「熱く、性急で、誠実ゆえに傷つけあった――。」
日本を代表する歌人夫婦の永田和宏(ながた かずひろ)さんと河野裕子(かわの ゆうこ)さん。2人は1972年に結婚し、2010年に河野さんが64歳で亡くなるまで、38年間連れ添った。
本書『あの胸が岬のように遠かった 河野裕子との青春』(新潮社)は、妻が遺した手紙と日記を見つけた夫が初めて明かす、若き日の出会いと命がけの愛の物語。理想のおしどり夫婦とされてきた2人のイメージを一変させる、知られざる愛の記憶とは。
「『会ひ得しことを幸せと思ふ』と詠い、自らの死後、誰にも長生きして欲しいけれど、そんな長く生きて欲しい何人かのなかでも『つひにはあなたひとりを数ふ』と詠ったのが河野裕子であった。彼女が終生、そして全身で愛したのが私であったことを疑ったことはなかった」
戦後を代表する女性歌人の河野さん。彼女のもっとも有名な歌に「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫って行っては呉れぬか」がある。これは永田さんへの想いを詠んだものと、誰もが思っていた。
ところが、河野さんの死後、300通を超える手紙と10数冊の日記が見つかった。そこには「二人のひとを愛してしまへり」という言葉とともに、当時10代だった河野さんから永田さんへ、そしてもうひとり「N」という青年へのひたむきな愛の言葉が......。
果たして、河野さんが「君」と呼び掛けていたのは、その後、夫となり生涯をともにした永田さんだったのか。それとも青年「N」だったのか。河野さんが遺したメッセージに呼応するように、永田さんも驚くべき告白を連ねていく。
新潮社のサイトでは、本書の「はじめに」の試し読みができる。そこから少し紹介しよう。
2010年8月12日、河野さんは乳がんのため亡くなった。亡くなる前日まで、歌を作り続けた。
長生きして欲しいと誰彼数へつつつひにはあなたひとりを数ふ 八月十日
さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ 八月十一日
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 八月十一日(絶筆)
遺品を整理していたら、永田さんと河野さんが出会った頃から結婚するまでの5年分の手紙と、出会う前の高校生のときから結婚する前までの7年分ほどの日記が見つかった。永田さんは、長いあいだこの日記を開くことができなかった。
「私をどのように見ていたのかを知ることに対する怖しさも若干はあっただろうか。(中略)河野はほんとうに私で良かったのか。他にもっとふさわしい選択はなかったのか。私に満足していてくれたのか。後悔をしたことはなかったのか」
訊くことはつひになかつたほんたうに俺でよかつたのかと訊けなかつたのだ
そんな疑問が徐々に頭をもたげ始めた頃、永田さんは河野さんの日記を読み始めた。
するとそこには、永田さんと「出会う以前に作品を通してその存在を知り、たった一度の出会いによって、運命のように思いを寄せることになった一人の青年への思い」が綿々と綴られていた。夫としては複雑な心境に違いないが......。
「人を愛するということに、これほど一途になれる人がいるということに、そして、それをいきいきと自分の感性と言葉で書き残していることに、いまさらながら、感動に近い思いにとらえられたことを正直に告白しておきたい」
本作は雑誌「波」連載時から多くの反響を呼び、書籍化とともにドラマ化企画が進行した。ドキュメンタリードラマ「あの胸が岬のように遠かった~河野裕子と生きた青春~」(主演 柄本佑、藤野涼子)は、NHK 4Kで3月30日午前3:30~4:59(29日深夜)放送予定。続いてNHK BSプレミアムでも放送が予定されている。
永田さんは本書について、「どこかとことん熱く、波瀾ばかりだったような気のする、ある意味とても恥ずかしい青春の記」と書いている。河野さんが遺した手紙と日記が、永田さんの告白が、気になって仕方がない。
■永田和宏さんプロフィール
1947年滋賀県生まれ。歌人・細胞生物学者。京都大学理学部物理学科卒業。京大再生医科学研究所教授などを経て、2020年よりJT生命誌研究館館長。日本細胞生物学会元会長。京大名誉教授。京都産業大名誉教授。歌人として宮中歌会始詠進歌選者、朝日歌壇選者をつとめる。「塔」短歌会前主宰。読売文学賞、迢空賞など受賞多数。2009年紫綬褒章受章。近著に『知の体力』『置行堀』(第十五歌集)。河野裕子さんと1972年に結婚。2010年64歳で亡くなるまで38年間連れ添った。最後の日々を綴った著書に『歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子 闘病の十年』(新潮文庫)がある。
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