出たばかりの本だが、ネットで高評価が並んでいる。『日本史サイエンス』(講談社ブルーバックス)。日本史にはさまざまな謎があるが、「蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和」の真相について科学の目で迫り、実はこうだったのではないかと解き明かしている。理系のブルーバックスだが、歴史ファンにとっても見逃せない一冊だ。
「蒙古襲来」は「元寇」とも呼ばれ、1回目は1274年の「文永の役」、二回目は1281年の「弘安の役」として知られる。かつては、「神風」が吹いて、蒙古軍が撤退したといわれていた。戦前の日本では、最後は「神風」が吹く先例として語られ、国民を鼓舞する材料になっていた。
本当に「神風」が吹いたのか――。近年、歴史家の間でも検証が続いている。BOOKウォッチで紹介済みの『蒙古襲来と神風』(中公新書)も定説に疑問を提起、そもそも文永の襲来では嵐が来ていないこと、弘安の襲来ではたしかに嵐は吹いたが、合戦はその後も続き、相手が劣勢になったから撤退したと見ていた。
本書も同じく、合戦で「神風」が吹いたのではない、という説だ。さらにその理由を科学の目で検証しているところが新しい。
著者の播田安弘さんは1941年生まれ。父は造船所経営、母の実家は江戸時代から続く船大工の棟梁。三井造船(当時)に入社し、大型船から特殊船までの基本計画を担当した。半潜水型水中展望船、流氷砕氷船「ガリンコ号2」、東京商船大学(当時)のハイテク観測交通艇などを開発。東海大学海洋工学部で非常勤講師を8年間務め、2008年には日本初の水陸両用バス「LEGEND零ONE号」の船舶部分を設計した。定年後は船の3Dイラストレーションを製作する「SHIP 3D Design 播磨屋」を主宰し、19年公開の映画『アルキメデスの大戦』では製図監修を担当、戦艦の図面をすべて手描きで作成するなど、「船」に関わり続けている人だ。
「元寇」については「船」の専門家という視点からの分析が中心になっている。モンゴル帝国は1271年に「元」と国名を改め、高麗を配下にしたあと、次の標的を日本に定める。『高麗史』によれば、元は高麗に対して6か月以内に大型軍船300、小型上陸艇300、水汲み艇300を建造するように命じ、さらには大工や人夫3万人以上を徴発させたという。
播田さんの専門家としての第一のポイントは、6か月で大型船300の建造ができるのかという分析。当時の船の復元図や、資材の調達、大工の要員などから、実際には半数程度にとどまり、大型・中型合わせて約300隻と見る。
戦いは蒙古軍2万6000人に対し、日本側1万人で行われ、日本側の半数は強力な騎馬武者、蒙古側は元と高麗の混成軍で言葉も通じない集団だったと推定する。
ポイント2は玄界灘や対馬海峡の潮流分析。流れが速く横断に苦労する。蒙古軍の船団は何とか横断できたようだが、問題は船酔い。蒙古軍の三分の一は船酔いで満足に戦えなかった可能性を指摘する。
ポイント3は博多湾の上陸地点。従来いわれてきた「息の浜沖」ではなく、「百道浜」だとする。蒙古側は、元寇の前に6回も日本に使節を派遣しており、いずれも「百道浜」に近い今津港に投錨している。つまり彼らはある程度、博多湾を知っていた。加えて多数の大型軍船が投錨するには一定以上の海面の広さと水深が必要。このあたりの分析は、播田さんの本業でもあり、きわめて精密だ。しかしながら、船がひしめき合って彼らは上陸に手間取ったと見る。
こうして、過去の通説――蒙古軍は早朝に博多湾に侵入するや全員が上陸し、すぐさま日本側の武士たちと戦って集団戦で殲滅、ところが神風が吹いて撤退、というストーリーを突き崩していく。
蒙古歩兵と日本の騎馬兵が戦った場合は、騎馬兵が圧倒的に強いこと、日本の弓や刀は蒙古軍よりも優れていたこと、なども紹介しながら、蒙古軍が全軍上陸に手間取り、不利な白兵戦に持ち込まれて敗走、引き揚げたと見る。博多の戦いでの蒙古軍の死者を5000とすると、全軍の19%の損耗となり、この数字は当時の戦いの常識では「大崩れ」に相当するものだった。
蒙古軍にとっては、さらに不都合なことが起きたという。退却の途中、船の修理や休息のため壱岐に立ち寄ったが、ちょうど北西風が強くなる時期。大量の船が座礁したと見られるのだ。この程度の船だと錨を下ろしていても、風速15メートル以上になると流されてしまうことを指摘している。のちに壱岐で遭難した軍船が100隻、上陸艇30隻が見つかっている。
『元史』によれば、文永の役の蒙古軍の未帰還者は約1万3500人。播田さんは博多での戦死者が約5000、壱岐での溺死者が約9000と見積もっている。
元寇についての数少ない史料に『八幡愚童訓』がある。「八幡様のご加護」が強調され、それが戦前の「神国」「神風」につながった。播田さんによれば、これはいわば寺社勢力のPRのためにつくられたもの。科学の目を通した冷静な分析が必要、というわけだ。
本書ではこのほか、本能寺の変を知った羽柴秀吉が驚くほど短時間で引き返した「中国大返し」はなぜ可能だったのか、戦艦大和は本当に「無用の長物」だったのか、についても詳述している。「中国大返し」については、絶対に必要な「ある前提」を指摘している。
著者は「科学」の大切さを強調しつつ、「終章」で、日本の理科教育の軽視ぶりに苦言を呈している。文科省は50年ほど前から高校理科の授業時間を減らし始め、その傾向はどんどん強まっているという。日本の技術系の大学生の数は、もはや中国よりも一桁少なくなっている、将来のノーベル賞の展望は暗いと嘆いている。
日本が近年「科学」や「教育」を軽視していることは、『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)などにも詳しい。菅政権の「日本学術会議」への対応や、一部自民党議員の「学術会議」と「学士院」の混同ぶりなどからも「学問軽視」がうかがえる。BOOKウォッチでは、東大生協で、「頭脳流出のススメ」とでもいうべき『海外で研究者になる――就活と仕事事情』(中公新書)が売れていることを紹介済みだ。
このほか、日本における西欧科学の受容史として『維新と科学』(岩波新書)、明治期の天才については『清々しき人々』(遊行社)や、『榎本武揚と明治維新』(岩波ジュニア新書)なども紹介している。『歩く江戸の旅人たち』(晃洋書房)は、江戸時代のお伊勢参りで当時の人々が毎日どれくらい歩いたか、日記などをもとに分析している。「中国大返し」の参考になる。
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