「もう何も失いたくない。でも私は、また人と関わりたいと思った」
第167回直木賞候補作『夜に星を放つ』(文藝春秋)。著者の窪美澄さんは、これで3度目の直木賞ノミネートとなる。選考会は7月20日に行われる。
本書は、かけがえのない人間関係を失って傷ついた者たちが、再び誰かと心を通わせることができるのかを問いかける短編集。2015年から2021年に「オール讀物」に掲載された5作品を収録。コロナ禍を設定に取り入れたものもあり、世の中の変化、それによる人々の心の変化も描かれている。
「真夜中のアボカド」
婚活アプリで出会った恋人と、このまま関係が続くと思っていたが......。
「銀紙色のアンタレス」
十六歳になった真は田舎のばあちゃんの家で幼馴染の朝日と夏休みを過ごす。
「真珠星スピカ」
交通事故で亡くなった母親の幽霊と、奇妙な同居生活が始まった。
「湿りの海」
離婚した妻と娘はアメリカに渡った。傷心の沢渡はシングルマザーと出会い......。
「星の随(まにま)に」
弟が生まれたというのに、「僕」は新しいお母さんのことをまだ「渚さん」としか呼べていない。
「本の話」のインタビューで、窪さんは「収録作品すべてが、私にとって等しく推しですね」と語っている。
短編集を紹介するとき、いつもはとりわけ印象的だった作品を選ぶが、今回はどれも心に残っていて悩んだ。ぜひ5作品すべて読んでほしいと思いつつ、ここでは2作品にしぼって紹介していく。
「真夜中のアボカド」の主人公・綾は32歳。コロナ禍でちょっと弱っていたとき、アボカドの種を植えたら育つんじゃないの!? と思い、グラスで水耕栽培をすることにした。
「なんとなくアボカドに監視されているみたいだな、と思いながら。けれど、その頃の私にはそういうものが必要だったのだ。目に見えて育っていくかもしれない命の元みたいな存在が」
婚活アプリで出会った恋人の麻生とは、自粛期間中はLINEでやりとりしていた。「ごめん! 今、急ぎの仕事が......」というメッセージが続くこともあったが、気にしないようにしながら。自粛期間が明け、また外で会うようになった。
あるとき、綾は麻生に秘密を打ち明ける。双子の妹が、30歳手前で突然亡くなったのだと。麻生も何かを言おうとしたが口ごもり、「いつか必ず話す」とだけ言った。
妹には村瀬君という恋人がいた。妹が亡くなってから、月命日には綾と村瀬君で食事をしていた。コロナで曖昧なままになっていたが、1年ぶりに会う約束をした。
「大事な人を亡くした、ということはお互いに大きくて、大き過ぎて、その体験を共有している誰かがいることにほっとしていることも事実なのだった。つらい気持ちでいるのは自分だけじゃない。そう思えれば、私はこの先も暗い闇に落ちずに生きていけるような気がした」
妹がいなくなり、コロナで人に会えなくなり、綾は自分のことを「さびしんぼうの王様になってしまった」と思う。恋人を亡くし、今も忘れられずにいる村瀬君とは、同士のような関係だったが......。
「真珠星スピカ」の主人公・みちるは中学1年生。2カ月前、事故で母さんを亡くした。
母さんが亡くなってから、眠れないときは2階の物干し台に出て、夜空を見るようになった。ある日、隣に母さんがいた。母さんがいなくなったショックと学校でいじめられている悲しさで、自分の頭がおかしくなったのかと思ったが、そうではなかった。
「それから幽霊の母さんとの暮らしが始まった。体が透明で強い光に当たると薄くなってしまって、話をすることができない。家の外には出られないけれど、家のなかなら瞬間移動することもできる。それが母さんという幽霊の実態だった」
母さんは、料理をするみちるを心配そうに見ていたり、食事をするみちると父さんを穏やかな笑みを浮かべて見ていたりする。ちなみに、父さんには母さんが見えない。
朝、父さんのひどい寝癖を指差して母さんが笑い、父さんに気づかれないようにみちるも笑うこともあった。事故がなければ、きっとこんな日常があったのだろうなと思わせる描写に、読みながら涙が。
「生きている母さんがいない。そう思うと、胸の奥を蟻にかまれたような痛みが走る。母さんがまるでその痛みに気づいたように、私の手に触れる。私は母さんの顔を見る。母さんが頷く。私も頷く」
せめてみちるがもう少し大きくなるまで、幽霊の母さんとの暮らしが続いたらいいなと思ったが......。その後の展開に驚いた。母さんの親心にぐっときて、何度か読み返した。
大事な人を失った登場人物たちは、それからまた困難に遭い、くぐり抜け、前へ進もうとする。寂しさ、悲しさの連鎖とともに、あるときパッと道が照らされるような、希望の連鎖を感じた。
■窪美澄さんプロフィール
1965年東京都生まれ。2009年「ミクマリ」で女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞。受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』が、本の雑誌が選ぶ2010年度ベスト10第1位、2011年本屋大賞第2位に選ばれる。また同年、同書で山本周五郎賞を受賞。12年『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞、19年『トリニティ』で織田作之助賞を受賞。その他に『さよなら、ニルヴァーナ』『よるのふくらみ』『やめるときも、すこやかなるときも』『じっと手を見る』『私は女になりたい』『朔が満ちる』など著書多数。
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