サラリーマンの街と言われる東京・新橋。テレビの街頭インタビューがよく行われる西口のSL広場に隣接するニュー新橋ビルと線路をはさんだ東口の新橋駅前ビルは、雑多な店がひしめく「魔窟」ともしばしば形容される。本書『新橋パラダイス』(文藝春秋)は、その迷路に分け入った出色のルポである。
副題に「駅前名物ビル残日録」とある。二つのビルは数年前から再開発の動きがあるという。耐震性が懸念され、震度6強~7で倒壊する危険性が高い、と東京都が発表したビルの中に入っていたからだ。
戦後の闇市を取り込むようにマーケットが建てられ、東京オリンピック前後の市街地改造事業によって建てられた二つのビルが、今また再開発されようとしている。毎日、新橋に通勤し、両ビルの飲食店に出入りしていた評者だが、不気味で足を踏み入れることがなかった一角がある。ライターの村岡俊也さんが取材、執筆した本書の目次には以下のように妖しげな章タイトルが並ぶ。
第1章 マーケットの路地裏が遊び場だった 第2章 妖しい中国系マッサージ街の謎 第3章 "裏新橋"の入り口に立つ 第4章 カプセルホテルに暮らす演歌師のブルース 第5章 ピンクの部屋に棲む蜥蜴 第6章 駅のホームを見下ろす部屋で 第7章 生卵をかっ込みながら頭を刈る 第8章 スナックは魔の巣か団欒か 第9章 汐留再開発が支えた幸福の味 第10章 浮世と現実を昇り降り 第11章 水槽に映るファミリービジネス 第12章 二つのビルとチベットを行き来して 第13章 これから新橋はどこへ行く
ビルの雑多な店舗にふさわしいランダムな構成になっている。二つのビルでも特に「魔窟」ぶりが突出しているのが、西口のニュー新橋ビルだ。金券ショップ、飲食店、ゲームセンター、マッサージ店、アダルトショップ......。人々の欲望をすべて詰め込んだように何でもある。
「すべての通路が回遊できるように繋がっていて、行き止まりがない。まるで旅先の知らない街で今夜の宿を探すように、同じ場所を何度も行き来してしまう」
初めて行った人が特に驚くのが2階だ。エスカレーターで上がると、70ものテナントのうち半数近くがマッサージ店だ。ミニスカートの中国人女性たちが、「マッサージ、上手よ!」と声をかけてくる。
2階は時代ごとに流行の業種があり、出来たばかりの頃はほとんどが喫茶店だったという。その後物販の店、ゲームセンターと移り、シャッター街となっていたところを蘇らせるように増えたのが中国人経営のマッサージ店だ。
日本人が経営する店で働いていた中国人女性が独立し、軌道に乗ると、次々と同胞を呼び寄せ、新しい店を開いた。その繁盛ぶりを見て、別の中国人が出店した。
その中国人女性に代わり、実務一切を担当しているという男性に話を聞いた。「性的サービスをしている店があるか?」という質問に、流暢でもない日本語で「そんなものないよ」と即答した。だが、「スペシャルあるよ」とささやくマッサージ嬢もいると村岡さん。
ビルの由来についても古い入居者たちの話が出てくる。東口には「狸小路」と呼ばれる一角があり、戦争未亡人や踊り子さんが一人で切り盛りする隠れ家的な店があったという。そのため新橋駅前ビルの地下1階には、あえて裏通りのような狭い路地をつくったそうだ。
ニュー新橋ビルの10階、11階は居住用として分譲された。今は事務所や店舗の休憩室、倉庫に使われ、実際に住んでいるのは4世帯だけだ。地下1階で小料理屋を営む85歳の名物女将が取材に応じた。洋服がぎっしり詰まった30平方メートルのワンルーム。一日置きに美容院で髪をセットする以外には、ビルから出ることはないそうだ。窓のすき間からは山手線のホームでスマートフォンをいじっている姿がはっきりと見えた、と書いている。
栃木県の小山市から新幹線で週6日、中国人ママが経営するスナックに通う常連さん、着物姿で自転車通勤する76歳のスナックの女将...、ディープな人がさまざま登場する。「昭和」が煮詰まったような、懐かしい話が満載だ。
「残日録」とある通り、この「パラダイス」が続くのもあとわずかかもしれない。
BOOKウォッチでは、新橋の古層を探索した本橋信宏さんの『新橋アンダーグラウンド』(駒草出版)を紹介済みだ。
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