欧米には人類史や世界史をテーマにした壮大な学術研究書が少なくない。本書『暴力と不平等の人類史―― 戦争・革命・崩壊・疫病』(東洋経済新報社)もその一つだ。本文と参考文献を合わせると700ページを超える大作。2019年に刊行され、その年の「エコノミストが選ぶ 経済図書ベスト10」の第2位となっている。
本書は今日のコロナ禍を予言したかのような側面も持つ。なにしろ副題に「疫病」が含まれているからだ。
冒頭に口絵写真が飾られている。アルブレヒト・デューラー(1471~1528)の名作「黙示録の四騎士」だ。馬にまたがった騎士が剣を振り上げ、弓を構え、何かに襲いかかろうとしている。躍動感あふれるデューラーの代表作の一つだ。
作品は新約聖書の「ヨハネ黙示録」を題材にしている。その中に四騎士が登場するのだ。それぞれの騎士は、勝利と支配、戦争、飢餓などを象徴し、疫病などで人間を死に至らしめる役割も担っているという。すぐにはわかりにくい何やら謎めいた暗喩が込められ、様々な解釈があるらしい。小説などで有名な「蒼ざめた馬」は黙示録の中で死を象徴する馬として登場するそうだ。
本書は、このキリスト教徒にはよく知られた物語を踏まえて、「四騎士」と、「戦争」「革命」「崩壊」「疫病」をヒモ付けしながら、論考を展開する。以下のように説明されている。
第一の騎士「戦争」・・・第二次世界大戦下の日本では、約250万人が戦死し、爆撃によりおよそ70万人の一般市民が命を落とした。そして戦後、上位1%層の富は9割下落した。 第二の騎士「革命」・・・毛沢東政権下で行われた「大躍進」政策により、4000万人以上にのぼる人々が処刑死・拷問死・餓死した。これにより、所得差を表すジニ係数が劇的に改善した。 第三の騎士「崩壊」・・・西ローマ帝国の崩壊により、あらゆる支配層が消滅した。これによりもたらされたのが、搾取の終焉・生活向上という平等化だ。 第四の騎士「疫病」・・・ヨーロッパに壊滅的な惨劇をもたらしたペストは、おそらく2000万人以上の命を奪った。世界は一変し、実質賃金は2倍以上になった。
著者のウォルター・シャイデルさんは米国スタンフォード大学教授。古典・歴史学教授、人類生物学ケネディ-グロスマン・フェロー。オーストリア生まれ.1993年ウィーン大学Ph.D.(古代史)。16冊の著書・編者があり、近代以前の社会・経済史、人口統計学、比較史が専門だという。
著者は、数千年にわたる人類史を振り返り、「文明のおかげで平和裏に平等化が進んだ時代はなかった」と考える。さまざまな社会のさまざまな発展段階において、社会が安定すると経済的不平等が拡大した。既存の秩序を破壊し、所得と富の分配の偏りや、貧富の差を縮めることに何よりも大きな役割を果たしたのは、常に暴力的な衝撃だった、と結論づけている。
「われわれはこう問う必要がある。巨大な不平等が巨大な暴力なしに減少したことはあったか、この『偉大なる平等化装置』の力と比較して、もっと穏やかな影響の力はどれほどのものか、未来が大きく異なる可能性はあるか、と。――たとえ、我々がその答えを気に入らないとしても」 (「序論」より)
人類の社会は長い目で振り返れば、少しずつ進歩してきたとされている。ではそれはどのようなことがきっかけで、どのような方法によって改善されてきたのか。古来、様々な理論にもとづいて分析されてきたが、本書は約2000年前の新約聖書の「四騎士」の物語の、今なお古びない暗喩を手掛かりに探る。
本書は以下の構成。
序論 不平等という難題 第1部 不平等の概略史 第1章 不平等の出現、など 第2部 第一の騎士――戦争 第4章 国家総力戦――日本の大規模な平等化、など 第3部 第二の騎士――革命 第7章 共産主義――全面的没収の実現、など 第4部 第三の騎士――崩壊 第9章 国家の破綻と体制の崩壊 第5部 第四の騎士――疫病 第10章 黒死病――暴力的ではない暴力的破壊、など 第6部 四騎士に代わる平等化のてだて 第12章 改革、経済危機、民主主義――平和的平等化、など 第7部 不平等の再来と平等化の未来 第15章 現代はどうか? 第16章 未来はどうなる?、など 補遺 不平等の限界
とりあえず「第5部 第四の騎士――疫病」を見てみよう。第10章で「黒死病」を、第11章で「流行病、飢餓、戦争――複合して発揮する平等化の効果」について記している。第11章の小見出しは以下だ。
・「死ぬために生まれてきた」――新世界の感染爆発 ・「死者の方が生者より多かった」――ユスティニアヌスのペスト ・「残ったのは廃墟と森ばかり」――アントニヌスの疫病 ・「何かに役立つには到底足りない」――飢餓は平等化装置たりえるか ・「人の住む世界全体が変わった」――平等化装置としての感染爆発とわれわれの知識の限界 ・「神はかつて高みにあったものをおとしめた」――30年戦争と疫病のアウクスブルク
目次を拾っただけで「疫病」「感染」などの今年のトレンド用語が頻発する。かなりの先見の明だといえる。「ユスティニアヌスのペスト」や「アントニヌスの疫病」は感染症の歴史の中ではよく知られているが、本書はそれが「不平等の縮小」に影響を与えたかという分析に力点を置く。実のところ、感染症の所得や富への影響が探られるようになったのは最近のこと。「ユスティニアヌスのペスト」などに起因する物価変動については、エジプトにおける証拠の分析が21世紀になってようやく始まったところなのだという。
著者は「平等化」のために大きな効力を発揮してきた4つの要因について精査しつつ、それらの限界も指摘している。たとえば感染症による平等化の効果は、あっというまになくなった。人口が回復すると元の世界に戻ってしまうのだ。
感染症は弱者を直撃することも伝えている。100年前のスペイン風邪の死者は所得水準に左右されたという。将来、感染症が大流行したときのダメージは途上国に大きいことを指摘している。
第6部では「四騎士に代わる平等化のてだて」を、第7部では「不平等の再来と平等化の未来」について検討している。20世紀になって戦争と革命で人類は史上最大級の大幅な平等化を経験したが、その後、世界の多くの地域が資本蓄積と富の集中に回帰したと分析している。
歴史的に見れば、平和的な政策改革では、今後大きくなり続ける難題にうまく対処できそうにないが、だからといって、別の選択肢はあるだろうか? と著者は問いかける。そして以下のように警告する。
「経済的平等性の向上を称える者すべてが肝に銘じるべきなのは、ごく稀な例外を除いて、それが悲嘆の中でしか実現してこなかったことだ。何かを願う時には、よくよく注意する必要がある」
本書は高価だが、刊行一年で6刷になっている。参考文献だけで100ページを超え、索引も充実している。欧米の一流研究者の力量、構想力を知るには格好の一冊といえる。結果的に、コロナ禍を見込んだ内容になっていることも魅力だ。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫)や、ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(河出書房新社)に通じるところがある。
BOOKウォッチでは関連で『世界史を変えた13の病』(原書房)、『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)、『イラスト図解 感染症と世界史 人類はパンデミックとどう戦ってきたか』(宝島社)、『コレラの世界史』(新装版、晶文社)、『人類と病』(中公新書)、『まんがでわかるカミュ「ペスト」』(宝島社)、『復活の日』(角川文庫)など多数紹介済みだ。
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