「沼」とはオタク用語で、あるジャンルにどっぷりハマり、お金や時間をそこに使ってしまうことを指す。「推し」とは自分がハマっている対象のこと。「沼」という普通とは少し違うかもしれない幸せにハマってしまった女性たちのエピソードを、実際に取材してまとめたのが本書、『沼で溺れてみたけれど』である。
著者のひらりささんは、「劇団雌猫」というユニットのメンバー。2017年に出版した『浪費図鑑―悪友たちのないしょ話』(小学館)では、様々なジャンルに愛とお金を費やす人々の話を扱った。一方で「なにか/誰かにこだわりすぎてドツボにハマりかけた」人の話にも興味を惹かれたひらりささん。そこで、実際に「沼に溺れた人たち」に話を聞くことにした。本書に登場する人物は、20代から50代までと幅広い。
ここでは、いくつかの事例を紹介しよう。
数年間、「推し」と言える存在がいなかったひらりささんは、2019年に久々に推しに出会った。俳優のチェ・ジフンだ。ハマってから二カ月後、6年ぶりに韓国でファンミーティングが開催されるという情報を得たものの、色々と不安を感じて見送ろうかと考えていた。そんな時、背中を押してくれたのが58歳のユウコさんだった。
ユウコさんはひらりささんの母親とちょうど同じ年で、娘の一人がひらりささんと同じ年だという。そんなユウコさんが推すチェ・ジフンに出会ったのは2010年、49歳のことだった。とあるドラマの再放送を観てからあっという間にハマった。その後、年1、2回は韓国へ行くなどチェ・ジフンにかけたお金は総額120万円程度。ユウコさんは、ここまで自分が何かにハマるとは思ってもいなかったという。沼は、「いつどこでハマるかわからない」ということを教えてくれる。
そんなユウコさんは、推しを応援する「オタ活」を始めてからいいことばかりだと言う。
オタ活を始めてからのほうが、家族に対しても気遣いができていると思います。普段から夫も娘も率先して家事をしてくれるんですが、オタ活をするようになってから、私のほうも「ありがとう」「助かる」と積極的に声を出すようになったんです。
いいことはそれだけではない。
友達も増えました。ファングループに入らずとも、今はSNSがあるので、仕事・年齢・居住地域の違う"ジフ友"さんがたくさんいて、TwitterやInstagramでつながり、一緒に遠征をしています。人生、明らかに豊かになりましたね。
年を重ねると友達が減っていき、新しい出会いも少なくなるイメージがあるが、ユウコさんの場合はオタ活を通して友達を得ることができたようだ。オタ活ならではの気苦労も書かれているが、それを上回るメリットのエピソードが印象的で、素直に「羨ましい」と感じた。
「沼」らしい「沼」にハマった女性のエピソードも。いつの時代も人気のある占い。雑誌の巻末には必ずと言っていいほど占いコーナーがある。そして、今や占いをカウンセリング的に使うという人もいるほど。48歳のエミさんも占いやスピリチュアルにハマった一人だ。元JAXA勤務の科学ライターで、占いとは程遠いように思えるが、そのハマりようは、なんと1000万円も使ってしまうほど。
エミさんが占いに興味をもったキッカケは、幼い頃に祖父母の家で見つけた『神宮館高島暦』だった。「占いも時の概念ももともと政治を司る人たちが、先のことを知ることで不幸を減らそうとしてできたものなんですよ。......科学も、世の中を知ることで不幸を減らす学問とも言えます。」と語るエミさんは科学にも興味を持つようになった。
そして、社会人になったときには西洋占星術や魔女養成講座などの習い事に通うようになる。結婚生活や仕事が上手くいっていないと思っていたエミさんは、承認欲求があり「特別な自分になりたくて」スピリチュアルにハマっていったと振り返る。しかし、ある日を境に占いからいったん距離を置くことになる。
占いに自分の人生をゆだねないことが必須条件だとエミさんは言う。筆者も最近ひょんなことから占いを受ける機会があったのだが、あまりの当たりように危うく人生をゆだねてしまうところだった。エミさんは占いと良い距離を保つためのコツとして、支払いは現金払いにするなどを紹介している。
他にも、ママ活男にハマってしまった女性や不倫相手と暮らすために5700万円のマンションを買ってしまった女性なども登場する。沼に溺れて失敗したとしても、生活は続いていく。単なる幸不幸の話ではない。自分にはわからない世界でも、「生きているとそういうこともあるよね」と共感できる。本書を読んで、同じ趣味で盛り上がれる「推し友」がほしくなった。
■ひらりささんプロフィール
ライター・編集者。1989年、東京都生まれ。女性、お金、消費、オタク文化などのテーマで取材・執筆をしている。女性4人によるユニット「劇団雌猫」名義での共同編著に、『浪費図鑑ーー悪友たちのないしょ話』(小学館)、『だから私はメイクする』(柏書房)など。
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