少女時代の濃密な友情は期間限定。学校や部活という枠組みから離れると、雲散霧消する。社会に出れば、正社員か非正規か、未婚か既婚か、子どもはいるか、といった「属性」によって、いとも簡単に疎遠になる。それでも、地に足つけて歩む女たちはまた出会い、ゆるやかなつながりは続いていく――。
山内マリコさんの著書『一心同体だった』(光文社)は、1980年生まれ、いわゆる就職氷河期世代の終わりの方に属し、今年で42歳になる女たちの30年間を、小学校から40歳まで8つのステージに区切って描いた短編連作である。同年生まれの作者が育った平成まるごと30年余りの時代の空気が、女子たちの日常や会話から立ちのぼる。キーワードは「女の友情」。ジムスタッフと利用客という袖すり合うほどの縁から、ほぼ恋のような濃い友愛まで、女同士はさまざまにつながり、章ごとに主人公をバトンタッチしながら令和へとたどり着く仕掛けになっている。
本書の目次は時系列に従って、以下の通り。
1 女の子たち 1990年 10歳
2 アイラブユー、フォーエバー 1994年 14歳
3 写ルンですとプリクラの青春 1998年 18歳
4 白いワンピース殺人事件 2000年 20歳
5 ある少女の死 2005年 25歳
6 あなたは三十歳になる 2010年 30歳
7 エルサ、フュリオサ 2014年 34歳
8 会話とつぶやき 2020年 40歳
小学生のサンリオグッズ、中学ではミサンガ、高校のカラオケ。少女たちの心を掴んたディテールに、同年代の読者はあるあるとうなずくだろう。どの子と帰るのか、どのグループに属するかというエピソードに、記憶がひりひりと撫で上げられるかもしれない。
高校を出れば、好むと好まざるとに関わらず、オトコの前に身をさらす。4章、大学のサークルでは「新入生の女子」のまわりで当人を含めた全員が狂想曲を演じる。
主人公の遥は人目を引く同級生の麻衣ちゃんといっしょに、映画サークルに入った。"じゃないほうの新入生"として1年過ごし、2年生になると下級生の高田歩美が入ってくる。
紅一点の新入部員である高田さんが、去年の麻衣ちゃんみたいな姫ポジションに座っていたのはほんの一瞬だった。自己紹介で一浪していることを明かすと、男子部員からはブーイングに近い声があがった。美人でなくても、特別可愛くなくても、自分たちより若いってだけで彼女をちやほやしていた男子たちからは、「騙されたぁ!」なんて酷い言葉も飛んだ。
若くて可愛い彼女が欲しい男たちが、新歓コンパで新入生の女子に群がる。歩美のような1浪とか、彼氏のいる新入生はご法度、という偏った価値観がまかり通っている。
評者が大学生だったのはこの時代から20年も前なのだが、往時とまったく同じ光景が繰り返されていたことに驚愕した。
大学を出た後、評者のような昭和世代の女子には「キャリアと結婚の両立」が定番のテーマであった。しかし平成以降、非正規雇用の20代女子にはそのふたつとも、現実味がうすいようだ。友人の結婚式に出た25歳の歩美は、余興で新婦のブーケをもらい損ねる。「先を越された」感のカケラもなかったのに、留袖姿の中年女性があからさまにからかってきた。
「ざーんねーんでーしたぁー!」
なんともねちっこい大声を、いやにはしゃいだ調子で放ったのだった。(中略)
――――あ、なるほど、そういうことだったんだ。
瞬時に、あたしはすべてを悟った。
女は結婚してないと、こんなにバカにされるんだってことを。あたしって世間じゃここまで下等な生き物だったってことを。こういう、どうってことのない普通のおばさんたちが、誰かの妻ってだけで、どんだけ調子こいていたのかを。そうじゃない人をバカにすることで、いじましく自分の自尊心を守っているんだってことを。
歩美はその結婚式に出ていた"美人だが高嶺の花タイプでモテない"麗子と知り合い、式をこき下ろしながら意気投合する。続く6章が、麗子の20代・非正規雇用奮闘記だ。彼女は受付嬢という華やかな肉体労働の果てに、巡り巡ってヨガ講師になる。
同級生の近況をフェイスブックで見ると、ヨガインストラクターになってる子が何人かいた。そういう子たちはみんなどことなくタイプが似てる。きれいで、勝ち気で、プライドが高くて、それなりに野心がありそうな子ほど、ヨガに行ってる気がする。
麗子を見てこう思いを巡らすのは、彼女の最初のレッスンに来た、氷河期世代にして勝ち組に属する里美である。就職難をものともせず日本を代表する携帯電話の会社に入り、高給を稼いではお金をかけて遊ぶ、という、いわばバリキャリの王道を謳歌している。
そんな浮ついた日々も、リーマン・ショックと震災でがらっと変わった。(中略)私だってゆくゆくは、家庭を持ってマンションか家を買う、ありきたりなライフプランをうっすら思い描いていた。だけど愛想がないせいか、仕事も遊びも楽しすぎるせいか、年と共に男性に敬遠されるようになったのを、私はちゃんと自覚していた。
やりがいのある仕事に十分見合った定収を得た大手企業の女子社員が、稼いだカネをどう遣うかが仔細に描かれる。いや、これなら楽しい。絶対楽しい。いじましく"家庭に入る"なんて選択肢が消去されるのも無理はない。
地方支店に転勤した里美が、携帯ショップ店長の大島絵里と出会い、お互いに少なからぬ影響を与えあう7章の物語は秀逸だ。いっしょに映画館で「アナ雪」を見たりしても、最後まで敬語で会話し、それぞれの能力を心ひそかに認め合う、デキるアラサー女たち。周囲が結婚や妊娠に意識転換していく中、仕事を選んだふたりが、ぎこちなく育む友情はさりげなくて貴い。
最終章では、妊活の果てに退職し、高齢出産を経た絵里が、家庭にピン留めされる専業主婦の心の声をツイートしてゆく。本社勤務の里美が危惧していた通り、優秀な店長といえど、制度以前に組織の空気が、妊娠して体調を崩した女を守らなかった。絵里は後ろ髪を引かれまくりながら職を辞すのだった。
有休をつわりで使い果たしたところで、退職願を出した。さよなら出産手当金、さよなら育児休業給付金。そこが二度と戻れない場所なんだってことがわかっていながら、そうせざるをえなかった。(中略)
仕事はやりがいもあったし性にも合ってたけど、所詮は田舎の中小企業で、体質はうんと保守的だから。おじさんたちは女を安くこき使えるコマだと思ってる。だんだん法律が整備されて、女を使い捨てられなくなったことを、あの人たちは心底迷惑がっていた。(中略)
仕事は好きだったけど、自分が盾になってまで、こんな会社を変えようなんて気は起きない。
物語は、幼児をワンオペで育てる絵里が、ツイッターで同じような社会の矛盾を鋭くつぶやいている相互フォロワーの女性とリアルにふれ合い、友情をはぐくむところで終わる。娘を持つ母親同士、今の、この先の社会で生きてゆく女の子をどう育てたらいいのか、悩みを打ち明け、話は尽きない。
最後につながったそのかけがえのないママ友にも、小さな仕掛けが施されている。
読後は、平成の30年間を歩んできた多種多様な女子たちの人生を、たくみなリレーで一気見した感がある。あったあった、懐しいと読み進むうちに、作者が潜ませたメッセージがどんどん鮮明になってくる。それは、平成のずっと前から世の中に漂っていて、知らず知らずのうちに刷り込まれている偏った考え方に「気がついて」「気をつけて」―――― というものだ。
その警鐘を、こうして物語に潜ませて、たとえば女の子を育てているおかあさんたちに、あるいはこれから恋をする若い男子に、作者は届けたかったのではないか。そうやって、私たちを縛る見えない鎖に少しずつ傷をつけ、いつかそれがばらばらに砕け散る日が来ることを、思い描きながら。
(田中 有/フリーランス記者)
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