アメリカにおける「#MeToo運動」は、この本から始まった、という触れ込みに引かれ、本書『キャッチ・アンド・キル』(文藝春秋)を手に取った。映画業界のセックス・スキャンダルがテーマで、著者は2018年ピューリッツァー賞を受賞した。しかし、単純なスクープものではなかった。いくつもの重層的な構造が隠れていた。
著者のローナン・ファローは、アメリカ3大ネットワーク局の1つ、NBCの調査報道部門で働く記者だった。ハリウッドの大御所プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの性的虐待疑惑を追いかけるというのが本筋だ。ワインスタインは「セックスと嘘とビデオテープ」「パルプ・フィクション」「英国王のスピーチ」などを手がけた、業界では神様も同然の大立者だった。
著者は女優ミア・ファローの息子で、父親は映画監督のウディ・アレンというセレブ2世である。このことが、事態を複雑にする1つの要因になる。義姉のディランが父親のウディ・アレンを性的虐待で訴えたことについては、口を閉ざしてきた。そうした過去を封印してきたことが、決定的な局面である意味を持ってくる。両親についても折に触れて語っている。
取材を始めると、過去にワインスタインから性的虐待を受けた女優が次々と浮かんできた。話せないと断る「被害者」が多かったが、次第に協力者も出てくる。しかし、高額な金銭と引き換えに猥褻行為については口外しないという秘密保持契約書がネックになり、報道に踏み切れないまま時間が過ぎていく。
ワインスタインは報道をつぶそうと、さまざまな手を打ってきた。高額な費用で探偵事務所(イスラエル諜報機関由来の組織)を雇い、著者を尾行し、脅しをかけたり、著者と親しい弁護士にスパイ工作をさせたり、著者の会社のトップらに報道を辞めるように働きかける。
決定的な証拠をつかみ、報道に踏み切ろうとするが、法務部門から横やりが入り、頓挫する。直属の上司は自局では報道できないから、他のメディアで書いたらどうか、と言い出す始末だ。さらに、義姉の件で、この報道に何か特別なバイアスを持っているのではと問い詰める。
いつまでたっても日の目を見ないので、取材協力者たちが離反するのを恐れ、著者は「ニューヨーカー」誌へネタを持ち込む。ここで、再度事実関係に関する詳細なチェックを受け、いよいよ特ダネを出そうとする。その矢先に、ニューヨーク・タイムズ紙がワインスタインを名指しで告発した。ピューリッツァー賞は同紙の2人の記者との共同受賞である。
同紙は性的嫌がらせに触れただけで暴行には触れていなかった。すると、奇妙なことが起きた。記事が出た翌日、CBSニュースとABCニュースはスキャンダルを大々的に報じた。しかし、NBCは材料があるにもかかわらず、沈黙を続け、ワインスタイン側の反論を読んだだけだった。
数日後、暴行などにも触れた決定的な記事が「ニューヨーカー」誌のウエブ版に掲載された。見知らぬ人から多くのメッセージが届いた。性的暴行の体験を語る人もいれば、ほかの犯罪や腐敗の経験を語る人もいた。どの話も、権力の濫用や、政府、メディア、法曹界といった既存体制による隠ぺいがかかわっていた。
NBCをクビになりかけていた著者だが、「ニューヨーカー」誌の記事が出ると、NBCは手のひらを返したような反応を見せた。夜のニュース番組に出演させ、新たな契約も結ぶというのだ。クビを撤回するというニンジンをぶら下げられ、著者は悩む。
キャスターから「どうしてNBCニュースじゃなくてニューヨーカーでこの件を報道することになったんですか?」と突っ込まれ、逡巡する。迷った末に、NBCにいる時にすでに報道できる状態だった、と証言する。
NBCにおける将来は消えていくのが分かったが、記事に出てくれた女性たちの勇気をたたえ、インタビューは終わった。「セットから降りた途端に涙が溢れ出した」。
一連の報道の後、新たに数十人の女性がワインスタインを性的嫌がらせと性暴力で訴えた。ワインスタインはニューヨーク市警に逮捕された。100万ドルの保釈金を払って釈放されたが、最高刑に近い23年の懲役判決が出て、刑務所に収監された。
これで終わりかと思ったら、まだまだ続きがあった。ワインスタインの記事が出た翌年、NBCニュースのスキャンダルが明るみに出る。花形キャスターが複数の女性に性的不適切行為を行い、会社は彼女らと秘密保持契約を結んでいたことが分かる。問題なのはキャスターに留まらなかった。会社の上層部が同様の行為を行っていたことが次々と明らかになった。
こうした問題を長年、追いかけてきたのはナショナル・エンクワイヤラー紙であり、指揮していたのは経営するAMI社だった。彼らは記事のもみ消しのためにネタを買い入れていた。ワインスタインの一件でも、エンクワイヤラー紙はワインスタインと一体となってNBCに圧力をかけていた。トランプ前大統領ともズブズブの関係だった、と書いている。
本書のタイトル「キャッチ・アンド・キル(捕まえて殺す)」は、昔からタブロイド業界で使われてきた言葉に由来する。書かない代わりに脅すのだ。
また、ワインスタインはヒラリー・クリントンの有力な支持者だったことにも触れている。セレブとメディア、政界の距離が日本では想像できないほど近いアメリカの暗部をえぐり出している。
BOOKウォッチでは、トランプ前大統領らと親しかった億万長者のセックス・スキャンダルを暴いた『ジェフリー・エプスタイン 億万長者の顔をした怪物』(ハーパーコリンズ・ジャパン)を紹介したばかりだ。2つの事件の構造は驚くほど似ている。
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