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川上未映子が描く、「甘美きわまる地獄めぐり」。

春のこわいもの

 川上未映子さんの『夏物語』(2019年)は、毎日出版文化賞を受賞し、2020年本屋大賞にノミネートされた話題作。英、米、独、伊などでベストセラーとなり、世界40ヵ国以上で刊行が予定されている。

 『夏物語』から2年半、最新作となる『春のこわいもの』(新潮社)が刊行された。

 ギャラ飲み志願の女性、ベッドで人生を回顧する老女、深夜の学校へ忍び込む高校生、親友を秘かに裏切りつづけた作家......。感染症大流行前夜の東京を舞台にした6篇を収録。

 こんなにも世界が変ってしまうまえに、わたしたちが必死で夢みていたものは――。感染症が爆発的流行(パンデミック)を起こす直前、東京で6人の男女が体験する、甘美きわまる地獄めぐり。これがただの悪夢ならば、目をさませば済むことなのに。

予期せぬ小さな再会

 本書は以下の構成。

きみに手紙を書く入院中のわたし。――「青かける青」
高級ホテルでギャラ飲みの面接を受ける女子大生。――「あなたの鼻がもう少し高ければ」
家政婦の大柄な後ろ姿を見て、若かった頃の自分の体を思いだす老女。――「花瓶」
自分と生年月日がまったくおなじ小説家の自殺を知ったあなた。――「淋しくなったら電話をかけて」
失くした手紙を探しに夜の学校へ忍び込む僕と彼女。─―「ブルー・インク」
高校時代の親友からの思いがけない電話に動揺するわたし。─―「娘について」

 ここでは、本書の約3分の1を占める「娘について」を紹介しよう。ある日、高校時代の親友の見砂(みさご)から電話がかかってきた。

 「べつに自分が何かをした覚えもないのに、不安とも後悔ともつかない感情が突きあげて緊張が走り、一瞬で汗をかく。そういう予期せぬ小さな再会が、わたしは怖い」

 見砂は裕福な家で、わたしは母子家庭だった。高校卒業後、見砂は美大に進学し、わたしはアルバイトを掛け持ちして生活費を稼いでいた。

 その年頃の多くの自意識過剰な若者がそうであるように、わたしたちも「いずれ何者かになるのではないか」と漠然と思っていた。見砂は「女優になるのだ」と言い、わたしは「小説家になれたらいいな」と思っていた。

 先にわたしが上京し、1年後に見砂もやってきて、ふたりで住むことになった。見砂の母親は過保護、監視体質、過干渉で、見砂によく電話をかけてきた。そのうち、わたしにもかけてくるようになった。

 同居を始めて2年が過ぎようとしたあたりで、ふたりの関係の雲行きが怪しくなり、よくわからないままその生活は終わった。今から15年ほど前になる。

奇妙な快感がじわじわと

 同居を解消したあと、見砂は家業を手伝いながら地元で細々と活動し、結婚した。一方、わたしは紆余曲折ありながら小説家になり、賞を獲ってベストセラーも出し、夢を叶えた。

 今頃になって、いったい何のために電話をかけてきたのかと思っていると、見砂の母親が亡くなったという。「えっ」とわたしが驚くと、「知らなかったの?」と見砂は言った。「わたしのお母さんと仲良かったでしょう」と――。

 電話を切ったあとも落ち着かず、わたしは見砂と同居していた頃を思いだした。見砂は潤沢な仕送りで「快適な修行時代を謳歌」していた。何もしていないのに、「わたしって昔から何をやってもうまくいかないんだよね」とこぼした。

 「役者ってそんな生ぬるい感じでなれるもんなの?」という言葉を何度も飲み込んだが、あるときわたしは言った。「ぶっちゃけ役者になりたいってそれ、どれくらいの気持ちなの? ぜんぜん伝わってこないんだよ真剣さが」

 「わたしはわたしの言葉の前でみるみる体を縮めていくような見砂を見つめながら、罪悪感ともはがゆさとも恍惚ともつかない、奇妙な快感が手のひらにじわじわと広がっていくのを感じていた」

 上京してしばらく経っても、良い出来事は何も起こらなかった。作家になることは難しいのではないかと、わたしは思い始めていた。一方の見砂は、演劇への熱意が感じられるようになり、やる気にみなぎっていた。

 これまでのわたしなら見砂を応援しただろう。ところが、わたしに異変が生じる。その豹変ぶりにぞっとした。


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 隠れていたものがでてくる瞬間を鋭く描いている。全篇を通して、人間の心の平常時から非常時の切り替わりが印象的だった。これはコロナ禍前とコロナ禍、というふうにも読めるのかもしれない。読み終えたとき、タイトルの「春のこわいもの」というフレーズがしっくりくる。


■川上未映子さんプロフィール

 大阪府生まれ。「乳と卵」で芥川賞、『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞および紫式部文学賞、『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、『夏物語』で毎日出版文化賞など受賞歴多数。『夏物語』は英、米、独、伊などでベストセラーとなり、世界40ヵ国以上で刊行が予定されている。世界でもっとも新作が待たれている作家のひとり。他の作品に『すべて真夜中の恋人たち』、『あこがれ』、『ウィステリアと三人の女たち』、『みみずくは黄昏に飛びたつ』(村上春樹との共著)などがある。


※画像提供:新潮社



 


  • 書名 春のこわいもの
  • 監修・編集・著者名川上 未映子 著
  • 出版社名新潮社
  • 出版年月日2022年2月28日
  • 定価1,760円(税込)
  • 判型・ページ数四六判・206ページ
  • ISBN9784103256267

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