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不倫、流産、そして再生。「底力」がすごいデビュー作!

カプセルフィッシュ

 デビュー作とは思えない、記憶に残る作品だった。大西智子さんの本書『カプセルフィッシュ』(光文社文庫)は、第8回小説宝石新人賞・優秀作「カプセルフィッシュ」に四編を加えた連作短編集。

 本書で描かれているのは「閉塞感を破り、再生を模索する姿」。先行き不透明ないま、読めばスカッとして、視界が開けるのを感じられるだろう。

 同賞の選考に関わった作家・唯川恵さんの解説が掲載されている。読者を物語に引き込む文章、書き込むタイミングのセンスなど、大西さんの筆力を絶賛した上で、こう書いている。

 「才能を感じさせてくれるに十分な候補作だったが、実は推した理由はもうひとつある。読み終わった時『ぜひ続きを読みたい』と思ったのだ」

 著者の大西智子(おおにし ともこ)さんは、1979年大阪府生まれ。京都光華女子大学卒業。2008年「ベースボール・トレーニング」で第26回大阪女性文芸賞を受賞。14年「カプセルフィッシュ」が第8回小説宝石新人賞・優秀作に選ばれ、翌年『カプセルフィッシュ』でデビュー。本書は、15年に刊行された単行本を文庫化したもの。他の著書に、生々しい描写力で迫りくる『にんげんぎらい』、「衝撃の問題作」とされる最新作『ふるえるからだ』(ともに光文社)がある。

カプセルに入った魚

 本書は「カプセルフィッシュ」「迷える蟻の行列」「結婚病」「静寂に寄せる波」「風の葬送」の五編からなる。不倫相手の子を流産し、会社を辞め、祖母の暮らす海辺の町へやって来て、海に潜り続けるのりこ。28歳。一方、学校が終わるとランドセルを背負ったままやって来て、日が暮れるまで砂浜に座っているぱちこ。小学三年生。

 のりことぱちこは砂浜で出会った。のりこが逃避行してきたいきさつ、ぱちこの両親、ぱちことクラスメイトのいざこざ、のりこの勤める診療所にくる変態男、お見合いパーティーでの撃沈、身内の死、新たな恋......。のりことぱちこの三年半が、基本はユーモラスに、時々シリアスに描かれている。二人の視点が交互に入れ替わり語られる。

 ここでは、表題作「カプセルフィッシュ」を紹介していこう。印象的な人物描写、のりこの男勝りな性格、辛い体験の切々とした描写、さらに、唯川さんも書いているとおり「深刻なことを深刻に書き過ぎないところ」に魅力を感じた。本書のカバーにある「不倫」「流産」の文字を見たときに想像したものとは、まったく異なる雰囲気が漂っていた。

 まず、タイトルの「カプセルフィッシュ」について。のりことぱちこが初めて会ったとき、海から上がったばかりののりこに、ぱちこはカプセルを差し出した。のりこが受け取ってみると、中に魚が入っていた。

 「海水と一緒に閉じこめられた白い魚。あきらかに動いてなかった。体をカプセルの丸みに沿って湾曲させ、ぬらぬらと揺れている。その閉塞感に、息苦しくなった」

 のりこはよくわからないまま、ぱちこの指に誘導されるように再び海に入り、膝までつかったところでカプセルを開け、魚を逃がした――。この不思議なやりとりをきっかけに、年の離れた二人は親しい間柄になっていく。

口を利かない少女

 ぱちこには謎がある。まず、なぜ砂浜に座っているのか。ぱちこは小柄で細身で顔も小さいが、目鼻口はくっきりと大きく、エキゾチックな顔立ちをしている。小麦色の肌やウェーブがかった髪からも、異国の雰囲気を醸しだしている。ぱちこの母親はフィリピン人。男をつくってフィリピンに帰った、と噂されている。それで毎日、ぱちこは砂浜で母親の帰りを待っているのだ。

 そして、ぱちこはなぜか一言も口を利こうとしない。この「ぱちこ」というあだ名は、クラスの男子が勝手につけたもの。口を利けないふりをしている、嘘つきの嘘っぱちだから「ぱちこ」。ぱちこがしゃべらないことについて、のりこはこう考える。

 「口を利きたくないのか、利けないのか、どちらかはわからないが、一度も私の言葉に返事をしたことがないし、そもそも聞いているのかもわからない。それでいい。私は好きなことを彼女にしゃべる。ただ、一方的に」

 ある日、ぱちこはしゃべらなかった理由をのりこに打ち明ける。

 「願いが叶うまで、なにかを断つの。私はお母さんが帰ってくるまで、誰とも口を利かないって決めてた。願いが大きいほど、断ちものも大切なものじゃなくちゃいけないっていうから、私は誰とも話をしないことに決めたの」

 そこにあだ名をつけた「クソガキ集団」がやって来て、「おまえの母ちゃん浮気して出てったんだって」とぱちこをからかう。のりこはムキになって応戦し、ずいぶん過激なセリフを吐く。

 「ほんっと、くだんねえことでぎゃあぎゃあ喚きやがって。こんなクソ田舎のガキは知らねえかもしんねえけどな、都会ではいまどき不倫なんて珍しくもなんともねえんだよ」

 のりこのスカッとするセリフの一例だが、これにはのりこの実体験が反映されている。

海に潜るときに考えること

 のりこは約半年間働きもせず、実家でぐうたらしていた。それがいまから一ヵ月前、「ばあちゃんちに行ってくる」と母に告げ、電車を四時間乗り継ぎ、海辺の町へやって来た。そもそもなぜぐうたら生活を送っていたのか。それは会社の同僚と不倫関係の果てに妊娠、流産し、会社を辞めたからだった。

 男に妊娠を告げたところ、金を積まれて「堕ろしてほしい」と懇願された。のりこは「意地でも産んでやる」とシングルマザーの道を覚悟するも、妊娠八週で稽留流産した。そうした事情がなぜか周囲に知れ渡り、会社にいられなくなり、引きこもり生活をスタートさせたのだった。

 「海に入っている間は気づかないのだけれど、お湯につかって初めて自分の体がどれだけ冷えていたか知ることがある。(中略)ちょうど今、そんな感じだ。ここへ来て、どれだけ自分の心が冷えていたかを知った気がする」

 のりこのあっけらかんとした性格をはじめ、物語全体のトーンは明るい。それでも、のりこの痛みが手にとるように伝わる。読んでいると、海は子宮を、カプセルに入った魚は閉塞感に閉じ込められたのりこを象徴しているのだとわかってくる。のりこが海に潜っているときに考えることは、いつも同じだった。

 「魂というものがあるのなら、今ごろここいらをさまよっているのかもしれない。魂はどんな色をしているのだろう。きっと、半透明で、クラゲみたいな、と思ったら本当にクラゲが漂っている。(中略)なにかが、するりと指の間から抜け落ちる。寒気がした。あの子はどこへ行ってしまったのだろう」

 「実際私はなにを失ったのだろう。(中略)赤ん坊を失ったことが哀しいのか、男との繋がりを失ったことが哀しいのか。よくわからないまま、号泣するタイミングも逃し、いつかちゃんと泣こうと思いながら今まできた」

 「私が抱えこんだ業を、赤ん坊に背負わせてしまった。(中略)きっとこれは私の罪だ。その証拠に、今でもたまに、子宮がしくしくと痛む」

 「クソガキ集団」に暴言を放ったのと同一人物とはとても思えないが、それほど人物描写の奥行きが深い。

 唯川さんの解説によると、大西さんは高校生の終わりごろ「生まれて初めて『小説らしきもの』」を書き、大学卒業後に六年ほど図書館司書をした。その間、投稿を続け、なんと十六年にも及んだという。

 「葛藤と自問自答を繰り返しながら、書き続けられたに違いない。そういう努力と胆力が、底力とならないはずがないのである」

 これは! と思える作品との出会いは不意に訪れる。評者にとって、本書はまさにそうした出会いとなった。のりこやぱちこのように心を痛めている、自分は「カプセルフィッシュ」かもしれない、という人にぜひ読んでいただきたい。



 


  • 書名 カプセルフィッシュ
  • 監修・編集・著者名大西 智子 著
  • 出版社名株式会社光文社
  • 出版年月日2018年10月20日
  • 定価本体780円+税
  • 判型・ページ数文庫判・319ページ
  • ISBN9784334777326

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