警視庁を代表する「昭和の名刑事」と言えば、故・平塚八兵衛氏の名前が挙がる。吉展ちゃん事件など数多くの難事件を解決したことで知られる。今や、そうした「スーパー刑事」はいないのか。そう思っていたら、本書『完落ち』(文藝春秋)を読み、警視庁捜査一課で「伝説の刑事」と呼ばれる大峯泰廣氏の存在を知った。
著者の赤石晋一郎氏は元「週刊文春」記者のジャーナリスト。大峯氏がかかわった9つの難事件を通して、刑事がいかにして被疑者に立ち向かうのかを描いている。タイトルの「完落ち」とは、警察用語で全面自供のこと。取調室での心理戦の様子が生々しいノンフィクションだ。
ロスアンゼルス市ホテル内女性殺人未遂事件(1985年)、首都圏連続幼女誘拐殺人事件(1989年)、オウム真理教地下鉄サリン事件(1995年)、世田谷一家四人殺人事件(2005年)...と本書が取り上げている事件は、そのまま昭和、平成の事件史になっている。一部は未解決だ。
大峯氏は1948年生まれ。「刑事になりたい」と24歳で警視庁に入庁。交番勤務時代に職務質問で自転車窃盗犯を数多く検挙した実績を評価され、「刑事養成研修」に派遣され、その後、所轄署で刑事としてのキャリアをスタートさせた。
1980年、33歳で警視庁捜査一課に配属された。たまたま当時、首都圏で連続していたノックアウト強盗致死事件の取り調べに駆り出され、「マグロ」と呼ばれる仮睡盗犯から強盗の自供を引き出した。
身の上話をじっくり聞き、全てを知っているぞ、という雰囲気で諭すのが、大峯氏のテクニックだった。
4歳から7歳までの幼い少女4人が犠牲となり、日本中を震撼させた首都圏連続幼女誘拐殺人事件(1989年)で、宮﨑勤を逮捕したきっかけは、少女に対する強制わいせつ事件だった。「その時点ではまだ、宮﨑が連続幼女誘拐殺人事件の犯人だという見方をする者は警視庁内にはいなかった」。
不思議と宮﨑に興味を持ち、大峯氏は取調官に立候補した。雑談の中から誘拐現場の東京・江東区の東雲に近い「有明」の地名を聞き出した。
そこから宮﨑を落とすまでのやり取りが手に汗を握らせる。黙秘をちらつかせる宮﨑に対して、矛盾を突いて追い詰めてゆく。家族の話をすると、宮﨑は大きく深呼吸して、目が泳ぎ出した。
「お前は社会的に非難されるような犯罪を犯した。違うか?」
長い沈黙の後、宮﨑は自らの犯行を語り始めたという。
調べの極意は、魚釣りと似ている、と書いている。「間合い」「タイミング」「言葉の使い方」の3つが重要だそうだ。
オウム真理教による地下鉄サリン事件では、サリン製造のキーマンである土谷正実の取り調べにあたった。完全黙秘を続け、勾留期限が近づき、大峯氏は方針を変えた。「オウムを否定するのではなく、その信仰心を利用しよう」。
「麻原」と呼び捨てにするのをやめ、土谷と同じように「尊師」を使って話すようにした。また、新聞を読ませ、オウムについての情報を与えた。国会では「内乱罪」の適用という声が上がり、麻原が追い詰められていることを土谷に理解させた。
「尊師はこのままだと死刑になる。救えるのはお前しかいない。お前がサリンを作ったことを話せば、尊師は内乱罪の適用から逃れられるかもしれないぞ」
方便だったが、土谷はサリンの製造を認め、製造方法を饒舌に語りだしたという。
2011年、土谷の死刑が確定し、判決を前に、土谷が謝罪と後悔の念を綴った手記が各新聞社に寄せられた。事件から16年、洗脳は解けていた。
冒頭で一部は未解決だと書いたが、その筆頭が、序章のいわゆる「ロス疑惑」事件であり、第8章の世田谷一家四人殺人事件である。前者はマスコミが事件を発掘し、主導するという異例の展開だったが、大峯さんには大きな挫折として記憶された。
また、後者については未解決担当理事官に任命され、DNA鑑定による新たな手掛かりを得ていたが、新情報は上層部に握りつぶされた。そして2006年9月、警視庁を辞職した。
終章は、この手の本では異例だが、大峯氏が地域の荒れた中学校で7年間、不良生徒の指導にあたったエピソードで締めている。子供のうちに指導すれば、犯罪は抑止できると信じていたからだ。
「はたして幼児から"悪"だったという人間がいるだろうか。犯罪者には必ずどこかで歪んでしまった原因というものがある。それを知りたいと思ったからこそ、私は刑事という仕事に夢中になれたのかもしれない」
単なる手柄話の羅列とせず、刑事としての苦悩も描き、興味深いドキュメントとなっている。
BOOKウォッチでは、大峯氏について『肉声 宮﨑勤 30年目の取調室』(文藝春秋)でも紹介済みだ。
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