作家の吉村昭(1927~ 2006)さんは、大事件などを再取材した歴史ノンフィクション、記録文学で知られる。3.11東日本大震災後には、過去に書いていた『三陸海岸大津波』がしばしばメディアでとりあげられた。
1973年に刊行された本書『関東大震災』もそうした作品群の一つで、菊池寛賞を受賞している。その後、文春文庫に収められた。単に震災被害が克明に描かれているというだけではない。しばしば指摘される関東大震災のさまざまな問題点について、この段階でほぼ網羅して摘出しており、鋭い考察は半世紀を経ても全く色あせない。
有名な話だが、「関東大震災」は予言されていた。東京帝国大学地震学教室の今村明恒助教授は、すでに明治末に「50年以内に大地震が東京を襲う」「死者は10万から20万人に達する」という論文を発表していた。新聞も取り上げ、騒ぎが広がった。これに対し、同じ地震学教室の大森房吉教授は「全く根拠なき浮説」と否定し、同じ教室の中で両者の関係はぎくしゃくしていた。専門家の意見対立があった中で、「関東大震災」が大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、東京などを襲った。
本書はそうした前段から説き起こし、地震発生後に何が起きたか、実に詳細に描写していく。根拠にしたのは、すでに公刊されていた諸史料だけではない。まだ震災から半世紀ということで、実際に震災を体験した人、当時を知る人がたくさん生きていた。その人たちへの聞き取り調査や、関連取材をもとに東京、横浜を中心に未曽有の被害をもたらした大災害の実相に迫っていく。そのブルドーザー並みの剛腕ぶりと、精密時計のように刻々と時間を追いながら全体像を再構築する筆力には驚嘆せざるを得ない。
一か所で数万の犠牲者を出した「本所被服廠跡」の惨状。浅草吉原公園では火災によって多数の娼婦が亡くなった。ふだんから廓の外に出ることが許されていなかったために逃げ遅れたのだ。夜中の仕事のため、地震が起きたときはまだ寝ていた女性が多かった。犠牲者の密度という点では「本所」を超えていた。
「大津波」「富士山大爆発」の流言なども紹介されているが、もっとも興味深いのは、「朝鮮人来襲説」のくだりだ。本書では、なぜ「大虐殺」が起きたのか、その背景についての、クールな分析が際立つ。「明治43年(1910年)、強引に朝鮮を日本領土として併合」という歴史を踏まえながらこう記す。
「日本の為政者も軍部もそして一般庶民も、日韓議定書の締結以来その併合までの経過が朝鮮国民の意志を完全に無視したものであることを十分に知っていた。また総督府の苛酷な経済政策によって生活の資を得られず日本内地へ流れ込んできていた朝鮮人労働者が、平穏な表情を保ちながらもその内部に激しい憤りと憎しみを秘めていることにも気づいていた。そして、そのことに同情しながらも、それは被圧迫民族の宿命として見過そうとする傾向があった」
「祖国を奪われ苛酷な労働を強いられている朝鮮人が、大災害に伴う混乱を利用して鬱積した憤りを日本人にたたきつける公算は十分にあると思えたのだ」
「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を入れた」「襲撃してくる」の流言については、「日本人の朝鮮人に対する後暗さが、そのような流言となってあらわれたことはまちがいなかった」「これらの流言のすべてが事実無根で、一つとして朝鮮人の来襲等を裏づけるものはなかった」。
「自警団」についての記述はさらに強烈だ。「凶器を手にした自警団は、完全な暴徒集団に化していた」「暴徒はむしろ自警団員らであった」。
最近の地震や水害でも、「火事場泥棒」のような犯罪がしばしば報じられているが、関東大震災ではもっとひどかった。横浜では「横浜震災救護団」の腕章を巻いた一団が、市内の類焼を免れた商店などを襲い、掠奪をくり返した。「朝鮮人の暴虐」の流言のもとになった可能性も指摘している。これを真似する連中も出た。東京でも集団強奪が頻発した。焼け跡には銀行、会社、商店などの金庫なども放置されていたし、貴金属商は格好のターゲットになった。警察官や郵便局員を騙って金品や通帳を出させる、女性を誘拐して売り飛ばす、乳児を捨て子にする、官公吏が救援物資を横領する。急増のバラックでは賭博が流行した。物価は5割以上高くなり、中には2倍、3倍の高値になる物もあった。
こうした実例報告からは、震災のもう一つの側面、人倫の乱れが垣間見える。大杉栄事件についても言及されている。
本書は地震学者にとっても教訓があるし、警察、自治体、町内会、マスコミなど諸々の関係者にとっても参考になる。「防災の日」にはぜひとも読んでおきたい。 BOOKウォッチでは関東大震災については『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』『九月、東京の路上で――1923年関東大震災ジェノサイドの残響』など、江戸で起きた安政の大地震については『近世の巨大地震』などを紹介している。
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