「尼将軍」として知られる北条政子は、言わずと知れた鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝の妻だが、二人の間に最初に生まれた女児が大姫。彼女はなぜ、20歳でこの世を去らなければならなかったのか。
2022年度下半期の直木賞候補作にノミネートされた永井紗耶子さんの『女人入眼』(にょにんじゅげん)は幕府と朝廷の権力抗争を背景に、この母と娘をめぐる悲劇を描く歴史小説だ。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、大姫をめぐる事件は重要なテーマとして描かれたが、本作が描く構図、そして政子と頼朝の役柄は様相を大いに異にする。また、大姫の死には諸説があるが、大河ドラマを記憶している読者には本小説の結末は衝撃的だろう。
大姫が生まれたのは、平家が全盛を誇る世であり、頼朝はまだ流人の身分だった。政子の属する北条という後ろ盾を得て、頼朝は挙兵し、「武家の棟梁」へと反転攻勢に踏み出すことになるのだが、「大姫がおらねば、私と北条との縁は切れていた」と作者は頼朝に語らせている。政子に大姫が生まれたことが頼朝の運命を変えたといえる。
大姫の悲劇は、平家打倒の騒乱の中で、源氏内部の主導権争いの末、木曽義仲を滅ぼした頼朝が、人質としていた義仲の子、12歳の義高を殺したことに始まる。義高は5つ年下の大姫の許婚(いいなずけ)でもあった。実の父に許婚を殺されたことを知った幼い大姫は、そのトラウマに苛まれ、心を閉ざし、病んでいく。それは武家の棟梁、頼朝の業(ごう)ともなっていく。
政子は他にも頼朝の子を産んでいるが、大姫以外は、「鎌倉殿」の子として自らの手で養育することはかなわない。手元で育てたたった一人の大姫への思い入れは、彼女が権力を握るにつれ、異様な形で膨れ上がり、周囲を恐怖に陥れていく。政子が大姫のために望み、強いていく桎梏は、今日でいえば、「毒親」と呼ばれる親子関係をも思い起こさせる。
本作は、そうした病んだ大姫を後鳥羽天皇の后として入内(じゅだい)させる計画を朝廷側から画策するため、鎌倉に派遣された女房、周子(ちかこ)の眼を通して描かれる。心を閉ざし、入内を拒む大姫に対して、入内すれば病も癒えると考える政子はますます入内という夢に憑かれていく。頼朝の入り込む余地もなくなり、母と娘の間に横たわる暗く、深い溝の淵で、大姫は何を考えて生きてきたのかが、次第に明らかになっていく。
親が子のためにと思い、お膳立てを用意することが、本当に子が望むことなのか。実は、親が己の満足感を満たすために自身の望みを子に投影し、子の心を支配していないか。
今なら、さしずめ、こんな物わかりの言いお説教を読み込んでしまうところだが、本作の政子にそんな綺麗ごとは無縁だ。自分は何があっても間違っていない、という信念のもとに行動を起こし続ける女として描かれる。
歴史的事実から言えば、大姫の入内は実現しなかった。そして、后となるはずだった後鳥羽天皇は退位し、後鳥羽院として院政を敷いて幕府と対立する。そして、幕府対朝廷の戦い、「承久の乱」が起きるのだ。大姫の入内がなされていれば、起きなかった乱といわれる所以であり、大姫入内の企ては鎌倉幕府最大の失策ともいわれる。
しかし、源氏将軍が3代で滅び、公家から将軍を得て、北条家による執権体制が始まったばかりの鎌倉幕府が、真の意味で朝廷から独立したのは承久の乱に勝利することによってだった。これがなければ北条家が真に最高権力を握れていたかどうかは疑わしい。
本作の末尾で、承久の乱の戦後処理が終わった後、乱で武士たちを反朝廷に駆り立てた尼将軍の政子と周子が、鎌倉で語り合う場面が出てくる。周子は政子を見つめて思う。
「過たぬ政子は、母として強いのではない。妻として強いのではない。この人はただ、ありのままに強いのだ」
強い女性であるがゆえに、娘とも、夫とも、あるいは息子とも分かり合えなかった政子は、大姫に続く頼朝、そして他の子の相次ぐ死を招き、その業をも背負い込んで、北条という基盤を朝廷よりも強固なものにせざるを得なかった。それが結果として日本の新しいしい時代を切り開いた。
後世、儒教の影響による男尊女卑思想から、淀君などと並ぶ「悪女」のレッテルを貼られることもある政子だが、徳川家康も徳川幕府の礎を築くにあたり、身内に無慈悲な扱いを強いたことは知られている。日本の新しい姿を作ったという意味では、政子の辣腕も家康と同じようなものだろう。良き母、良き妻より、強い女性権力者を時代が求め、政子が選ばれたといえるかもしれない。
「女人入眼」というタイトルは、この小説にも登場する天台座主の慈円が歴史書『愚管抄』に記した言葉だ。本作読了後、扉裏の『愚管抄』の引用に目を落とし、政子の苦悩の大きさをあらためて思った。
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