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【試し読み】 9月1日の前に読んでほしい、樹木希林の言葉。「あまりに命がもったいない」<9月1日 母からのバトン>

9月1日 母からのバトン

 「死なないで、ね......どうか、生きてください......」

 2018年9月1日、樹木希林さんは病室の窓に向かい、涙をこらえながら、繰り返し語りかけていたという。この2週間後、樹木さんは75歳で亡くなった。

 本書『9月1日 母からのバトン』(ポプラ新書)は、樹木さんが遺した言葉と、それを受け継いだ娘の内田也哉子さんが不登校経験者など4名と対話して紡ぎ出した言葉を収めた1冊。

 夏休み明けとなる9月1日は、子どもの自殺が1年で最も多い日とされている。樹木さんは生前、不登校の子どもたちと語り合い、この事実を知っていた。

 「『今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの』『もったいない、あまりに命がもったいない......』と、ひと言ひと言を絞り出すように教えてくれました」
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画像提供:ポプラ社

 文部科学省が行った2020年度の調査によると、全国の小中学生の不登校は19万人以上(中学生の24人に1人、小学生の100人に1人)、自殺した小中高生は400名を超え、いずれも過去最多だったという。

 まもなく9月1日を迎えるいま、ひとりでも多く、樹木さんの言葉を読んでほしい。そんな願いを込めて、BOOKウォッチでは本書の【試し読み】を2回に分けてたっぷりとお届けする。

 1回目は、2014年7月、樹木さんが『不登校新聞』編集長・石井志昂(しこう)さんの取材に応じたときのもの。


―――


第一部 樹木希林が語ったこと
インタビュー「難の多い人生は、ありがたい」

――今日はありがとうございます。まずはいちばん気になっていることからお聞きします。なぜ『不登校新聞』に出ていただけるんですか。

 世の中には知らないことがあるんだけど、私はインターネットでやることには興味がない。けれど、人には興味があるから役者をやっているんですよ。

 だから、『不登校新聞』があるって聞いたときに、へー、そんな新聞があるんだと思って。ただ、読んでみたらなんてことはない。自分も"自閉症"だったなあ、と。その頃は"発達障害"なんて言葉もなかったけど。

 私が18歳の頃、テレビに出始めたときに、近所中で「あの子がテレビに出ているんだって」と話題になったのよ。だって声を聞いたことがないんだから。ほとんどしゃべらないで、いつもじーっと人を見てるだけ。今はこうやってべらべらしゃべってるけど、小学校4年ぐらいまでは、ほんとにしゃべらなかったからね。

 このままじゃあ修学旅行に行けないと思って、親がお灸(きゅう)の先生を連れてきて、そこで鍼(はり)とお灸をやったら治ったのね。そのあとでしゃべるようになったんだよね。口をきくようになったのはそこから。町内でも非常に特殊な子どもだったんだね。目立たないけど、なんかうっとうしい子(笑)。


ありがたい存在との出会い

――私が取材したいと思ったのは、映画『神宮希林 わたしの神様』の中で、夫・内田裕也さんについて「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」と話されていたからなんです。これは不登校にも通じる話だなと思いました。

 あの話はお釈迦さんがそう言ってたんですよ。

 ダイバダッタは、昔はお釈迦さんの従兄弟(いとこ)かなんかで、同じように手を合わせていたんだけど、お釈迦さんのほうが先に悟りを開いたのを憎たらしいと思って、邪魔ばかりしてた。ちょっと出かけているあいだにお弟子さんを連れていっちゃったり、お釈迦さんの名声が上がるごとに命を狙ったりね。

 お釈迦さんは、そのダイバダッタに対して、ダイバダッタは前世で自分の師匠だった、今世では自分が悟りを得るために同じ場所に生まれてさまざまな難を与えてくれているのだ、と悟るわけです。自分に対して災いを起こし、不本意なことをやってくる人間を、逆に私にとっての"師"であるという気持ちで受け取るのだ、と。

 私もそうだなあ、と思いましたね。18歳のときに、たまたま役者の道に入っちゃったけど、いろんな人に出会って、普通に結婚したりいろんな目にあったりして、今日(こんにち)70歳を過ぎて、今日みなさんにお話を聞きたいと思っていただけたのは、やっぱり私がたくさんのダイバダッタに出会ってきたからなんだな、と思います。

 もちろん、ときには自分がダイバダッタだったこともあります。ダイバダッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、そういう難の多い人生を卑屈になるのではなく受け止め方を変える。そうやって受け取り方がひとつ違ってくるだけで、天と地ほどに見え方が変わってくるんじゃないですかね。

 たとえば、「騙すより騙されるほうがいい」って言う人がいるでしょ?

 私は「そんなことないよ」って思う。

 自分がボケッとしてたせいで、相手の人に騙すという行いをさせて、騙すことを覚えさせちゃうんだから、これは二重の罪だよって。そう言うとみんなだまっちゃうんだけど、お釈迦さんがそう言ってんですから(笑)。

 日本の日常用語って、ほとんどが仏教用語なんです。「ありがたい」っていうのも、漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書くんだよね。

 人間がなぜ生まれたかと言えば、難を自分の身に受けながらも成熟していって、最後、死に至るため。成熟って、難がなければできないの。だから、私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、夫が私にとっては有り難い存在だからなんですよ。

 無傷だったら人間として生まれてくる意味がない。ただ食べて、空気を吸って、寝ておしまいじゃあね。


不自由をおもしろがる

――そう思うきっかけは何かあったのでしょうか?

 がんになったのは大きかった気がします。それに、年を取るといろんな病気にかかるわけ。腰は重くなるし、目も見えないし、針に糸だって通らなくなる。不自由になるんです。

 でもいいのよ、それで。そうやって人間は自分の不自由さに仕えていくの。不自由さに仕えて成熟して、人生を終えていく。ほんとに成熟という言葉がぴったりだと思う。

 不自由なのをなんとか自由にしようとするなんて、思わないのよ。不自由じゃなくしたらつまらないじゃない。

 だいたいね、がんになるからにはがんになるだけの生活があってね、その資質が私にはあったのよ(笑)。ショックでもなんでもない。ただ、それが転移する人と、死ぬ人と、治る人がいて、私は死ぬ人でも治る人でもなく、転移する人だっただけ。それでいいの。

――なるほど。それでは改めて、樹木さんがどんな子ども時代を送ったのかをお聞きしてもいいでしょうか?

 なんとなくふり返ってみると、私は昭和18(1943)年の1月15日、戦争の真っただ中に神田の神保町に生まれたんだけど、母親がカフェをやってて、たぶん日銭はあった。父親は兵隊にとられていて、疎開しながら大きくなったんだろうと思うんです。私が4歳の頃に妹が生まれたけど、ひろーい青梅(おうめ)街道にバラックがいっぱーい並んでいる中で暮らしてました。

 バラックの中二階に布団を積んでいたんですが、ある日、そこの布団置き場で遊んでいたらどーんと落っこちちゃって。そのとき私、死んでたような気がするんだよね。上に布団がかぶさってきたから、息もできなかった。布団を取り払われて、「うわあっ!」と息を吹き返した記憶だけがある。

 その日から私は、打ちどころが悪くておねしょするようになったの。ずーっと、毎晩毎晩おねしょする。ところがさあ、その頃はおねしょするのがどこの子だなんて、人のこと考えてられないのよね。余裕がないの。だから、私は怒られたことが一度もない。

 それで、どちらかというとひきこもりみたいな子になっていくの。記憶では、だいたいひとりで遊んでる。母親が忙しかったせいで、私を幼稚園に行かせてたんだけど、私はなじめないからイヤでイヤで、ずーっと隅っこで遊んでた。運動会もいっつもビリ。まあその頃は、幼稚園に行かされる子は少なかったんだけど。

 父親が乳母車を引いて幼稚園に送ってくれたんだけど、それもカッコ悪いなあ、と思ってたんだろうね。幼稚園の前まで来ると、乳母車をひょいって降りて、父に「もう帰んな」って言うんだって(笑)。

 幼稚園での楽しい思い出が全然ないのよ。先生が何を言っても理解できない。集合写真があるんだけど、とにかくいっつもはじっこで、みんなから離れて立っている。そういう写真が2~3枚あるの。ああ、これが私だったんだなあって。


周りと比べない

 雑司谷(ぞうしがや)小学校には1年から6年まで行ったんだけど、友達の記憶がない。よく覚えてるのは、スポーツが大っ嫌いだったこと。

 でも、いちばん覚えているのが水泳大会ね。6年生にもなると、クロールだとか背泳ぎだとかをやるんだけど、私には競争するほどの能力がなかった。浮いてることはできたんだけど。

 だから、私が出たのは「歩き競争」。周りは1年生とか2年生ばっかり。私だけが6年生だから、背が全然違うのね。ヨーイドンで始めると、すぐゴールに着いちゃう。一等賞だったのよ。

 普通はそれを恥ずかしいと思うでしょ? さすがに。

 でも、私はそれを恥ずかしいと思わなかった。これが私の人生の勝因だなと思うわけ。一等はノート2冊と鉛筆2本。すんごい貧しい賞品だけど、一等は一等だから、それをもらったとき、私はにんまり笑ったの。別にいいじゃない、と。それがのちのちまで頭に残ってる。

 私が恥ずかしいと思わなかったのは、親の教育だと思う。親が子どもに目を向けてる余裕がなかったから、子どもも恥ずかしいと思わないように育ったし、そんな時代だから私は生きられたんだと思うの。もし今のように目を向けられて、「これじゃダメ」 「そうじゃない」と言われてたら、とっくの昔に私は卑屈になってたと思う。

 私は、「それは違うでしょ」って言われた記憶がないのよ。私が何か間違えたとしても、 「それは違う」と言わずに、「たいしたもんだね、この子は」と言って笑ってる(笑)。友達の家に遊びに行ったときは、その頃やっと出始めたビニールを持って泊まりに行くわけ。おねしょするから。それぐらい平気なのよ。隠すとか、そういうことじゃないの。うちは毎朝毎朝、布団を干すし。

 そうやって他人と比較して、卑屈になるようなことはなかったから、それはやっぱり、親がえらかったと思うのよ。

――私の祖母も「誰かと自分を比べるような、はしたないことはダメ」と言ってましたが、その一言は、不登校だった私を支えてくれました。

 日本の女の人って、昔はすごく優れてたと思うんです。お坊さんでもなんでもない、そこらにいるおばあさんでさえ、「人と自分を比べるなんてはしたない」って言葉を発する土壌があったのよ。

――樹木さんが親になられてからも「叱らない」というのは気をつけていましたか?

 まったく干渉しません。大事にしたのは食べることだけ。そこらで間に合わせるんじゃなくて、どんなにまずくてもご飯とみそ汁と、うちでつくって食べさせることだけはやってました。でもそれだけ。

――お孫さんがいらっしゃるんですよね?

 3人もいるんですよ。よく親のほうが鍛えられてます(笑)。

 娘にも言ってるのが、「そのうちちゃんと自分で挫折するよ」ってこと。周りはやきもきするけどね。「人を殺してなんで悪いの」とまではなっていないし、基本だけはちゃんとしとけば少々のことはいいのよ。あれもこれも親が手を出して、あとから「たいへんだったんだから」と言うよりは、本人に任せていくほうがいいの。


生き続けなきゃ、 もったいない

――最後に、自分の子どもが不登校やひきこもりだったら、つまり、御しがたいダイバダッタのように見えたら、親としてどう向き合えばいいのかについて教えてください。

 うん......。私なら、自分は助かって、子どもだけをどっかに落とそうって考えるんじゃなくて、この子が食っていけなくなったら、自分も路上でやっていくぐらいの覚悟をするなあ。

 この子の苦しみに寄り添うしかないのよね。だから、ああしろ、こうしろとは、もちろん言わない。言って直るようならとっくに直ってるでしょう?

 うちの夫が「不良になるのも勇気がいるんだ」と言ったことがある。道を外すのも覚悟がいるのよ。ただ、それがだんだんと習慣になっちゃうとねえ。一緒に住んでる人はほんとに大変だと思うけど、やっぱり、自分が成熟するための存在なんだと受け取り方を変えるのがいいと思いますね。

――なるほど。

 お釈迦さんがね、「人間として生まれることはきわめて稀なことだ」と言ってるの。だったらね、生き続けなきゃ、もったいないじゃない。


―――


 次回は「第一部 樹木希林が語ったこと トークセッション『私の中の当たり前』」から、自ら命を絶とうとする子どもたちへのメッセージをお届けする。

 2回目→【試し読み】自ら命を絶とうとする子どもたちに、樹木希林が伝えたかったこと。<9月1日 母からのバトン>

 本書は、2019年に単行本として刊行された『9月1日 母からのバトン』を新書化したもの。

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著者の樹木希林さん「写真提供:全国不登校新聞社」
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著者の内田也哉子さん「撮影:田中達晃(Pash)」

■樹木希林さんプロフィール
 1943年、東京生まれ。文学座の第1期生となり、テレビドラマ「七人の孫」で森繁久彌に才能を見出される。61歳で乳がんにかかり、70歳の時に全身がんであることを公表した。夫である内田裕也との間に、文筆家の内田也哉子がいる。映画、テレビ、CMなど幅広く出演し、紫綬褒章、旭日小綬章をはじめ多くの賞を受賞。2018年9月15日に逝去、享年75歳。

■内田也哉子さんプロフィール
 1976年、東京生まれ。エッセイ執筆を中心に、翻訳、作詞、バンド活動「sighboat」、ナレーションなど、言葉と音の世界に携わる。三児の母。著書に『新装版 ペーパームービー』『会見記』『BROOCH』、中野信子との共著に『なんで家族を続けるの?』、翻訳絵本に『たいせつなこと』『ママン 世界中の母のきもち』など。


※画像提供:ポプラ社

  • 書名 9月1日 母からのバトン
  • 監修・編集・著者名樹木 希林、内田 也哉子 著
  • 出版社名ポプラ社
  • 出版年月日2022年8月 8日
  • 定価1,012円(税込)
  • 判型・ページ数新書判・286ページ
  • ISBN9784591174630

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