「ここではきものをぬいでください」
こう書いてあったら、「履物」なのか「着物」なのか迷うだろう。日本語の文章は、このように「、」と「。」がないと読みづらい場合がある。
ところが、日本語にはもともと句読点が存在しなかったのだそうだ。句読点のない日本語はどのように読まれていたのか? なぜ日本語に句読点が生まれたのか? 日本語の「、」と「。」の謎を、大東文化大学教授の山口謠司さんが『てんまる 日本語に革命をもたらした句読点』(PHP研究所)で解き明かしている。
「てんまる」が登場する前の日本語といえば、たとえば、和歌がある。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
『古今和歌集』におさめられている、在原業平の有名な和歌だ。「てんまる」は一つもないが、誰でも同じリズムで読むことができるだろう。切るところを迷うことはないはずだ。ただし、声に出した音をイメージしながら、あるいは、実際に声に出しながら読む必要があったのではないだろうか。目で意味だけを読み取ろうとするのは、案外難しいはずだ。
このように、日本語はもともと、リズムにのせて声に出して読み上げるものだった。和歌の「五七五七七」だけでなく、漢詩も「五言絶句」「七言律詩」などリズムのルールがあり、勉強すれば、漢字だけがずらりと並んだ文章を「てんまる」なしで読めるようになる。紫式部の『源氏物語』も、歌や詩ではないが日本語ならではのリズムで書いてあり、「てんまる」なしで読める。そもそも、『源氏物語』は当時の宮廷の女性たちの話し言葉をそのまま文字に書き起こしたものなのだそうだ。
「てんまる」がなかった頃の日本語には、歌や詩のルールや、現代日本語よりも複雑な文法のルールがあった。中学高校の古文の授業で、文法が覚えられずにうんざりした記憶のある人もいるのではないだろうか。たとえば「係り結び」。文中に「ぞ・なむ・や・か」が入ると文末が連体形になり、「こそ」が入ると已然形になるというルールだ。現代人から見ると何のためのルール? と思ってしまうが、『徒然草』の一節を読んでみると、係り結びの便利さがよくわかる。
折節の移り変るこそものごとにあはれなれもののあはれは秋こそまされと人ごとに言ふめれどそれもさるものにて今一際心も浮き立つものは春のけしきにこそあんめれ鳥の声などもことの外に......
この文章には、「(移り変わる)こそ~あはれなれ」、「(けしきに)こそあんめれ」の二箇所に「こそ‐已然形」の係り結びが入っている。このように係り結びが入ることで、「ここで文章が切れるのだな」とすぐにわかる。係り結びを頼りに、「まる」を補ってみよう。
折節の移り変るこそものごとにあはれなれ。もののあはれは秋こそまされと人ごとに言ふめれどそれもさるものにて今一際心も浮き立つものは春のけしきにこそあんめれ。鳥の声などもことの外に......
こういった、「てんまる」のかわりになる文法のルールは他にもある。たとえば漢文では、「也」「焉」「矣」などの漢字は「まる」の役割、「則」「而」などは「てん」の役割を果たす。江戸時代の契約書には、「候(そうろう)」という言葉が多用された。「~にて候」「致候(いたしそうろう)」「申上候(もうしあげそうろう)」などのように、「候」があるとここで文章が切れるのだとわかる。実は現代の日本語でも、「です・ます」や「だ・である」が同じような働きをしている。
よく考えてみれば、英語には、「is」など日本語に訳すときに「である」に相当する単語はあっても、「文章の切れ目を示す単語」はない。「This is a pen.」と、なんでもない単語で投げ出すように文章が終わる。「てんまる」のかわりになる言葉があるのは、もとは「てんまる」がなくても読めるようにできていた日本語ならではの特徴なのだ。
しかし、係り結びや「候」のような文法は現代日本語に残っていない。五七五七七のようなリズムのルールもない。文法のルールが簡略化され、冒頭の「ここではきものをぬいでください」のように、日本語は「てんまる」がなければ読めない言語になってしまった。
では、そんな現代日本語の「てんまる」は、いつどのように生まれ、どうやって広まっていったのだろうか。本書『てんまる』で、山口さんがじっくり「てんまる」の歴史を追い、さまざまな角度から検証している。普段当たり前に使っている「てんまる」だが、この本を読めば、日本語にちりばめられている「てん」と「まる」が、輝いて見える、かも、しれな、い。
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