「頭山満」と聞いても、ピンとこない人の方が多いだろう。日本の思想史や近代史に関心があれば、「日本右翼の源流」とされる玄洋社を代表する人物として、記憶しているだろう。戦前は日本を代表する「豪傑」「国士」として、国民に知られ、尊敬されたが、戦後は酷評され、名前も忘れられようとしていた。
だが、ここ数年、いくつかの著作に頭山の名前が挙がり、評者も初めて、頭山に関心を持ち始めていた。一つは、先崎彰容氏の『未完の西郷隆盛』(新潮選書、2017年)である。福沢諭吉、「東洋のルソー」と呼ばれた中江兆民、頭山満、文芸評論家の江藤淳らにとって、西郷は「反近代の偶像」だったとし、西郷隆盛の影響を論じていた。
もう一つは、駄場裕司氏の『天皇と右翼・左翼』(ちくま新書、2020年)である。頭山と中江兆民、アナキストの大杉栄・伊藤野枝夫妻ら「左翼」とされる人物との交流を紹介していた。また、日本共産党も戦前は玄洋社との関係が深かったことを指摘。「世界標準の社会科学用語としての右翼と左翼の概念と対立軸が戦前日本には適用できないことは明らかであり、その意味するところや実態は不明瞭である」という論点が新鮮だった。
そして、もう一つが本書『頭山満』(ちくま新書)の著者、嵯峨隆氏が昨年(2020年)上梓した『アジア主義全史』(筑摩選書)である。頭山をはじめ、宮﨑滔天、北一輝、さらに孫文ら中国のアジア主義者まで論じた、アジア主義の決定版通史とも言える内容だった。
中国革命の支援者として頭山を描いていて、頭山についての見方がかなり変わった。「右翼の頭目」くらいに思っていた浅薄な理解を反省した。
前著では群像の一人に過ぎなかった頭山をズームアップしたのが本書である。頭山の生涯をアジア主義との関連で書いた本は本邦初だろう。
嵯峨氏は静岡県立大学名誉教授。専門は中国政治史、政治思想史。著書に『近代中国アナキズムの研究』(研文出版)、『中国黒色革命論――師復とその思想』(社会評論社)、『アジア主義と近代日中の思想的交錯』(慶應義塾大学出版会)などがある。中国政治史に詳しいことが、本書の叙述の厚みとなっている。
冒頭、なぜ、頭山の歴史的評価が低いのか、理由を書いている。戦後、連合国総司令部(GHQ)による日本統治にも大きくかかわったカナダ人歴史家、ハーバート・ノーマンによる厳しい評価にふれている。
「彼は一九四四年に書かれた論文『日本政治の封建的背景』で、頭山を『粗野猥雑』で『<最上>のナチ型』の陰謀家として描き出しており、それはほとんど罵詈雑言の集積といってよいものである。また、彼のアジア主義は投機的なものに過ぎず、実際は侵略主義であったとしている」
また頭山は生前に体系だった著作を残していないため、「思想性」がないという中島岳志氏の指摘も紹介している。これに対して、嵯峨氏は頭山が無思想・無原則であったことにはならないだろうと反論している。
頭山の周辺の人物を介して残した言説を整理し、実際の行動との関連性を検討し、その「思想」を浮き上がらせたのが、本書である。構成は以下の通り(章タイトルと主な小見出し)。
第一章 福岡の地にて 少年時代から玄洋社設立に至るまで 第二章 皇道とアジア 金玉均支援活動と反ロシアの主張、孫文の革命運動への支援 第三章 中国からインドへ 頭山満のインド支援 第四章 中国の変革に向けて 孫文との最後の会見 第五章 日中戦争の中で 苦悩する頭山満
中国、インドとの深い関係がわかるだろう。頭山は日本・中国・インドが中心となってアジア解放に立ち上がるべきだ、と考えていた。実際、中国との関与が深かった。
「日本と支那とは数千年来、同文同種、地理的にも、民族的にも、人情的にも提携融合しなければならぬ立場にある。(中略)日本と支那とは天の与へた夫婦も同様だ。夫婦は諸外国が羨む位仲がよからねばならぬ筈だ」(『巨人頭山満翁は語る』)
中国が弱小国から脱出するには日本が手助けしなければならないという「上から目線」は終生変わらなかった。また、基本にあるのは「天皇道」であり、無条件に真理とされていた。
イデオロギー的に頭山を断罪するのはたやすい。しかし、本書が詳述している、朝鮮、中国、インド人士との濃密でこまやかなつきあいを知ると、現代の我々は何も行動していない、と思わざるをえない。
1941(昭和16)年9月、87歳の頭山は陸軍の東久邇宮稔彦から蒋介石との和平会談を試みるよう依頼されたエピソードを紹介している。頭山は中国行きを決心したが、当時陸相だった東条英機の反対で実現しなかった。
本書は「日中の提携を主張しながらも、それが侵略の容認と見なされる矛盾の中に、頭山のアジア主義の特徴があったということができるだろう」と結んでいる。
習近平の中国がいま周辺国への圧力を強め、膨張しようとしている。中国の「アジア主義」とでも言えようか。彼我の力関係が逆転した今、「アジアの連帯」の意味を問い直す作業が求められている。
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