられる。
社会性を持つ特異な生物として、ヒトが「老い」を選択することで進化を遂げてきた理由はわかったが、実はここからが本書の肝である。小林さんは、先述したような本物の「シニア」が、急激な少子化に向かう現代の日本においても大切な役割を担っていると説いている。シニアの存在価値とは何か、何歳からが本当の「高齢者」なのか、老年期を幸せに生きるにはどうすればよいのかといった命題に、研究結果や他の生物の事例をもとにひとつひとつ回答を導き出していく。「老いの意味」を知ることで、老いてなお生きる意味が自ずと見えてくる。
ヒトは今も変化と選択を繰り返し、太古の昔から生き延びるために有利とされてきた進化のプログラムを、社会の変化に応じて書き換えようとしている。その先に何が待っているのかは、これから老後を迎えるわたしたちの意識の持ち方次第で変わっていくだろう。本書は、「自分たちさえ生をまっとうできれば、後の世代のことなんて知ったことか」という自分勝手な「なんちゃってシニア」への、生物学者からの提言書である。
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