「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」
高瀬隼子(たかせ じゅんこ)さんの『おいしいごはんが食べられますように』(講談社)をパッと見て、心温まる家族小説の類かと思った。しかし、その中身は......「心をざわつかせる、仕事+食べもの+恋愛小説」だった。
職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。「ままならない人間関係」を「食べもの」を通して描くという、出合ったことがないタイプの作品だった。
二谷は入社7年目。食べものに対する意識はかなり低い。「カップ麺でいいのだ、別に。腹を膨らませるのは。ただ、こればかりじゃ体に悪いと言われるから問題なのだ」と考えている。
押尾は入社5年目。二谷と居酒屋へ行き、「わたし芦川さんのこと苦手なんですよね」と言った。その日は社外研修会があったが、芦川は体調不良を理由に欠席していた。
二谷 「なんか言われたとかされたとか。そうじゃなくて、単にできないのがむかつく感じ?」
押尾 「っていうか、できないことを周りが理解しているところが、ですかね」
「職場で、同じ給料もらってて、なのに、あの人は配慮されるのにこっちは配慮されないっていうかむしろその人の分までがんばれ、みたいなの、ちょっといらっとするよな。分かる」と、二谷も同調する。
毎日定時で帰れて、それでも同じ額のボーナスはもらえて、出世はなくても、のらりくらり定年まで働ける......そんな「最強の働き方」をしている芦川が、むかつくような、うらやましいような。でも、ああはなりたくないから、「苦手」なのだった。
そこで、押尾は二谷にある提案をもちかける。
押尾 「それじゃあ、二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」
二谷 「いいね」
芦川は入社6年目。二谷は3ヶ月前、この職場に異動してきた。二谷は芦川から仕事を教わるうちに、「この人は追い抜ける、時間もかからず、すぐに、簡単に」と感じた。
たとえば、芦川は仕事でミスをしたとき、先方へのお詫びの訪問もせず、お詫びの電話も上司に代わってもらったことがあった。
「洗わないで放置した鍋の中の濁った水みたいな胸の内に、毅然が足りない、という言葉が浮かんできた時、二谷は芦川さんを尊敬するのを諦めた」
諦めると、自慰の手助けに彼女を想像するのも平気になった。ある日、取引先から怒鳴りつけられ泣いている芦川に、二谷は自分から手を伸ばした。それを機に2人は接近し、3回目のデートは居酒屋へ行った。「おいしい、おいしい」と繰り返す芦川に、「食べるのが好きなんですね」と二谷が言うと......。
「どうなんでしょう。よりきちんと生きるのが、好きなのかもしれないです。食べるとか寝るとか、生きるのに必須のことって、好き嫌いの外にあるように思うから」
食に向き合う時間を強要してくるところが苛立った。ただ、「弱弱しさの中に、だから守られて当然、といったふてぶてしさがある」芦川に、二谷は妙に惹かれてもいた。
あれ、二谷は芦川を尊敬できず、あまり好意を持っていなかったのでは......。誰でも辻褄が合わないことをするときもあるよなと思いつつ、二谷の考えていることがわからなくなる。
芦川は体調不良を理由に早退することもあった。上司が芦川をかばうように「誰でもみんな自分の働き方が正しいと思ってるんだよね」と言った。押尾はむかつきながら、自身に言い聞かせる。
「芦川さんは無理をしない。できないことはやらないのが正しいと思っている。わたしとは正しさが違う。違うルールで生きている」
ある日、職場に甘い匂いがもったりと漂っていた。「みんなより先に帰してもらっちゃってるから」と言って、芦川は手作りのお菓子を持参して配るようになった。
ホールケーキにむらなく綺麗にクリームを塗る「ナッぺ」という技術で、隙間なく、ぐるっと均等な厚みで、まるで機械で塗ったみたいなケーキを作ってきたこともあった。
芦川自身がクリームで完璧にコーティングされたケーキのようで、つかみどころがないのだが。さて、押尾と二谷は、そんな芦川にどんな「いじわる」をするのか――。
食にきちんと向き合っている人もいれば、ただ食べないと死ぬから食べている人もいる。本作では「仕事」や「食べもの」の価値観の違いにスポットを当てている。「わたしとは正しさが違う」。この考え方をほかのことにも当てはめると、ちょっと生きやすくなる気がする。
本書は、予定調和のストーリーでは物足りない! という人におすすめの作品。
■高瀬隼子さんプロフィール
1988年愛媛県生まれ。立命館大学文学部卒業。2019年「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞し、デビュー。著書に『犬のかたちをしているもの』『水たまりで息をする』(ともに集英社)がある。
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