多感な10代の胸に秘めた将来への不安、子育てや仕事に追われた日々を顧みるときの寂しさ。そして老いゆく身では憔悴や悔恨の念がつのり......。それぞれに生き辛さを抱え、悩み傷つきながらも、かすかな光を見出して人生の道を懸命に歩もうとする人たちがいる。
『ゴールドサンセット』(小学館)は中高年の劇団をモチーフに、思いがけない出会いから育まれた人間模様が温かく描かれている。著者の白尾悠さんは、2021年末に惜しまれながら解散した「さいたまゴールド・シアター」から着想を得て、この小説を執筆したという。
「さいたまゴールド・シアター」とは、演出家の故・蜷川幸雄さんが主宰した55歳以上限定の劇団である。蜷川さんはかつて、<年齢を重ねるということは、様々な経験を、つまり深い悲しみや喜びや平穏な日々を生き抜いてきたということの証でもあります。その年齢を重ねた人々が、その個人史をベースに、身体表現という方法によって新しい自分に出会うことは可能ではないか?>。それが高齢者の演劇集団を創ろうと思った動機と述べていた。
この作品も、5幕のドラマから終幕へと続く演劇のように展開していく。第一幕に登場するのは、大人たちが作った世界の汚さや理不尽さが嫌でたまらず、「この世界から消えるべき理由」を考え続けている中学生の少女・琴音。あるとき老人がポケットから落とした小銭入れを拾ったことから、物語が始まる。
その老人は肩下まで伸びた白髪と長く白い髭はボサボサで、古びた灰色のコートの下は裸足につっかけサンダルという姿。「落としましたよ」と声をかけようとすると、いきなり全速力で走り出した。その顔には見覚えがあり、母と暮らすアパートの隣室に住む偏屈な老人だとわかる。彼は通行人たちに「くたばれ!死ね!破滅しろ!」と叫び、大仰な口調で「毒の霧に巻かれ疫病に取りつかれろ! 父の呪いの刃を浴び、貴様の五感なぞ傷だらけになって血を流せ!」などと喚き散らす。それはシェイクスピアの『リア王』の台詞だった。
自分への愛が最も深い者に最大の領土を約束したリア王は、愛が深すぎて何も言えない末娘と彼女を庇った忠臣を追放し、二人の姉娘たちに裏切られる。狂って放浪した後に再会した末娘は殺され、その遺骸を抱いたリア王も悲しみのあまり絶命するという悲劇だ。
心配して追いかけた琴音は横柄な態度をとる「ジジイ」に怒りをぶつける。「ねぇなんでそんなになってもまだ生きてるの? ここにそんな価値ある? それとも死ねなかったの?」と。琴音には、いじめによって自殺に追い込まれた同級生に声をかけられなかったことへの悔恨があり、深く傷ついていたのだ。そんな琴音に老人は「行くぞ!」と声をかけ、慌ててあとを追う琴音に「俺たちの舞台だ!」と、すごい勢いで走り出したのである。
こうして始まる物語は、時と場所も変わり次の幕へ転じていく。第二幕には、40歳を過ぎて会社から解雇された独身女性の千鹿子が登場する。求職と婚活に悩んでいるとき、独身のまま定年退職した叔母に写真を撮って欲しいと頼まれた。なんと叔母はさる有名な演出家が率いる中高年の新劇団のオーディションに応募したという。地味でつつましい叔母の挑戦に驚きながらも、台詞の練習に付き合いながら、千鹿子も自身の生き方を問い直す。結婚とは、仕事とは......と、その先に見えてくる答があった。
続く第三幕では、定年後の不安と不満をつのらせる元サラリーマンが出てくる。市民センターで開かれた高齢者限定の健康相談会に出かけたところ、偶然にも昔の仕事先の女性と再会する。彼女は素人中高年による劇団のメンバーで、市民参加のワークショップがあるからと誘われた。そこで二人はチームを組み、即興芝居をするが、それは仕事先の若い女性にパワハラ、セクハラする傲慢なサラリーマンの芝居。実は昔の自分と彼女の姿に重なり合い、互いに予期せぬ感情が湧きあがっていき......。
さらに第4幕では、娘夫婦と孫を亡くし、妻に先立たれた男性がいる。老いて薄れゆく記憶の中を漂うその男性を、幼い頃から慕ってきた若者とパートナーである演劇青年が見守っていく物語。そして第5幕で描かれるのは、家を守り、家族に尽くしてきた50代の専業主婦の姿だ。夫や娘にも蔑まれて葛藤する日々の中で、同居を始めた義母の若き日の秘め事を知る。それを機に自身も、「わたし」として生きることに目覚める物語である。
人生の黄昏と向き合う人たちのエピソードが絡み合い、終幕へと向かう。そこであの『リア王』を演じる老人の人生も明かされる。老優の心に去来するのは、若き日に果たしえなかった夢の残骸、取り戻しようもない最愛の人への悔恨。その舞台で、彼はいかなる金色の花道を歩くのか――。
読むほどに登場人物たちの心情に引き込まれ、いつしか舞台の観客になっている気分になる。各幕ではシェイクスピアやチェーホフ、イプセンなどの戯曲が活かされ、その名台詞も心に響く。やがて最後の幕が下りるとき、人生を歩むための希望の灯も見えてくることだろう。
(歌代幸子/ノンフィクションライター)
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