中国発の新型肺炎が日本にも押し寄せてきたことで、感染症に対する関心が改めて高まっている。本書『ウイルス大感染時代』(株式会社KADOKAWA)は2017年1月14日に放送されたNHKスペシャル「MEGA CRISIS 巨大危機 脅威と闘う者たち 第3集 ウイルス"大感染"時代~忍び寄るパンデミック~」を書籍化したもの。NHKスペシャル取材班と、科学ジャーナリスト緑慎也さんの共著だ。
第1章「新型インフルエンザの恐怖」、第2章「ヒトと動物のインフルエンザ」、第3章「新型インフルエンザ最新研究」、第4章「ジカ熱とたたかう」、第5章「インフルエンザ"大感染時代"の脅威」に分かれている。
この中でなんといってもインパクトがあるのは、5章だ。実際に日本で新型の強力なインフルエンザが発生したときのシミュレーションが掲載されている。
東京でまず、新型インフルエンザの最初の感染者が出る。2週間で全国35万人に拡大する。病院には患者が殺到、重症でも入院できなかった患者たちは待合室の椅子で横になって点滴を受けている。毒性が強いH5N1型の鳥インフルエンザの場合、肺以外にも感染が広がり、多臓器不全で亡くなる人が続出する。
政府は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づき、「新型インフルエンザ等緊急事態宣言」を行い、都道府県は住民に外出自粛を要請する。街から人が消え、物流は停止、世界中で感染が拡大しているので海外からの支援も受けられない。医療関係者も感染して治療現場は崩壊する。
政府は最悪の場合、3200万人が感染、致死率2%なら死者64万人の想定。火葬が追い付かず、公園や空き地に埋葬される遺体も・・・。
本書のこのシミュレーションは絵空事ではない。今回の中国・武漢市の様子と重なる部分がある。重症者でないと病院は受け入れず、点滴や酸素吸入なども十分ではないようだ。武漢は高層ビルが林立、人口約1000万人、巨大な近代都市だ。その武漢でさえも、大混乱に陥っている姿は、本書のシミュレーションに一段と現実感を与える。しかも本書で想定されている新型インフルエンザは、今回の新型肺炎よりもはるかに強力なものなのだ。
番組でも登場した田代眞人・元国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター長が語る。
「(犠牲者は)最悪の場合100万人は超えるのではないでしょうか。200万人くらいの死者がでる可能性もあると思います・・・社会機能そのものが崩壊する危機的事態も懸念されています」
この20年あまり、新しいウイルスによる感染症がたびたび報道されている。2003年のSARS、09年の豚インフルエンザ、12年からのMERS(中東呼吸器症候群)、14年のエボラ出血熱、リオ五輪前のジカ熱・・・。そのたびに、大きく報じられたが、日本では感染拡大がなかったこともあって、すぐに人々の記憶から消えた。
今回はちょっと異なる。実際に国内でも感染が広がり、亡くなる人が出ている。日本と関係の深い中国が大混乱し、日本政府のクルーズ船での対応も十分とは言えなかった。
本書で想定されている新型鳥インフルエンザ(H5N1型)はすでに1997年に香港で発生している。18人が感染し、6人が亡くなった。香港政府は鶏120万羽、アヒルとガチョウ40万羽を殺処分し、中国からの鳥の輸入を2か月間禁止した。感染源は広東省のガチョウとみられたからだ。その後も東南アジアなどで散発的に発生、累計死者は500人近い。致死率は50%を超えている。鶏にこのウイルスが見つかると、ただちに鶏舎全体の鶏を殺処分することが繰り返されている。
まだヒトへの感染は限定的だ。実際のところ、鳥インフルエンザがヒトにうつるには、ヒトの側に対応する「レセプター(受容体)」が必要。しばしば「鍵」(ウイルス)と「鍵穴」(レセプター)の関係で説明される。本書の説明を単純化して言うと、ヒトにも肺の奥深いところに鳥型レセプターがあるが、鳥とかなり濃厚接触をしない限り、感染しないらしいのだ。具体的には感染した鳥の粉塵を大量に吸い込む、生のまま肉を食べるなどだ。ゆえに限定感染にとどまっている。
では、どんな場合にヒトに感染しやすくなるのか。NHKの取材班は、世界的研究者の東大医科学研究所の河岡義裕教授に聞いている。河岡教授は、BOOKウォッチで紹介した『猛威をふるう「ウイルス・感染症」にどう立ち向かうのか』(ミネルヴァ書房)の監修者で、『インフルエンザ・ハンター』(岩波書店)の監訳者でもある。
河岡教授によると、H5N1型鳥インフルエンザのウイルス遺伝子は1万3500カ所。そのうち、わずか4カ所が変異するだけで、哺乳動物フェレットの間ではウイルスが空気感染するようになるという。フェレットはヒト型のレセプターを持つので、ヒトのインフルエンザ研究に使われている。ほんのちょっとの突然変異で恐ろしいことが起きうるのだ。ただし、フェレットに、ヒトの季節性インフルエンザウイルスを感染させたときほど効率的には伝播しないそうだ。それがなぜなのか、今のところはわかっていないという。
以上のように本書では「第2章」「第3章」などで最新研究についてもいろいろ紹介されており、参考になる。
大きな問いかけもされている。「インフルエンザは根絶できないのか」。答えは「できない」。なぜなら「人獣共通感染症」だから。ヒトのインフルエンザを根絶しても他の多数の動物のインフルエンザの根絶は不可能。ヒト以外の動物で維持されたウイルスが、ヒトに感染することを防げないからだ。エボラ出血熱、SARS、MERS、HIVなども同じく「人獣共通感染症」。未開地にヒトが踏み込み、さまざまな動物との接触が増えたことが一因だ。
鶏や豚は大昔から人類と生活を共にしてきた。近年、ウイルスをヒトにうつす存在としてクローズアップされてきた背景には、「高密度飼育」があるのではないかと指摘されている。狭い場所で大量に飼育されるようになったことと関係があるのではないか。密集した鶏舎などではウイルスの蔓延、増殖が早く、変異が起きやすいと言われている。本書では、高病原性鳥インフルエンザの発生地域と、東南アジアにおける家禽と豚の飼育密度地図との間に相関関係があることを指摘している。
同じようなことは、『パンデミック症候群――国境を越える処方箋』 (エネルギーフォーラム新書)にも書いてあった。日本の経済界で「チャイナ・プラス・ワン」が合言葉のようになっている。「中国リスク」を分散するため、「中国以外の国にもうひとつ別の拠点を設けること」だ。その場合、東南アジアやインド、バングラデシュなどが想定されていることが多いが、それらの地域こそ多様な感染症の多発地帯だと、同書は警告していた。
河岡教授のところではワクチン研究にも取り組んでいる。新型インフルエンザのパンデミックが始まっても迅速にワクチンを開発するための研究だ。BOOKウォッチでは『中国共産党と人民解放軍』 (朝日新書)や『超限戦』(角川新書)、『感染症の近代史』(山川出版社)などを紹介する中で今回の新型肺炎との闘いが「新しい戦争」の様相を呈していることを指摘した。こういう研究に対する助成を大幅に増やすことが必要ではないか。感染症病院や病床の増設も必要だろう。「戦争」だと考えれば、厚生予算ではなく「防衛予算」の転用も考えられるのではないか。国会でも議論が必要だ。実際のところ、中国が突貫工事で作った病院は人民解放軍が管理していると報じられている。本書や関連書を読んで、そんな感想を持った。番組の再放送もお願いしたい。
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