「えっ、私が部長になるの!?」――。
ベストセラー「書店ガール」シリーズの著者・碧野圭(あおの けい)さんの『駒子さんは出世なんてしたくなかった』(PHP文芸文庫)は、働くすべての人のための痛快お仕事小説。
水上駒子(みなかみ こまこ)は42歳。出版社で働く管理課課長。専業主夫の夫と高校生の娘と平和に暮らしていた。ところがある日、駒子に昇進の辞令が出る。
異例の昇進に、社内を駆け巡る噂と陰口。足を引っ張る年上の部下と、同性のライバル。セクハラ・パワハラが横行する男社会で、駒子はどう闘うのか。
「誰かがやらないと状況は変わらない。だけど、自分は苦労を抱え込みたくない。できればほかの人に頑張ってもらって、自分は応援する立場にまわりたい。なのに、自分は貧乏くじを引いちゃったかな」
娘の澪(みお)は小学1年生になった直後、不登校になった。当時は編集者だった駒子も、フリーカメラマンだった夫の達彦も、仕事が不規則で帰宅が深夜になることもしばしば。どちらかが仕事を辞めて家庭に入るとなった時、達彦がいるべき、ということでふたりの意見は一致した。
「専業主夫という達彦の立場は、世間的には微妙である。本人は家事が好きで得意だし、専業主夫になることにも抵抗はなかった」
駒子がいる管理課は、編集部門の後方支援をする部署。上司の機嫌が職場の空気を支配すると考え、課長の駒子はなるべく機嫌よく過ごすことを心がけている。
編集部の頼み事や愚痴を聞くのも、上司の息抜きの相手になるのも、自分の仕事。「会社のおふくろさん。みんなに求められている自分の役割はそれだ」と、駒子は思っていた。
ある朝、達彦があらたまって「あのさ、駒子さん。(中略)カメラマンの仕事を再開しようかと思うんだ」と言った。思いがけない宣言に、駒子は動揺する。「家事もふたりで分担することになるのだろうか。(中略)正直面倒だな......」と思いつつ、「やってみたら?」と動揺を隠して言った。
「夫が反対するので働きに出られない、と嘆く専業主婦の話をたまに聞く。(中略)ここで反対したら、自分もわがままな夫連中と同じポジションに成り下がってしまう」
思いがけないことは続いた。出社すると、駒子は上司に呼ばれた。駒子の同期で、文芸三課課長の岡村あずさとともに。そして......。
「七月一日付でふたりを新規事業部所属とし、次長に昇進していただきます」
「来年度からは、どちらか片方を新規事業部の部長に昇進させることになります」
「新規事業部? なにそれ?」「なぜこんな中途半端な時期に辞令が出るの?」と、駒子の頭の中は驚きと疑問が渦巻く。ひとつのポストを目指して闘わされるなんて「嫌だな」と思ったが、もう決定事項とのことだった。
駒子と岡村の昇進が発表されると、社内中に噂が駆け巡った。「なんであのふたりが?」「女だから贔屓されてるんじゃないの?」......。
「噂や評判に一喜一憂していたら、会社ではとてもやっていけない」と自分に言い聞かせ、駒子はスルーした。正直、まだ気持ちがついていかなかったが、新部署の起ち上げに向けてやることはいろいろあった。
駒子の昇進と達彦の仕事再開のタイミングが重なり、そのうえ澪が「学校辞めようと思うんだけど」と言い出したことで、それまでの平和な日常は一変する。
「管理課でのんびり仕事することに自分は満足していた。こたつの中のようにぬくぬくした快適な環境だったのに、誰が外に出たいと思うものか」
上司と部下、同期、男と女の間で交錯する、嫉妬や中傷、駆け引き。どこの会社にもありそうだが、そうそう表面化するものではない。そんな生々しい人間模様が描かれている。「男に媚びて、男と同様の地位や扱いを手に入れている女」の意味で、駒子が「名誉男性」と呼ばれているという描写も。
何度痛い目に遭おうとも、めげずに体当たりしていくうちに、出世なんかしたくなかった駒子の心境に変化が......。
「そう、出世が嫌なんていつまでも子どもっぽいことを言っていても仕方ない。いま自分に与えられたこと、与えられた役割を精一杯頑張るだけだ」
人間のどろどろした一面に光をあてつつ、楽しくさくさく読める作品。本書は、2018年にキノブックスより刊行された単行本を加筆・修正し、文庫化したもの。
■碧野圭さんプロフィール
愛知県生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。フリーライター、出版社勤務を経て、2006年『辞めない理由』で作家デビュー。書店や出版社など、本に関わる仕事をする人たちのおすすめ本を集めて行われる夏の文庫フェア「ナツヨム2012」で『書店ガール』が1位に。14年『書店ガール3』で静岡書店大賞「映像化したい文庫部門」大賞受賞。著書に、フィギュアスケートの世界を描いた『スケートボーイズ』や「銀盤のトレース」シリーズ、「菜の花食堂のささやかな事件簿」シリーズ、『書店員と二つの罪』、『凜として弓を引く』などがある。
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