世の中には、どの分野にも一定数「数字マニア」が存在する。
ここで言う「数字マニア」とは、数字で表現される情報には執着するが、それ以外の情報には鈍感になりがちな人を指す。たとえば野球なら、年齢も年俸も打率も背番号もOPSも知ってるけど、その選手の顔は覚えていない、というような人がいる。内容そのものではなく、「数字」という表現方法自体に他にはない独特の魅力を感じているのだ。
そんな「数字」の魅力に注目した本が、2020年8月19日、新潮社から発売された『番号は謎』(佐藤健太郎)だ。今回は、その中からいくつか印象的なエピソードを紹介する。
電話番号は、わたしたちの生活にもっとも身近な数字のひとつだろう。その電話番号が誕生したのは、1879年のこと。電話の発明者として有名なグラハム・ベルの友人の提案によるものだった。
さらに、日本で電話事業が開始されたのは1890年。アメリカとは違い、当初から番号が導入され、電話帳も発行されたらしい。とはいえ、掲載された電話番号は1番から269番までしかなく、紙一枚に収まる規模だったようだ。
当時、いち早く電話番号を所有していたのはどんな人々だったのか。地域ごとに電話番号は違ったようだが、東京の1番は東京府庁、2番は逓信省電務局、3番は司法省と、早い番号は役所が占めていた。7番以降は民間企業や個人が並び、三井物産や日本郵船など現在まで続く企業の名も見られるようになる。
この当時に個人で電話番号を持つというのは大変な名誉だったようで、並んでいる名前も渋沢栄一、岩崎弥太郎、後藤象二郎など、明治の大物ばかり。有名どころでは、早稲田大学創設者として知られる大隈重信も、現在では天気予報に使われている177番を個人で所有していたという。
その後、大正、昭和と時代が下っていくとともに、電話の加入者は順調に拡大し、使用可能な地域も広がっていった。昭和初期には、東京の加入者は10万人を突破し、その数だけ配布された電話帳は、広告媒体として大きな力を持つようになっていたらしい。1931(昭和6)年には、官製の電話帳が広告掲載を開始している。
これに目をつけ、フルに活用したのが和菓子の老舗・カステラの文明堂だ。当時の文明堂は、実演販売や二割増量のおまけ商法に加え、皇室御用達となって高級ブランドのイメージ作りを行なうなど先駆的な商法を次々打ち出す新興企業だったらしい。
文明堂は、電話帳の裏表紙全面を買い取って、「カステラ一番、電話は二番」という有名なキャッチフレーズつきの広告を大々的に掲載した。このフレーズは、当時大阪で繁盛していたすき焼き店の「肉は一番、電話は二番」という売り文句にヒントを得たという。
この宣伝には、3000円の広告料がかかったという。今の価格に直せば約2000万円だ。各電話局の2番の番号の買い取り費用もあったはずなので、当時としては桁外れの投資額であったはず。数字の分かりやすさは、それほどのコストを支払ってでも獲得したいものだったのだ。
数字の魅力に取りつかれた様々な人々の逸話が載っている本書。数字に魅力を感じるなら、一度は読んでおきたい一冊だ。
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