世のなかには誰でも出来そうな仕事と、なかなか難しい仕事がある。警察官という仕事は後者に属すると思う。中でも難しいとされる刑事の仕事について書かれたのが本書『警察官という生き方』(イースト新書Q)だ。著者は第62代警視庁捜査第一課長をつとめた久保正行さん。
捜査一課の仕事は、テレビドラマでおなじみだ。殺人事件などの凶悪事件を担当する。その大変さと、だからこそ味わえる充実感についてたっぷり書いている。
全体は「職場としての警察組織」「念願の刑事になる」「犯罪捜査の心構え」「捜査員を統率する」「警察官としての使命」に分かれている。「警察組織」など、各種の本に書かれている概要から始まり、自身の体験談に入っていく。「泥くさい刑事の仕事は ドラマよりドラマチック! 」「現場検証、聞込み、逮捕、取調べ......元捜査一課長が語る"犯罪捜査"の裏側」というキャッチが付いている。
警察官はしばしば悲惨な死と直面する。これが仕事の難しさのすべてだ。交通事故などはもちろん、焼死や不審死、殺人など、通常とは異なる人の最期を現場で見る機会が少なくない。加えて捜査一課の刑事の場合、遺体から事件の手掛かりを探し、解明し、容疑者を割り出して「落とす」という作業がある。だから誰にでもできる仕事ではない。久保さんも最初は事件現場でうろたえた。そのとき先輩から言われた。
「しっかり仏さんを観察するんだ。この仏さんは、我々にシグナルを残しているはずだからね」 爪には、犯人をひっかいたときの皮膚痕が残っているかもしれない。目の溢血点は首を絞められた跡だ。 「この仏さんは誰かに殺された。だから必ず、犯人の痕跡が残されているはずだ。俺たち刑事はそのシグナルをうけとらなきゃいけないんだよ」。
久保さんは1949年、北海道生まれ。67年に警視庁に入り、74年、捜査一課に異動。以後警視正までの全階級で捜査一課に在籍し、2008年に退官した。これまでにも『君は一流の刑事になれ』(東京法令出版)、『警視庁捜査一課長の「人を見抜く」極意』 (光文社新書)、『捜査一課のメモ術 』(マイナビ新書)などの著書がある。それだけ捜査一課の仕事を語り、伝えるプロとして信頼され、人気があるということだろう。
本書では「人間らしからぬ殺人者」が興味深かった。都内で頭のない遺体が見つかる。手掛かりが全くなかったが、徹底した捜査で身元を割り出した。捜査線上に浮かんだのは、かつて別の事件で捕まったあと、無罪を勝ち取り、「冤罪事件のヒーロー」と持てはやされた男だった。再び「冤罪」にすることはできない。どうやって完璧な証拠を集めるか。刑事ドラマさながらの息詰まる攻防がつづく。結論から言えば、今回は無期懲役が確定した。
男は被害者に対して「申し訳ない」という気持ちをついに一度も表明することがなかったという。それゆえ「人間らしからぬ殺人者」というタイトルを付けている。
捜査一課の刑事と他の警察官との決定的な違いについても書いている。それは一課で扱う事件は、死刑を求刑されることが多くある、ということ。つまり、被疑者を「死刑に持っていく」覚悟の取り調べが要求される。有期刑を想定した他の犯罪の取り調べとは決定的に違う。被疑者が罪を認めるということは死刑とイコールになる。「改心して真人間になります。一から出直します」という選択肢は、被疑者にはない。生きることをあきらめ、犯行を自供するしかない。そのことをはっきりと自覚させる必要がある。
刑事ドラマでは、容疑を認めない被疑者に「お前がやったんだろう、この野郎!」など机をたたき怒鳴りつけるシーンがあるが、実際にはそういうことはやらないという。むしろ、いったん被疑者の言い分を静かに聞く。それを理詰めか、もしくは情に訴えて突き崩す。
こんな取り調べもあった。被疑者が犯行を認めない。同僚の刑事が故郷を訪ねて母親に会う。近所の山の斜面にある父親の墓に案内してもらった。故郷の山や川、そして母親の写真も撮影して取り調べ室で被疑者に見せる。少し表情が変わった。そして、一つの苔むした小石を取り出し、被疑者の前に置いた。
「お父さんの墓石の脇にあった石だ」
すると被疑者の目が潤み、うなだれ、小石に向かって手を合わせた。こうして供述を始め、最高裁で死刑が確定した。
マスコミとの関係も興味深かった。捜査一課長ともなれば、毎晩必ず夜回りに記者が来る。かつて捜査一課を担当した新聞記者から聞いたことがあるが、当時の捜査一課長の奥さんは、夜回り、朝回りにきた記者を数えており、在職中に延べ2000人以上になっていたというのだ。訪問する方も、受ける方も大変だ。
ここでも久保さんのスタンスは徹底している。事前に容疑者の名前が報道されたりすると、すべてがぶち壊しになる可能性がある。逆に報道をきっかけに情報が集まることもある。したがって「マスコミは敵であり、味方」という微妙な間柄だ。
捜査一課長宅に行くのは、各社の捜査一課担当記者の中で「仕切り」と呼ばれるヘッドになる記者だ。それなりに取材経験があり、責任を自覚している記者たちだ。彼らとは常に「腹を割って話す」ようにしていたという。警察は犯人逮捕、マスコミは事件の実相を市民に知らせるのが仕事だ。お互いの目的の違いを認識しつつ、妥協点を見つける。捜査一課長の仕事を10とすると、捜査が7、マスコミ対応が3ぐらいの割合だったと振り返っている。
本欄では『宿命 警察庁長官狙撃事件』(講談社)も紹介している。
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