いろいろ面白くなかったことがあった2022年。最後に気分がすかっとする小説を読んで年をしめようという人におススメなのが、本書『なんとかしなくちゃ。青雲編』(文藝春秋)である。主人公、梯結子(かけはし・ゆいこ)のキャラクターにはまるとともに、著者・恩田陸さんの語り口に魅了されるだろう。
最初にことわっておきたいのが、本書が普通の小説ではないということだ。古典的な小説では、作者が「神」の視点で、あれこれ注釈するものも少なくないが、現代ではきわめて稀だ。
少しさかのぼれば、司馬遼太郎さんが小説のなかで、しばしば私見を披露することが知られていた。だが、こうしたふるまいは該博な知識を持つ司馬先生だから許されたことであり、おおよその小説家はみずから「禁じ手」として封じている。
だから、のっけから、「名は体を表す」ことについて、作者が論じはじめたから驚いた。そして、主人公の梯結子は、「名前となりわいがピタリと一致している、と彼女を知るおおかたの人は首肯するのではないかと思われる」とあり、「どういうことだ」と思うだろう。
彼女は社会人になり、名刺を持つようになると、外国人に対して説明するとき、「梯」というファミリーネームは「日本語で橋、ブリッジの意味」であり、しかも「橋が物理的な橋そのものを指すのに対して、この字は、『橋を架ける』という行為を指す」と説明。共感とともに「名前をしっかり覚えてもらえる」と書いている。
名の「結子」についても、「結ぶ、これはコネクト、二つのものを繋ぎ合わせるという意味だ」と付け加え、「完璧」だとも。
もっとも、このセールストークは代々商いを営む梯家に伝わるキャッチフレーズ、と続くので、「なんだ」と思うとともに、彼女の生い立ちに納得する仕掛けになっている。
という訳で、大阪の海産物問屋の息子を父に、東京の老舗和菓子屋の娘を母に持つ娘の一代記が始まる。しかも、名前の由来の記述を読むだけで、成功した女性の物語であることがあらかじめ伝わってくるので、抜群の安心感がある。
波乱万丈のストーリーを期待する向きには物足りないかもしれないが、4歳に始まる数々のエピソードが飽きさせない。 結子は観察眼が鋭く、集中力がある子どもとして造形されている。そして、「キモチワルイ」ことに我慢できない。「キモチワルイ」には、「うまくいってない、フェアじゃない、美しくない」というニュアンスが込められている。
小学校、中学校、高校と成長し、さらに「融通無碍」が彼女の生き方の指針となる。1つだけ、高校時代のエピソードを紹介しよう。新聞部の幽霊部員となった結子は、高校の近所の商店から、ひと口5000円の広告費を払ってもらうミッションを与えられる。
商店街の店を回り、広告を取りつつリサーチする。「何か困りごとは?」という質問に、「夏休みの売り上げが減る」と答えた中華料理店に注目した。1日平均、23.4人の生徒が来店し、1日平均1万2000円ほどの金を落としていることがわかった。
広告のデザインと文言を変えるだけで、夏休み中、店には生徒と先生がひっきりなしに通うようになった。射幸心を利用した、その中身はネタばれになるので明かせないが、結子の観察眼と発想には驚かされる。
大学では城郭愛好研究会に入り、城跡を巡ったり、議論による「合戦」をしたりと充実した「青春」を送る。のちに、「カケハシ・ドクトリン」と呼ばれるようになる、合戦に対する独特の基本方針も生まれる。
鳥取城の攻防戦など、マニアックな記述が続き、紙幅がどんどん膨らむ。これは「女の一生」系の小説なのに、どうなるのか? と思っていると、恩田さんの「おわび」が登場する。
「梯結子の問題解決及びその調達人生」で1冊になるはずが、「W大学に入学して城郭愛好研究会に入った時、なんとなく嫌な予感がした」と弁明する。
「将来の戦略思考のためには必要なサークルだった」と説明するが、途中から合戦が盛り上がり過ぎたのである。そして、大学卒業までを「青春編」と銘打った次第である。
高校時代からフランス語の個人レッスンを受け、フランス語に堪能であること、就職は総合商社に内定したこと、父母の実家がそれぞれ繁盛していること、友人や恋人の就職先などが明かされている。
予定されている後編で、どう伏線を回収するのか、彼女が世界を相手にどんな仕事をするのか、読みたくて仕方がない。
本作は「イマドキ」の若者に支持されるだろう、と思った。対人関係の摩擦を極力拒否して、心地良い状態を好むからである。それは「キモチワルイ」ことを嫌悪する結子の行動原理とも重なる。
最初は作者の私見が登場するのに戸惑ったが、途中から恩田さんの「出番」を期待するようになるから不思議である。恩田さんもまた「大先生」になった、と書けば、冷やかしすぎだろうか。素直に、明るく楽しくタメになる青春小説の誕生を喜びたい。
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