新型コロナウイルスとの戦いが世界に広がっている。このまま拡大が続くのか、なんとか収束の方向に向かうのか。本書『世界史を変えた13の病』(原書房)は感染症(疫病、伝染病)と人類の戦いを、世界史という枠組みで振り返ったものだ。わざわざ西洋社会で嫌われる「13」という数字をタイトルにしている。
腺ペスト、天然痘、梅毒、結核、コレラ、ハンセン病、腸チフス、スペイン風邪、ポリオなど知られた病名が並んでいる。中には「ダンシングマニア」(死の舞踏)、「ロボトミー」(人間の愚かさが生んだ『流行病』)、「嗜眠性脳炎」(忘れられている治療法のない病気)なども出てくる。
トップに登場するのは「アントニヌスの疫病」。上記の病ほどは世間で知られていない。(医師が病気について書いた最初の歴史的記録)という副題が付いている。
テーマになっているのは「ローマ帝国の崩壊」。強大な軍事力を背景に北はスコットランドから南はシリアまでを領地に繁栄をつづけたローマ帝国。本書はその衰退の一因に「疫病」があったことを強調する。
皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121~180)のお抱え医師、ガレノスが当時蔓延した疫病について詳細な記録を残していた。この疫病は165年から167年にかけてメソポタミアからローマに到達したとされている。
本書では、まず当時のローマの衛生状態が記されている。公衆トイレはあったものの、公共下水道につながっている個人住宅はほとんどなかった。排泄物はそのまま通りに捨てられていた。人々は浴場を利用していたが、殺菌されていなかった。マラリアや腸チフス、赤痢、肝炎などがしばしば蔓延した。
ガレノスは新たにローマを襲った疫病について次のように書き残している。
「患者は突然全身に小さな赤い斑点が現れ、一日か二日後に発疹に変化する。その後二週間、単純疱疹ができたあと、かさぶたになってはがれ、全身に灰のような外観が残る」 「黒い便はその病気の患者の症状で、生き延びるか死亡するかにかかわらず・・・便が黒くなければ、必ず発疹が出た。黒い便を排泄した患者は全員死亡した」
多くの患者が血を吐いた。病人の顔が黒くなれば葬式の準備を始めたほうがいいとも。もちろん治る患者もいた。「黒い発疹」が出れば生き延びる可能性がある。この疫病は、今では天然痘だったのではないかと見られている。総死亡者数は1000万人を超えたのではないかと推定されている。ローマでは毎日2000人が死んだとも。
ローマ軍の軍人たちも罹患し、軍がガタガタになる。それに乗じて一時はゲルマン人がローマにまで攻め込んできた。最終的には押し返したが、ローマ帝国の最強神話がぐらつくきっかけになった。
皇帝マルクス・アウレリウスもこの病気で死んだといわれている。『ローマ帝国衰亡史』で知られるギボンは、「古代世界はマルクス・アウレリウス統治時代に降りかかった疫病によって受けた打撃から二度と回復することはなかった」と書いているという。
さかのぼれば、紀元前430年にはアテネで疫病が発生。人口の3分の2が死滅したという。腺ペストかエボラウイルスによるものだったと見られている。『戦史』で有名な古代の歴史家トゥキディデスの記述が紹介されている。
「死亡率がどんどん上昇した。死にかけている人が積み重なり、半死半生の人間がよろよろと通りをさまよい、水を求めて泉という泉に群がった。寝泊りしていた聖地にも、そこで死んだ人々の死体があふれた。疫病が蔓延し、自分の行く末がわからなくなると、神聖だとか冒涜だとか、何もかもどうでもよくなったのだ」
このようにギリシャ文明もローマ文明も、疫病によって土台が揺らぎ、崩壊に向かったことを本書は伝える。古代の都市はおおむね城塞でおおわれていたから、その内部では疫病が持ち込まれると、短期間で蔓延したに違いない。今回のクルーズ船の姿とも重なる。
著者のジェニファー・ライトさんはニューヨーク在住の作家。医学史の研究者ではないが、巻末に膨大な参照資料のリストが掲載されている。
著者は、人類が疫病にすばやく対処できるかどうかは、医師や科学者の努力だけにかかっているわけではないと強調する。
「罹患者を罪人と見なして、文字どおりにしろ比喩的にしろ火あぶりにしてはならない・・・だが、新たな疫病が発生したとき、わたしたちは300年前と全く同じ過ちを犯す」
BOOKウォッチでは関連で『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)、『ウイルス大感染時代』(株式会社KADOKAWA)、『猛威をふるう「ウイルス・感染症」にどう立ち向かうのか』(ミネルヴァ書房)、『知っておきたい感染症―― 21世紀型パンデミックに備える』 (ちくま新書)、『感染症の近代史』(山川出版社)なども紹介している。
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