東京への一極集中がずっと続き、東京は日本の「勝ち組」と言われた。コロナ禍で近県や地方への移住が見られたが、終息の見通しとともに、再び人口増が明らかになった。だから、本書『敗者としての東京』(筑摩書房)のタイトルを見て、「いったい誰が言うてけつかんねん」と違和感を覚える人もいるだろう。
著者の吉見俊哉さんは社会学者。東京大学副学長などを歴任、現在は東京大学大学院情報学環教授。この春に東大を退官する。社会学、都市論などが専門で、著書に『都市のドラマトゥルギー』『五輪と戦後 上演としての東京オリンピック』などがある。
吉見さんによると、東京はこれまでに三度「占領」されてきた。一度目は1590年の徳川家康、二度目は1868年の薩長連合軍、三度目は1945年の米軍によってである。
過去の「敗者たち」の記憶は、歴史的な地層をなしてきたという。縄文の古代から現代までを視野に入れ、江戸=東京に潜む「敗者たち」の記憶の水脈を探り当て、「勝者」であり続けようとする令和の東京とは異なる可能性を探求した、比類なき「江戸=東京」論の誕生である。本書の構成は以下の通り。
序章 東京とは何か--勝者と敗者の間 第Ⅰ部 多島海としての江戸--遠景 第1章 クレオール的在地秩序 第2章 死者の江戸、そして荘厳化する外縁 第Ⅱ部 薩長の占領と敗者たち--中景 第3章 彰義隊の怨念とメモリー・ランドスケープ 第4章 博徒と流民--周縁で蠢く敗者たち 第5章 占領軍と貧民窟の不穏--流民の近代をめぐる眼差し 第6章 女工たちは語ることができるか 第Ⅲ部 最後の占領とファミリーヒストリー--近景 第7章 ニューヨーク、ソウル、東京・銀座--母の軌跡 第8章 学生ヤクザと戦後闇市--安藤昇と戦後東京 第9章 「造花」の女学校と水中花の謎--山田 松とアメリカ進出 第10章 原風景の向こう側--『都市のドラマトゥルギー』再考 終章 敗者としての東京とは何か--ポストコロニアル的思考
どの章も興味深く、面白いが、特に刺激を受けた3点に触れたい。
1つ目は、「多島海としての江戸」というイメージである。縄文時代、関東地方では埼玉県の奥まで東京湾が入り込んでいた。千葉県から茨城県にかけての一帯でも、奥深くまで湾が入り込んでいた。つまり、太古の関東地方には、いくつもの岬や多数の島、湾や入江が散財する多島海的な風景、ちょうど今の瀬戸内海のような風景が広がっていたという。
やがて朝鮮半島からの渡来人がやってきた。最初に渡来人が関東進出の拠点としたのが、浅草の浅草寺だという。浅草観音の創建は628年。大化の改新が645年だから、同時代だ。
渡来人たちは利根川水系を遡上した、と吉見さんは考える。そして、地元勢力の土着文化と朝鮮半島文明の混交が進み、何代か経るなかで、東国のエリートというように、彼らの意識も変わったという。
その後、鎌倉幕府の成立により、状況は変わった。頼朝は秩父平氏の中心をなした江戸氏の権力を恐れ、その基盤を解体しようとした。関東は鉱物資源が豊かで、牛馬の飼育も盛んで、浅草や江戸前島など交易の要衝もあったので、その潜在力は相当なものがあった。
徳川家康は、この地域を押さえることの地政学的な重要性に気づいていた、と指摘する。こうして1590年、家康は配下の大軍団を連れて江戸にやって来る。それは、秩父平氏を中心に古代から中世を通じて、この地に形成されてきたクレオール的土着秩序に対する決定的な占領だった。
2つ目は、幕末の戊辰戦争をめぐる「敗者」で、博徒と流民について言及していることだ。有名な清水次郎長が登場する。戦前日本における大衆芸能のスーパーヒーローだった清水次郎長は実在の人物だ。次郎長をはじめとする博徒は江戸にはほとんど足を踏み入れていないという。
飢饉によって農村から街道、都市部へと流れ出て無宿化していった人の一部が博徒になった。女性の無宿人には、遊女となって食いつないだ人もいた。19世紀になると、無宿人がどんどん増え、博徒も増えていった。こうして、関東北部や甲州、駿河、三河などに彼らの拠点が築かれ、群雄割拠となった。
幕末になると、アウトローだった博徒は武装集団となり、佐幕派にも討幕派にも取り込まれていったという。博徒の活動が盛んだった上州や秩父では、討幕派にコミットせず生き残った博徒がやがて反政府運動に結びつき、自由民権運動の担い手にもなったという。薩長連合軍による占領に屈しなかった存在として、博徒に注目しているのがユニークだ。
3つ目は、最後の米軍による占領と関連して、「ファミリーヒストリー」的叙述をしていることだ。なんと、吉見さんは、戦後の愚連隊からのし上がった、有名な学生ヤクザである安藤昇と縁戚にあたるというのだ。そこには明治以来の吉見さんの曽祖父や母たちの驚くべき生き方があった。
社会学者としての方法論を自らにも適用し、堂々とファミリーヒストリーを展開した、吉見さんの勇気に拍手を送りたい。東大副学長も務めた学者のイトコ叔父が、あの安藤昇だったという衝撃。勝者と敗者とは何か? 生まれた場所や住む場所によって、さらに親の経済力によって、ことさら「勝ち負け」が強調される、令和の今こそ、本書は読まれるべきだと思った。
BOOKウォッチでは、吉見さんの『東京裏返し』(集英社新書)、『平成時代』(岩波新書)などを紹介済みだ。
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