一般の人々を表す日本語はさまざまだ。大衆、庶民、民衆、市民、国民、公衆、人民。ニュアンスがそれぞれ違う。言葉の選択で、文脈がある程度想定できる。そのなかで「民衆」はもっともニュートラルな響きがある。本書『民衆暴力』(中公新書)はタイトルに民衆を選んだように、ごくありふれた人々の集団暴力というテーマが、政治的、社会的に偏らないように、慎重にバランスよく叙述される。
著者の藤野裕子さんは1976年生まれ。東京女子大学現代教養学部准教授。
本書は、明治初年の新政反対一揆、自由民権運動期の秩父事件、日露戦争後の日比谷焼き打ち事件、関東大震災時の朝鮮人虐殺を扱う。このうち朝鮮人虐殺事件がもっとも読みごたえがあるが、まず、近世から近代にかけての百姓一揆に触れたい。
百姓一揆というと、圧政に耐えかねた農民がむしろ旗、竹槍を掲げ、絶望的な蜂起をしたあげく、徹底的に弾圧され、そろって打ち首になる、というイメージがある。本書によると、江戸中期の百姓一揆には一定の作法があった。領主権力に、年貢の減免などの申したて(訴願)が聞き入れられないと、訴願の実行を求めて実力行使にでるのが百姓一揆であり、原則として武器を持ち出さなかった。派手なかがり火や法螺は合図であり、鉄砲も武器というより合図の鳴り物として用いられた。手にする鎌や鍬は農具だ。処罰も首謀者に限られ、一般参加者は不問に付されることが多かったという。根底には仁政イデオロギー(権力者は情け深い政治をしなければいけない)があった。
商品経済が農村にも波及し、貧富の差が増大し、仁政イデオロギーが機能不全に陥った江戸末期になると、こうした作法が崩れ始める。幕末の世直し一揆、さらに明治初年の新政反対一揆になると一揆側も鎮圧側も暴力化した。強訴の相手も、領主権力から豪商、豪農になり、打ちこわしや質屋、米穀商の襲撃、放火が起こった。注目すべきは、新政反対一揆では、賤民廃止令への反発から、被差別部落の襲撃があったという。民衆の集団暴力のベクトルは、下に向かうこともあるのだ。
自由民権運動の最大の武装蜂起として知られる秩父事件(1884年)は、中心メンバーに自由党員がおり、参加者も士族や豪農層にとどまらず貧農までも参加したことで、自由民権運動の精華と評価されることが多い。もっとも近年の研究では、要求が借金返済の猶予や学校休校などで、政治の近代化を求める自由民権運動そのものといえず、むしろ近世の世直し一揆との連続性でとらえたほうがいいという考察があるという。著者は両説を紹介したうえ、百姓一揆的な方法で動員をかけつつ、近代国家の象徴である軍隊を模した組織をつくり、明確に明治国家との対決を覚悟した点に、秩父事件の新しさを見ている。
日比谷焼き打ちは、最初期の都市暴動とされる。日露戦争のポーツマス条約に不満の政治家らが、日比谷公園で講和反対の国民大会を開いたあと、警察と群衆が衝突、群衆は新聞社、内務省公邸、派出所、キリスト教会、電車を次々に襲い、数日のうちに派出所や交番200か所以上が焼かれた。群衆の暴力行為が一か所にとどまらず、東京市内を大きく移動したこと、暴動の主体が、発端になった国民大会参加者に限らず、むしろ野次馬、見物客が次々と積極的に暴力行為に加担したこと、などが特徴という。「焼き打ち集団はメンバーが徐々に入れ替わりながら、東京市内を移動していった」(本書)。大衆の時代が始まったのだ。
1923年9月1日午前11時58分、南関東地方にマグニチュード7.9の大地震が発生、火災等で10万人が死亡したとされる。関東大震災である。この混乱の過程で、多数の朝鮮人が殺害された。本書によると、その数は230人(司法省)から6661人(在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班)までと幅広いが、数千人の何の罪もない朝鮮人が、日本人によって殺されたことは間違いない。加害者の多くは民間人・民衆、つまりフツーのおじさんたちだ。
「朝鮮人が混乱に乗じて暴動を起こす」などのデマが発端だった。デマ発生源は特定できないが、警察がデマや誤情報を、率先して流し、警戒を呼び掛けたという。町内に自警団が結成された。在郷軍人会や青年団が主な母体の自警団が、殺戮の主体になった。
本書には各所であった殺戮の様子が記されているが、引用を憚られるほどに残酷でおぞましい。
なぜ民衆が加害者になったか。
1 三・一独立運動(1919年)を契機に「不逞鮮人」という言葉が広まり、朝鮮人への差別感情、警戒感が増大。 2 震災で被災した避難民や女性・子どもを守るという意識 3 危機を自分たちの手で救い、国家に貢献するという誇り 4 土木、日雇い労働市場における朝鮮人との競合
などがあげられるという。
評者はもう一つ、戦争の影響を指摘したい。日比谷焼き打ちは日露戦争の直後、関東大震災時の朝鮮人虐殺はその18年後だ。自警団の主な担い手は徴兵経験者だった。刀で首をはねたり、生身の人間を槍で突き刺したりする行為は、戦場で殺し合いを経験した者以外はなかなかできまい。戦争は暴力とりわけ殺傷の敷居を低くするのだ。
反権力の意識と他民族や被差別部落を低く見る意識は、一人の人間や社会集団に矛盾なく存在し、時に激発する。著者は「『〇〇はなかった』『〇〇は正当防衛だった』と主張して都合の悪い過去を覆い隠そうとする歴史修正主義は、年々露骨になっている。この動きに流されないためにも、権力に向けた暴力と被差別者に対する暴力の両方を直視し、それらを同時に理解していく力が求められている」と説いている。
BOOKウォッチは関連で、『百姓一揆』(岩波新書)、『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』 (ちくま文庫)、『九月、東京の路上で』(ころから刊)、『関東大震災』(文春文庫)なども紹介している。
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