「妻は20年間、『緩慢な自殺』を試みていたのだろうか。否。必死で生きようとしていたのだ」――。
朝日新聞記者・永田豊隆さんの『妻はサバイバー』(朝日新聞出版)は、精神疾患を抱えた妻の介護と仕事、その両立に悩み続けた20年近くにわたる日々を克明に綴ったルポルタージュ。
「ぜひ書いてほしい。私みたいに苦しむ人を減らしたいから」。妻の言葉が後押しとなり、朝日新聞デジタルで始まった連載(2018年1月から6月)は大きな反響を呼び、100万PVを超えた。本書は連載記事にその後の日々を大幅に加筆し、単行本化したもの。
「妻に異変が起きたのは結婚4年目、彼女が29歳の時だった――激しい過食嘔吐、途切れない飲酒、大量服薬、リストカット、そして40代で認知症に」
本書は「第1章 摂食障害の始まり」「第2章 精神科病院へ」「第3章 アルコール依存」「第4章 入院生活」「第5章 見えてきたこと」の構成。
2002年秋。永田さんは34歳、キャリア10年目の新聞記者。妻は29歳、専業主婦。それまで平穏だった生活は、妻の激しい食べ吐きによって一変する。
大量の食べ物を胃に詰め込む、すべてトイレで吐く、昼となく夜となく繰り返す......この異様な行動は何なのか。永田さんが本やインターネットで調べてたどり着いたのは、「摂食障害」という病名だった。
「摂食障害」とは、1980年代から10代、20代の女性を中心に急増したと言われる食行動の異常を伴う病気。
極端に体重を落とす「神経性やせ症」(拒食症)、むちゃ食いする「神経性過食症」が中心。「神経性やせ症」は、食べなくなるタイプと大量に食べてから吐くタイプなどに分かれ、妻は後者だった。
永田さんは精神科を受診するよう説得を試みたが、妻は強烈に拒否した。「食べ吐きは、たった一つの私の部屋なの」と、たびたび口にした。
「つらい気持ちでいっぱいになった時、いつでも逃げ込める。そこにいる間だけは安心できる。秘密の場所だから、誰も立ち入らせない。――摂食障害という疾患は、彼女にとってそんな『部屋』のようなものだという」
なぜ「部屋」が必要なのか。それには、妻が親から受けた暴力が関係していた。結婚する前から妻は過食と嘔吐を繰り返していたことを、永田さんはその時知った。
深夜におよぶ過食嘔吐、前ぶれなく起こる感情の爆発、食費がかさみ破綻寸前の家計......問題は積み重なっていった。その頃、永田さんは妻に内緒で精神科医に相談している。医師の言葉が、腹にすとんと落ちたという。
「幼いころから暴力にさらされてきた奥さんは、常に緊張と恐怖のなかで生きてきたでしょう。ところが、永田さんと一緒に暮らすようになって、生まれて初めて安心できる環境におかれたわけです。言ってみれば、安心して症状を出せるようになったんですね」
2007年春。妻が初めて、「精神科か心療内科を受診する」と言った。何があったのか。じつは、この半年ほど前から知人男性による性被害を受けていたと、妻は打ち明けた。
幼少期の虐待、そこに新たに加わった性被害のトラウマ。摂食障害、自殺願望、幻覚、幻聴、極端な感情の浮き沈み、そして2008年頃から始まったアルコール依存......妻の症状はいっそう複雑になっていく。
これはあくまで永田さんの体験だが、精神疾患を抱える本人と、そばにいる家族がおかれた現実はこんなにも過酷なのかと、絶句した。妻を見捨てず、自身がつぶれず、よくここまでやってこられたな......と思った。
そこには職場の理解があり、医師、臨床心理士、ヘルパーや訪問看護師との出会いも欠かせなかった。そして何より、永田さんの受け止め方が大きかったのだろう。
「妻は間違いなく、私の問題意識を研ぎ澄ませてくれた。それまで見えなかったものを見せてくれた」
個人的な体験の報告でありながら、物事を隅々まで見渡して読み手に伝えているところに、新聞記者らしさを感じた。統計や時事問題をまじえつつ、家族を支える手立ての必要性を訴え、精神障害者への差別に対する問題提起もしている。
衝撃的な中身でありながら、わかりやすくて読みやすく、著者のメッセージがまっすぐ届く。
「このルポは妻と私それぞれの悪戦苦闘をありのままに報告したものにすぎません。彼女に対するサポートはそのままモデルにできるものではなく、むしろ反面教師にしてほしいところもあります。(中略)そうしたルポの限界を踏まえたうえで、似た状況にあって困っている方の参考にしていただくとともに、心病む人が生きやすい社会についてともに考えてくだされば幸甚です」
■永田豊隆さんプロフィール
1968年生まれ。読売新聞西部本社を経て、2002年に朝日新聞社入社。岡山総局、大阪本社生活文化部、大阪代表室、地域報道部、声編集で勤務し、現在はネットワーク報道本部。生活保護関連の報道で、07年と09年に貧困ジャーナリズム賞を受賞。
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