2007年8月20日、12歳の少女がカナダ、ブリティッシュ・コロンビア州ジェデディア島の浜辺で片方だけの青と白のランニングシューズを見つけた。男物で、サイズは12だった。靴の中をのぞくと、靴下が入っていた。靴下の中をのぞくと、足が入っていた。
海岸に、人間の足だけが次々と漂着する。こんな見出しを見れば、誰もが「気味悪い」と思いつつ、「どういうことだろう」と興味を引かれるはずだ。気持ち悪いもの、怖いもの、タブーとされているもの。くさいとわかっていても、人はその蓋を開けたいという気持ちを抑えることができない。
『科学で解き明かす 禁断の世界』(日経ナショナルジオグラフィック社)は、そんな危ない好奇心をたっぷりと満たしてくれる一冊だ。英語版『ナショナルジオグラフィック』内で人気のブログ「Gory Details」から、記事を選りすぐって書籍化されたもの。「gory」は血なまぐさい、ぞっとするというようなという意味で、「gory details」は通常、そんなに事細かに言わなくても......のような文脈で使われる「おぞましい(までの)細部」という意味の慣用句だが、このブログでは文字通り、血なまぐさくてぞっとするようなおぞましいあれこれが紹介されている。
ただし、ただの猟奇趣味ブログではもちろんない。ナショナルジオグラフィックらしく、このブログの目的はあくまでも、おぞましい現象の数々を科学的に解明すること。だから、読み進めていくと「なんだ、そんな単純なことだったの?」と思う話もあるかもしれない。それもまた、科学の面白いところだ。しかも反対に、あまりにもはっきりと論理的に書かれるものだから、読みながら思わず顔をしかめて「もうその話はやめよう!」とまで思ってしまうエピソードもたくさんあるので安心してほしい。
さて、冒頭で触れた「人間の足が漂着する」事件を解説してみよう。少女が足を見つけた6日後、前回の現場にほど近いガブリオラ島の海岸沿いで、また別の足が発見された。2本の足は明らかに別人のものだった。履いていた靴が違ったし、それ以前に、どちらも右足だったからだ。警察には衝撃が走った。
付近の海岸では、翌年さらに5本の足が流れ着いた。連続殺人鬼か? 犯人は足に恨みでもあるのか? 世間では不安が高まった。以降12年間、バンクーバー島周辺のセイリッシュ海と呼ばれる水域では、計15本の足が発見された。セイリッシュ海南端のアメリカ・ピュージェット湾でも6本の足が見つかった。ハイキングブーツを履いていた1本を除き、すべてスニーカーを履いた足だった。
こんなに奇怪な事件だと、世間は刺激的な真相を期待するものだろう。実際、警察には連続殺人鬼だとか、移民を乗せたコンテナが海に沈んでいるだとか、宇宙人の仕業だとかいう情報が寄せられた。いったい真実は何なのか。このおぞましい謎を解明したのは、科学だった。
なぜ足だけが流れてくるのだろうか。その謎を解くために、2007年夏、カナダ警察の依頼を受けた研究者が、ある実験をおこなった。人間のかわりに、ブタの死体を海中に落としてみるという単純な実験だ。ブタはすぐに海底まで沈み、エビやロブスター、アメリカイチョウガニなどが大量に集まってきて、あっという間に食べられてしまった。
甲殻類などの海の掃除屋たちは、骨などの固くて食べにくい部分は避け、柔らかい部分をつつきたがる。足首は、靭帯や結合組織など柔らかい部分が多い。死体が食い荒らされているうちに、足だけが体から離れるのは当然だ。さらに、当時スニーカーの靴底に発泡素材を使うことが一般的になり、スニーカーを履いている靴はより浮きやすくなっていた。
加えて、地形や風向きの関係で、セイリッシュ海には足が流れ着くための条件が完璧にそろっていた。科学の力で論理的に調査すれば、拍子抜けするほどあっさりした真実が手に入るものだ。行方不明者のデータベースと照らし合わせて、現在では多くの足の持ち主がわかっており、一部の状況不明の足を除いて、殺人被害者のものだとみられる事例はない。
次は、おそらくすべての読者の身の毛がよだつ話をしたい。主役はみなさんおなじみ、壁やキッチンの裏側の世界に住みつき、ときどきふらりと姿を現すアイツ。そう、ゴキブリだ。
カリフォルニア大学バークレー校の研究室では、ゴキブリを押し潰してどこまでぺちゃんこになれるか試したり、脚を何本か引っこ抜いて走らせたりという拷問のような実験がおこなわれていた。ただし、研究者は決してゴキブリを痛めつけたいのではない。ゴキブリの生命力の強さがどれほどのものか調べたいのだ。
読者のみなさんが震えて逃げ出すであろう事実は、拷問のような実験の様子そのものではない。ゴキブリが叩き出した実験結果だ。プレス機にかけられたゴキブリは、体高が12ミリほどならば、全くダメージを受けることなく3ミリちょっとまで平たくなり、また元の姿に戻れることがわかった。どうりで壁のわずかな隙間に滑り込めるわけだ。そして脚を引っこ抜いて走らせる実験だが、2本の脚がなくなっても、彼らの走るスピードは全く落ちなかった。3本なくなると少し遅くなったが、それでも本来の7割程度の速さで走った。4本の脚がなくなり、たった2本の脚で走るときでさえ、6本脚の半分ほどのスピードだった。この結果を読みながら、記者は2本脚で走るゴキブリをイメージし、「気持ち悪!」と声に出してしまった。
研究者は、ゴキブリの体の構造をヒントにして、がれきの中や立ち入り困難な地形の場所での探索に役立つロボットが作れるのではないかと考えている。彼はハーバード大学に移ったのち、実際にロボットを作っていて、最新バージョンはゴキブリとほとんど変わらない速度で走る。ただしロボットは4本脚で、外見はゴキブリに似ていない(「HAMR-E」と画像検索してみてほしい)のでひとまず安心したい。
怖い、気持ち悪い、だけど知りたい。そんな好奇心に科学で応える、『科学で解き明かす 禁断の世界』。本書では他にも、「ペットは死んだ飼い主を食べるのか(その可能性はかなり高い)」、「頭を取り換える手術」、「脳に住み着く虫の話」、「うんちを使った治療」など、読む側の気持ちが引っ掻き回される36ものテーマが取り上げられている。
著者のエリカ・エンゲルハウプトさんは、人がおぞましい物事について知りたがる理由は、「そのことに対する恐怖心が和らぐからではないか」と考察している。確かに、漂着した足が連続殺人事件ではなくごく自然な成り行きの産物だとわかれば安心するし、ゴキブリもよくわからない気持ち悪い生き物ではなく、ある意味尊敬すべきすごい体の構造をもった気持ち悪い生き物だと思えるだろう。しかし記者の所感では、人間の「怖いもの見たさ」はそれだけの理由にとどまらないように思う。私たちはなぜ、ぞっとするものから目を逸らせないのか。あるいは逸らしたくないのか。その答えは、あなたが実際にこの本を開いて、死体や虫や排泄物のとりこになってみてから考えてほしい。ほら、もう気になってたまらない。
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