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あなたは、あの子にならなくていい。

どうしてわたしはあの子じゃないの

 どうしてわたしはあの子じゃないんだろう。ここではないどこかに、もっとわたしにふさわしい場所が必ずある――。特に若いころは、だれしもそう思ったことがあるのではないだろうか。大人と呼ばれる年齢になっても、その思いをひっそりと持ち続けている人も少なくないだろう。

 寺地はるなさんの本書『どうしてわたしはあの子じゃないの』(双葉社)は、他者への憧れ、嫉妬、後悔、根拠のない万能感という、なるべくなら内に秘めておきたい感情に光を当てている。

 わたしはあの子にはなれない。思っていた自分にもなれていない。それでも「あなたは、そのままでいい」のだと、読み手一人ひとりを肯定し、奮い立たせてくれる物語だ。

気持ちの「答えあわせ」

 寺地はるなさんは、1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞し、同作でデビュー。BOOKウォッチでは、山本周五郎賞候補となった『夜が暗いとはかぎらない』(ポプラ社)を紹介済み。

 本書のあらすじはこうだ。佐賀の田舎に生まれ、大人になったら東京に行くことを夢見る三島天。天の幼なじみで、彼女に特別な思いを抱く藤生。その藤生を見つめ続ける、都会育ちで人気者のミナ。三人は同級生だった。

 それぞれに憧れ、嫉妬、後悔を抱えながら、本音は口に出せずにいた。中学卒業前、互いにあてて書いた手紙に思いを込め、封をした。あれから別々の人生を歩み、三十歳になった三人。十数年ぶりに再会してあの時の手紙を読もうと約束するが......。これは思春期にすれ違った気持ちの「答えあわせ」である。当時の互いの気持ちを知った時、彼らは何を思うのか。

 本書は八話からなる。「二〇一九年」と「二〇〇三年」の二つの時間軸と、入れ替わる四人の視点。物語が何層にも重なり合い、ある人物の視点からは見えなかったものが、他の人物の視点から見えてくる構成になっている。

第一話 どうしてわたしはあの子じゃないの――二〇一九年・天
第二話 神さまが見ている――――――――――二〇〇三年・天
第三話 神さまおねがい―――――――――――二〇〇三年・ミナ
第四話 きらめく星をあげる―――――――――二〇〇三年・藤生
第五話 君はなんにも悪くない――――――――二〇一九年・ミナ
第六話 どこかに帰りたい――――――――――二〇一九年・五十嵐
第七話 いくつもの星をありがとう――――――二〇一九年・藤生
第八話 誰ひとりわたしになれない――――――二〇一九年・天

 あまり人に見せられない類の感情が、真正面からいきいきと描かれている。あっという間に惹き込まれ、おもしろい! というテンションをキープしたまま読了。寺地さんの作品には毎回ワクワクさせられる。本書の帯に「今最注目の著者がただ一人のあなたへ贈る感動の物語」とあるが、評者も気づけば寺地さんが気になる作家の一人になっている。

「うらやましい」という炎

 三島天は、自身にも生まれ育った村にも、極度のコンプレックスを抱えていた。ナイフみたいに尖り、周囲から離れ、敬愛するアーティストの音楽に没頭し、ただひたすらに東京への憧れを募らせていた。「身の程知らずでかまわない。わたしはぜったいに、ここを出ていく」。物心ついたころから、そう固く決意していた。

 時は経ち、進路未定のまま迎えた高校の卒業式。その翌々日、天は家出をした。東京に行けば、住むところも仕事もなにかしら見つかると思っていた。しかし、結局どうにもならなかった。三十歳になった現在、福岡の製パン工場に勤務するかたわら、副業でウェブライターをしている。十二年間、実家には帰っていない。小説家をめざして新人賞に応募するも、落選を繰り返し、理想と現実の間でくすぶっている。

 「自分が天賦の才能を持ち合わせていないことは三十歳にもなればわかる。だからこそ立ち止まって他人をうらやんでいる暇などない。自分の持っているもので勝負する方法を見つけるしかないのに、時々いろんなものに押しつぶされそうになる。さっき見た新人賞の、選考に残った人々の名前を思い出す。わたしと彼らでは、なにが違うんだろう。この人たちにあって、わたしにないもの。それはいったい、なんなんだろう」

 ミナは小学二年の時に村に転校してきた。中学卒業と同時に、また東京に引っ越していった。そして大学卒業後、就職先の先輩と恋仲になり、わずか二年で寿退社。天はミナのように主婦になりたいわけではない。それでも、気を抜くとミナをうらやむ気持ちが「醜くて臭い灰汁」として浮いてくるのだった。

 かわいくて、やさしくて、人の悪口を言わないミナ。生活費の心配をしなくていいミナ。ミナのことは大好きだ。一方で「うらやましい」という炎が、天の心の中でいつも燃えている。「仲の良い友だちにたいしてそんなふうに思っている自分がきらいだ。あさましくって、みっともない」。

「もうわたし、わたしでいいや」

 以上が、天の視点から見たミナである。ところが視点が入れ替わると、また違った人物像に見えてくる。天、ミナ、藤生は自身のこと、互いのことを、心の内ではどう思っていたのか。それがしだいに明らかになっていく。つくづく、表に見えているのはその人のほんの一部で、本質までは見えていないのだなと思う。

 天にとってのミナは、小学生のころから三十歳になった今でも完全に、憧れ、嫉妬の対象である。ところが、ミナにとっては天こそが、そうした存在だった。

 「天が天らしく行動すればするほど、『こういうもの』に沿って『なんとなく』行動しているわたしの軽薄さが浮きぼりになっていく。気づくことは苦しい。(中略)気づいても、わたしは天になれない。天になれないわたしは、藤生に選ばれることはないのだから、それならいっそずっと気づかないほうがましだった」

 では、天にとっての藤生はどうか。藤生はきれいな顔をしている。しかし、「正直あんまりかっこいいなどとは思えない。でも悪いやつではない」程度の認識だった。美男美女の藤生とミナが付き合ったらいいのに、とも。

 当の藤生はどう思っていたのか。

 「いつかみんな気がつく。藤生ってじつはたいしたことないんじゃないの、と。はやくそんな日が来ればいい。俺はきっとその時はじめて、のびのびとふるまうことができる。ごく狭い世界での人気者という役割から降りて、自分らしく生きることができるはずだ」

 そして「目の前ではないどこか」「俺ではない誰か」ばかりを見つめている「残酷なほど正直で、鈍感な」天にたいして、憤りと苛立ちを感じていた。

 「天ははやく現実を見るべきだ。『ここではない場所』が想像しているようなきらめく世界ではないことに気づいてほしい。そして傷ついて泣けばいい。その経験を経て、天はようやく知るだろう。この世に俺ほど天を思い、大切にする人間など他にいないということを」

 天の視点からは完璧に見えたミナも、淡々として見えた藤生も、心の内をのぞいてみると、なかなか激しい感情を抱いて葛藤していたことがわかる。そしてこれはそのまま、現実に置き換えることができるだろう。自分が誰かを嫉妬するように、自分も誰かに嫉妬されているかもしれないし、誰かに救われているように、誰かを救っているかもしれない、と思えてくる。

 「でももう、それでもいい気がする。(中略)もうわたし、わたしでいいや」
 本当は、思っていた自分になれなかった現実を直視するのはきつい。絶望的な気持ちになる。それでも、あなたはあの子にならなくていいし、そのままでいい。この物語はそう教えてくれる。


 


  • 書名 どうしてわたしはあの子じゃないの
  • 監修・編集・著者名寺地 はるな 著
  • 出版社名株式会社双葉社
  • 出版年月日2020年11月22日
  • 定価本体1500円+税
  • 判型・ページ数四六判・277ページ
  • ISBN9784575243475

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