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辻仁成さん「必死で書き留めていた」

なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない

 「ぎゅうぎゅう詰めのテラス席から1m間隔のテラス席に......新型コロナの流行後、パリの絵が変わった」――。

 パリ在住の辻仁成さんによる本書『なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない』(あさ出版)は、「ロックダウンの最中に作家であるぼくが感じ、行動し、思った日々の記録」である。発売後ひと月も経たずに重版されている。

 本書は、辻さんがWebサイトマガジン「Design Stories」で連載していた日記を加筆修正し、書籍化したもの。2020年2月1日から6月18日まで、つまりパリのロックダウン直前からロックダウン解除後までを綴っている。

 辻さんは本書の出版依頼を受けたとき、スケジュール的に「無理でしょう」と一度は断った。しかし、読み返しているうちに「書いていた時には気がつかなかったことがそこに残されていること」に気がついたという。

 「一言で言うならば、このようなパンデミックの時代を生き抜く『人間の心構え』であった。(中略)ぼくがロックダウンの最中に考えていたことが、もしかしたら、これからも続く新型コロナ禍の時代に役立つかもしれない、と思うに至った」

「必死で書き留めていた」

 辻仁成さんは、1989年「ピアニシモ」で第13回すばる文学賞を受賞。以後、作家、ミュージシャン、映画監督、演出家として幅広く活動している。97年「海峡の光」で第116回芥川賞、99年『白仏』の仏語翻訳版「Le Bouddha blanc」でフランスの代表的な文学賞「ファミナ賞・外国小説賞」を日本人として初めて唯一受賞。著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国など各国で翻訳されている。

 辻さんはシングルファーザーとして、16歳の息子とパリで暮らしている。独特な雰囲気をお持ちで年齢不詳の感じがしていたが、今年で61歳になったという。3月17日から5月11日までの約2ヶ月間、パリでロックダウンを経験。「まさか、生きている間にこんなことを経験するなど、想像したことさえなかった」と当時の心境を振り返る。そして、本書についてこう書いている。

 「ぼくと息子の日本人父子がパリで経験したことが、ドキュメンタリー映画のように切り取られている。価値観の変更、異常事態をどう受け止めるのか、絶望から希望を取り戻す方法、親子で力を合わせてこの状況を乗り越えようと頑張った毎日、その精神の葛藤など、を必死で書き留めていたのである」

 本書は日記形式だが、辻さんも書いているとおり「どこか小説のよう」でもある。「」付きのセリフが多かったり、辻さんや友人が撮影した日々の写真が掲載されていたりして、視覚的で躍動感あふれる日記となっている。

 「気がついたら、この辺で知らない人間がいなくなっていた。態度がでかいし、目立つからね、仕方がない」という辻さんは、渡仏して18年。フランス人哲学者の友人と深い話をすることは語学力の点でむずかしいようだが、パリに馴染み、多彩な交友関係を築き、パリでの生活を大切に思っていることがわかる。

 「ぼくの街はユニークな奴らが大勢いる。アドリアン(哲学者の友人)を始め、いろいろな人間がそれぞれの思考を持って生きているこの街角に自分も棲息しているのだと思うと、ウキウキする。それがすでに一つの短編集みたいじゃないか」

日本のマスコミに一言

 本書は「第1章 新型コロナがやって来た」「第2章 未曽有の危機へ立ち向かう」「第3章 体も心も疲れ果てた時だからこそ」「第4章 世界が落ち着きを取り戻すまでにぼくたちが出来ること」「第5章 アフターコロナの世界では」の構成。

 本書から得られるものは、思ったよりずっと多様だった。まず日本以外の国の状況を知ること、次に海外から見た日本を知ること、そして家族や友人の大切さを再確認することができた。本書はロックダウンされたパリの記録という側面とともに、辻さんが予感したとおり、第三波が押し寄せているいまの私たちに役立つ教訓、意見、見通しという側面も持ち合わせている。

 日本で見る海外のニュースは断片的で、わかったつもりでもじつはよくわかっていないことが多い。2月20日のエピソードを読んで、そのことに改めて気づかされた。

 その日、辻さんは「『コロナウイルス、出て行け』パリ近郊の日本食レストランに差別的な落書き。現地に住む人(日本人)『外出とりやめている』」という日本の記事を読んだ。しかし、「そんな在仏日本人いるかなぁ? ちょっと大げさじゃないか」と、この記事に「噛み付いた」。そこで、「ちょっとデモがあると過激な部分だけを報道して、静かな行進に関しては触れない」マスコミに一言。

 「まさに、読者を煽っている。マスコミは数字を求める前にきちんと検証し、真実を伝えるべきであろう」

 その時点でこうした落書きはパリの中華街などでもすでに出回っており、辻さんは「なんでこれが急にニュースになったのか」と驚いたそうだ。先程の記事で取り上げられていた店の店構えは中華系の日本食店であり、中国人経営の店。その店は郊外にあり、周辺に日本人経営の和食店はあまりないという。

 「日本のメディアはこれを日本人へのヘイトと思っちゃいけないし、もう少し調べて書いた方がいい。こういう時節柄、そこだけが一人歩きするのは本当に危険である」

 コロナ禍では特に、真偽不明の情報どさくさに紛れて飛び交っている気がする。ここは一つ情報を鵜吞みにせず、冷静に選別する目を持ちたいところだ。

人生に疲れないための鉄則

 シングルファーザーとして家事・育児・仕事に奮闘する日々、年ごろの息子とのほどよく綿密なコミュニケーション、凝った手料理、友人や近隣住民との心温まるやりとり、パリの絵画のような風景......。

 「一つの短編集みたい」な辻さんのパリ生活が、まさに「ドキュメンタリー映画」を観ている感覚で読むことができる。さらに、各国の政治、医療体制、WHOなどにも斬り込み、時に辛口な主張を展開している。そこに文学的な表現、哲学的な思想が共存しているところが面白い。

 最後に一つ、2月15日のエピソードを紹介したい。この日は辻さんにとって「関係ない」バレンタインデー。「なんとなく投げやり気味な1日」だったという。息子が出かけたので食事の準備をしなくてよくなり、辻さんはセーヌ川の川辺を散策することにした。「揺れるセーヌ川の川面を眺めながら、そこに人生を重ねて」、こう書いている。

 「その流れは永遠だけれど、川面は瞬間瞬間で入れ替わっている。その流れは時に残酷であり、時に優しかった。時に冷徹で、時に温かかった。時に非情で、時に寛大であった。ぼくは今日、有難いことに、ちょっと疲れている自分をその流れの中に見つけることが出来たのだ」

 自分が疲れていることに気がつかない人も多いので、日頃から自分は人付き合いに疲れていないか、と自問する必要があるという。「気にしてもしょうがないことばかりだから、流す、ことが大切だ」。ここでは「人付き合い」の疲れとしているが、それは何の疲れにも共通するだろう。

 「『流す』という概念は人生に疲れないための鉄則だと思う。この大量の水の流れの一滴である人間に出来ることは、流れることを由として、その無常から心を逸らさずに、ひたひたと生きることかもしれない。気にせず、無理せず、流しつつ、流されつつ、人は流れていくのがいい」

 2020年がもうすぐ終わる。コロナ禍は「残酷」「冷徹」「非情」な川の流れに思える。ただ、これも無常であって、いまこの瞬間も流れている。そう思うことができたら、感じている疲れもいくらか軽くなりそうだ。

 「この一冊を手に取って下さった方々が、大事な日常を放棄しないよう、本書が寄り添えられれば、と願ってやまない」――。この一文がずっしり来た。そして「なぜ、生きているのかと考えるのが今かもしれないのである」と結んでいる。



 


  • 書名 なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない
  • 監修・編集・著者名辻 仁成 著
  • 出版社名株式会社あさ出版
  • 出版年月日2020年8月29日
  • 定価本体1300円+税
  • 判型・ページ数四六判・288ページ
  • ISBN9784866672243
 

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