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ここまで書いていいのか 歴史学ギョーカイの裏

 テレビで顔を見ることも多い歴史学者の本郷和人さんが、自らの生い立ちを含めて、日本の歴史学という「ギョーカイ」の内幕を赤裸々に描いた本を講談社から出した。書名はずばり『歴史学者という病』だ。

 日本の歴史学や歴史学者の問題点が、大所高所から、そして微に入り細にわたり、実名をまじえて描かれている。ここまで書いていいのか、という内容もあるが、告発本という感じがしないのは、テレビでもおなじみの「本郷節」が文章にも生きているせいだろう。ときにユーモアも感じさせ、書名とは反対に、読み終えて爽快感も覚える。

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 数年前に日本経済新聞に連載していたエッセイ「日本史ひと模様」を読んでいた際に思ったことだが、本郷さんは人間の心理や本音から歴史を読み解く筆遣いが絶妙だった。歴史上の重要な決断も、合理的な理由というより個人的な事情が優先されることがあったように、本書でも、自身も含めて高名な歴史学者たちの事情や感情の揺れ動きが、著者の眼を通して綴られていく。

大学受験問題は「山川」の欄外から

 本書でいうところの「病」というのは、歴史学は物語ではなく科学といいながら、近代以降の日本史は、皇国史観からマルクス主義史観、そして実証主義史観と、日本史学のよって立つ基盤が時代により変わり、歴史と歴史学そのものが形をかえてしまうことであり、そこに携わる歴史学者の浮沈である。

 そうした中で、東大史料編纂所教授の肩書を持つ著者の考えは、本書によって確認してもらいたいが、歴史そのものと歴史資料との関係は、そうそう簡単なものではないことがわかる。資料はむしろ、きわめて恣意的に作られたものが多く、その解釈にもさまざまな憶測が加わって複雑怪奇な様相を見せる。

 本郷さんは「仮説」をもとにしたテーマを引っ提げてのテレビ出演や著作が多いが、これが同業者や若い研究者から批判されることも少なくないのだという。本郷さんは、これについて「正直不快だ」と打ち明けながら、彼らは「若い時の私に重なる」として「成敗してやろうとは思わない」と大人の態度を見せているが、その辺の突き抜けた雰囲気を味わえるのも本書の魅力だ。

 一方、高校生らに日本史が不人気となっている元凶は「大学受験」に尽きるといい、自身が教科書執筆で挫折した過去も告白している。本郷さんの教え子が私大で日本史の受験問題を作る際は、歴史が専門の山川出版社の教科書、参考書の「欄外」から出題しているという「秘話」も披露している。

パニック障害だった高校時代

 こうした歴史学ギョーカイの流れを、自身の60年に及ぶ半生を狂言回しにしているので、本郷さんのプライバシーもかなりあけすけである。

 冒頭から、子供のころの様々な逸話に続いて、高校3年の時にパニック障害(当時は不安神経症)になり、親にだまって精神病院から処方してもらった薬を飲んで東大を受験したこと、東大入学後は、しばらくひきこもりの生活をしていたことも語られる。

 その「本郷青年」が中世史を専門とする歴史学者になっていく波乱万丈の日々が続くが、そうした述懐で、爆笑したのが修士論文の締め切りと博士課程への受験願を出すのが遅れて浪人を余儀なくされた時のエピソードだ。焦燥感の中で、同じ研究室で学ぶ女性に指輪とともに結婚を申し込んで断られ、「撃沈」した本郷青年。先生も大変だったんですね、と思わず声に出したくなった。

 歴史学ギョーカイといえば、出版界もそのひとつだが、本郷さんは、ここでも強烈な体験をしている。

某有名出版社からだけ出版がない理由

 30代後半に某有名出版社(本書では実名)の担当者から学術書出版のオファーがあったときのことだ。学者なら誰しもがそこから出版したいと思う会社だったので、必死でプロットを練っていたが、突然、企画が没になったと知らされ、本郷さんはその担当者を罵倒したのだという。この経験もあって、いまはどんな出版社からの依頼も断らず、執筆を受ける本郷さんだが、くだんの出版社からだけはいまだに単著の出版がないそうである。その出版社が没にした理由は本書で確認されたい。

 さて、本郷さんの職場は先述の通り、東大史料編纂所である。わが国最大の歴史資料『大日本資料』の編纂事業の総本山だ。所長は本郷恵子さんという。そう、本郷さんの奥さんだ。そして、あの求婚して一度は断られた女性である。

 本書の隠れたおもしろさは、本郷さんが研究人生、学者人生を送る中で、同じ研究者、歴史学者仲間の恵子さんが、常にかなり先を歩いていることが随所に記されていることだ。そして、現在はその妻が職場の最上級の上司なのである。

 そのことに触れる本郷さんの筆致に、まったくためらいが感じられないのはいうまでもない。





 


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