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悪口=「人を傷つける言葉」「悪意のある言葉」では"ない"理由

Hariki

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悪口ってなんだろう

 いじめやネット上の炎上など、今日も社会のいたるところで「悪口」が飛び交っている。ほとんどの人が一度は悪口を言ったことがあると思うが、「悪口はなぜ"悪い"のか」「どんな条件が揃えば悪口になるのか」「人はなぜ悪口を言ってしまうのか」などについて考えたことがある人は少ないのではないだろうか。

 こういった悪口の研究をしているのが、言語哲学者の和泉悠さんだ。和泉さんの新著『悪口ってなんだろう』(筑摩書房)は、言語学にも哲学にもなじみのない読者にもわかりやすく、研究の内容を紹介している。

『悪口ってなんだろう』和泉悠 著(筑摩書房)
『悪口ってなんだろう』和泉悠 著(筑摩書房)

「悪口」になる条件は?

 悪口とは何? と聞かれたら、「人を傷つける言葉」「悪意のある言葉」というふうに考える人は多いだろう。しかし和泉さんいわく、どちらも間違いらしい。

 「人を傷つける言葉」については、たとえばこんな例が考えられる。「うざい」と言われた人がものすごくメンタルの強い人で、その言葉に何とも思わなかった時、「うざい」は悪口でないことになるだろうか。あるいは、「うざい」と言われた人が言った人をファンのような視点で大好きで、「自分のことを見てくれた!」と喜んだら......という例も本書で挙げられている。

 また「悪意のある言葉」について、反する例は子どもの悪口だ。小さな子どもが「きらーい」「くさーい」と言う時、それは相手の反応が面白くて言っているのであって、明確な悪意ではない。他にも、差別が当たり前にある環境で育てられた人は、差別的な発言をする時に悪意を抱かないだろう。その発言をするのが当たり前だと思っているからだ。

 では、何が悪口を悪口たらしめるのか? 和泉さんの主張は、「悪口は人の『ランク』に働きかける」というものだ。悪口を言う時、私たちは相手をなめ、自分よりも下位にいることにしようとしている。「うざい」は「自分よりもうざい」、「きもい」は「自分よりもきもい」という意味が隠れている。しかも悪口は、一対一の関係にとどまらない。悪口を誰か他の人が聞いていて、しかも言われたほうが抵抗しなかった場合、聞いていた人の中に「こいつにはこういう扱いをしていいんだ」という認識が生まれてしまう。悪口は、言われた人の社会的な立ち位置をあやうくしうるのだ。

少数民族も悪口を言う

 また、悪口は殺伐とした現代社会にはびこるものであって、原始的な暮らしを営む民族の人々は悪口を言わないだろう......そんなイメージがあるかもしれない。しかし、それを覆す研究が本書で紹介されている。カナダの人類学者リチャード・リーさんが1960年代におこなった、アフリカ大陸南部のカラハリ砂漠に暮らす狩猟採集民サン人の調査だ。

 リーさんは調査に協力してくれているキャンプに感謝を表そうと、クリスマスに大きな牡牛をプレゼントした。さぞ喜んでくれるだろうと思っていると、キャンプの人々は口々に「やせっぽち」「死にかけ」「ツノでも食わせる気か?」などと言ったそう。牛を見る目がなかったのか......とリーさんは落胆していたが、実際に解体してみるとたっぷりと脂がのっており、たくさんの肉が取れてキャンプを大喜びさせたという。

 なぜあんなに牡牛をバカにしたのかあとで聞いたところ、狩猟の腕前や獲物をバカにするのはサン人の習慣の一つなのだという。目的は、狩りがうまくいった人が傲慢になるのを防ぐためだ。

「私たちは自慢をする人間を認めません。そのような人は、いつか、その自尊心のせいで誰かを殺してしまうからです。だから、獲物がたいしたことがない、ということを常に言って、その人の頭を冷して、穏やかな人間にするのです」

 大きな獲物が狩れても聞かれるまでそのことを言わず、聞かれたら「これしかないよ」と言いながら成果を見せるのが、サン人として望ましいふるまいなのだそう。日本人が「つまらないものですが......」と言いながら手土産を差し出すのによく似ている。

 狩猟採集民には、首長や村長といった明確な序列関係が存在しない。知識や経験のある老人がアドバイスすることはあっても、その人が長老と呼ばれることはないのだそうだ。権力の上下なく平等に食料を分け合うコミュニティだからこそ、少しでも権力を持とうとする人がいたら悪口でいさめるという習慣が必要なのだ。

 悪口は、いじめなどのように本来平等であるはずの人のランクを下げて尊厳を損なわせることもあれば、権力を持とうとする人のランクを下げて平等に引き戻す「イコライザー(イコールにする、等しくする)」の役割を果たすこともある。このことから和泉さんは、「現代の政治家に対しても、イコライザーとしての悪口やジョークはある程度使われてもよい」と考えている。ともすれば支配者になってしまう可能性を持つ政治家に、「市民と同じランクの人物であり、代表するという役割を持っているだけ」だと自覚させておくためだ。

 本書を通して、悪口が人間の歴史の中でなくならず、ずっと使われ続けてきた理由がわかってくる。しかしそれでも、時には人の命まで奪いうる"悪い"ものであることもまた事実だ。悪口は取り扱いが難しいが、「ランク」に影響するという視点を持つと少し客観的になれる気がする。

 悪口の研究についてさらに詳しく知りたい人は、2022年発売の和泉さんの著書『悪い言語哲学入門』(筑摩書房)が参考になる。平易な言葉で書かれた『悪口ってなんだろう』に比べてかなり学術的だが、「新世紀エヴァンゲリオン」のアスカの「あんたバカぁ?」のバリエーションや、「○○人は○○だ」といういわゆる"主語がデカい"言葉の問題点など、さまざまな興味を惹くトピックに切り込んでいる。

〈『悪口ってなんだろう』目次〉
パートⅠ 悪口はどうして悪いのか
パートⅡ どこからどこまでが悪口なのか
パートⅢ 悪口はどうして面白いのか

■和泉悠さんプロフィール
いずみ・ゆう/1983年生まれ。University of Maryland, College Park, PhD(博士号)。現在、南山大学人文学部人類文化学科准教授。南山大学言語学研究センター長。専門分野は、言語哲学、意味論。特に日本語と英語を比較しながら名詞表現を研究。また、言語のダークサイドに興味があり、罵詈雑言をはじめ、差別語、ヘイトスピーチの仕組みとその倫理的帰結についての研究も行う。著書に『悪い言語哲学入門』(ちくま新書)『名前と対象――固有名と裸名詞の意味論』(勁草書房)などがある。





 


  • 書名 悪口ってなんだろう
  • 監修・編集・著者名和泉 悠 著
  • 出版社名筑摩書房
  • 出版年月日2023年8月 3日
  • 定価880円(税込)
  • 判型・ページ数新書判・160ページ
  • ISBN9784480684592

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