「サバイブ、したのか? 俺ら。家族という<戦場>から」――。
窪美澄(くぼ みすみ)さんの著書『朔が満ちる』(朝日新聞出版)は、家族を「暴力」で棄損された者たちの「決別」と「再生」の物語。
史也は13歳のあの日、家庭内暴力をふるい続ける父を殺そうとした。過去を封印して生きてきたが、ある日出会った女性から、自分と同じ「におい」を感じた。
「人としての道ならば、十三の歳にとっくに踏み外している。もう踏み外したくはないから、僕はそのラインの上ギリギリで踏ん張っている。けれど、そのラインが引かれた世界の外側にひっぱりだそうとする人間があらわれた」
28歳の史也が、13歳の頃の夢を見るシーンから始まる。
青森の山村にある、ロッジ風の木造建築2階建て。リビングから母のうめき声が、「目が見えないよ」という妹の声が、そして父の怒鳴り声がする。
酒を飲んでは暴れ、家族に暴力をふるう父に対し、史也には「明確な殺意」があった。13歳で刑罰に問われないことは知っていた。ただ、父を殺せば、もう母とも妹とも暮らすことはできない。そうとわかっていても、史也は父を殺そうとしていた。
「自分のなかに黒い炎を噴き出す龍が住んでいる。いつそれが自分のなかから生まれたのかわからない。龍は僕に命令した。今だ、と」
斧を握りしめ、振り上げる。父の後頭部に斧がめり込む。
「ついにいやってしまった、という後悔ではなく、しとめた、という思いがわき起こる。(中略)僕はもう一度、斧を手に取り、父の頭に振り下ろす。何度も。何度も。何度も」
斧を抜くと、ぱっくりと割れた後頭部から赤黒い血が噴き出した。
史也は父を殺そうとしたが、殺してはいない。駆けつけた救急隊員に「お酒を飲んで階段から足を滑らせて」と母が言い、その「嘘」が「事実」になった。父は一命をとりとめたが、左半身の自由を失った。
「二十八にもなって僕はまだ、十年以上も前の夢を見る。正当に罰せられなかったという罪の意識か」
事件以来、史也は父にも母にも会っていない。弘前の伯母の家で暮らし、大学進学とともに上京。父に対する憎しみとともに、「母がもっと早く声を上げていれば」という母に対する憎しみも深まっていた。
「あの家で起きたこと。僕が父にやったこと。(中略)その夢はアラームを鳴らすようにあらわれた。忘れるな、と夢は僕に告げているようにも思えた」
本書の装丁の赤は、父の後頭部から噴き出した血を思わせる。手に取った自分自身が現場に居合わせ、返り血を浴びたかのようだ。
「こっち側の人間」か「あっち側の人間」か。史也はいつからか、会う人間をそう判断するようになっていた。「あっち側」は平穏無事に親に愛され、育てられた人間。一方の「こっち側」は、なにか、「におい」を感じる人間。
ある日、史也はその「におい」を感じる梓と出会う。青森にある乳児院の前に捨てられていたという梓。彼女も過酷な子ども時代を「サバイブ」した人間だった。
「『あなたもあたしと同じにおいがする。あなたはこっち側の人間だもの』
こっち側、という言葉は、僕の心の内側だけでつぶやかれている言葉だった。その言葉を女が口にしている」
同じ「におい」の史也と梓は惹かれ合い、物語の舞台は東京から2人の出身地・青森へ。「親につまずいた者同士」の、過去と向き合う旅が始まる。
個人的には、神戸連続児童殺傷事件の少年Aをテーマにした窪さんの著書『さよなら、ニルヴァーナ』(2018年、文春文庫)の印象が強烈に残っている。本書では何が待ち受けているのかと、緊張しながらページをめくった。
早速、冒頭のシーンに衝撃を受けた。さらに、1度は消滅したかに見えた父に対する殺意が、再び湧き上がってくる描写に圧倒される。
「僕の頭に浮かんで来たのは、父の命にとどめを刺す、という言葉だった。(中略)僕のなかに住む黒い龍が赤黒い炎を吐きだし、暴れ回っているような気がした」
タイトルの「朔」は新月を表しているという。物語は「三日月」「上弦の月」「十五夜の月」「下弦の月」「新月」と進んでいく。月の満ち欠けのように、史也と梓の心の変化をじっと見守った。
■窪美澄さんプロフィール
1965年東京都生まれ。フリーの編集ライターを経て、2009年「ミクマリ」で第八回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞。11年、受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』で第二十四回山本周五郎賞、12年『晴天の迷いクジラ』で第三回山田風太郎賞、19年『トリニティ』で第三十六回織田作之助賞をそれぞれ受賞。
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