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小説のようなビジネス・ドキュメンタリー ある電鉄マンの泣き笑い

MaaS(マース)戦記

 そこそこ会社で実績を上げたと自負しているサラリーマンが、まったく知らないプロジェクトを任せられたら......。本書『MaaS(マース)戦記』(講談社)は、未来型の交通サービスの立ち上げにかかわった鉄道マンが書いたビジネス・ドキュメンタリーである。

MaaSの立ち上げ命じられた著者

 そもそも「MaaS(マース)」とは何か? 「Mobility as a Service」の略語だ。移動をサービスとしてとらえる新しい概念のこと。具体的にはスマートフォンなどで、それぞれの需要や目的地に応じて、最適な交通手段が提示され、その際の乗り換え経路や料金が表示されるほか、予約やチケット購入もできるサービス。また、そのことを可能にする、交通体系や社会制度のこと。

 2015年、フィンランドのヘルシンキを皮切りに、欧州の数都市でサービスを開始したが、日本では取り組みの実例はなかった。

 著者の森田創さんは、2018年当時、東急電鉄の広報課長だった。社長からいきなり、MaaSの立ち上げを命じられ、部下3人のプロジェクト・リーダーに異動する。何のことかもわからず、途方にくれるところから小説タッチで始まる。

 本書は伊豆半島を舞台に日本初の観光型MaaSを立ち上げる過程を描いたビジネス・ドキュメンタリーだが、森田さんが主人公のビジネス小説のように面白く読める。森田さん、なかなかの才人なのだ。

 1974年生まれ。東京大学教養学部人文地理学科卒業。1999年、東急電鉄に入社。渋谷ヒカリエ内の劇場「東急シアターオーブ」の立ち上げを担当。その後は前述の経歴をたどる。

 一方では物書きとしての顔がある。2015年、初の著書『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』(講談社)で第25回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。その他の著書に『紀元2600年のテレビドラマ ブラウン管が映した時代の交差点』(同)がある。

小説のキャラのような部下たち

 ビジネス書の体裁を取らず、小説のような仕立てにしたのは、そうした実績があったからだろう。3人の部下もまた小説のキャラのような人たちだ。

 ・日本人とアメリカ人のハーフで母国語は英語の岩田なほみ、43歳。森田さんと同い年、タメ口で話す。アメリカでSE経験あり。グループ会社からの出向。
 ・主査(課長相当)の三浦鉄也は、ソニーから転職してきた57歳。人脈、情報量、アイデアに優れる一方で、「チームプレイに向かない個人プレイヤー」という声も。
 ・岩瀬祐人は最若手の32歳。大学院で機械工学を専攻し、鉄道で車掌を経験。広告系子会社に出向し、3年間ひたすらパワーポイントを作っていたという噂も。

 2018年4月にチームが動き出し、1年後には実証実験が始まる超タイトなスケジュール。アプリの開発、JR東日本や地元交通事業者との協議、商品の開発、補助金の申請などやることは山ほどあった。その怒涛の日々を「伊豆の雨と夕陽」「ショー・マスト・ゴー・オン」「伊豆の風になれ」など22の章に綴っている。

伊豆とかかわり深い東急

 なぜ東急の人が伊豆で? と思われる人もいるだろう。東急の創業者、五島慶太は、レジャーブームの到来を見越し、首都圏に近い伊豆に目をつけた。ライバル・西武と鉄道路線申請をめぐる熾烈な争いの結果、系列の伊豆急線を開通させた。複数のホテルや会員制リゾート、別荘地開発など、グループでさまざまな事業を展開しているところなのだ。

 MaaSは、利用者からすれば、スマホですべて完結する便利なものだが、交通事業はエリアごとにほぼ独占的に事業をしているから、その調整がカギとなる。

 下田でオンデマンド交通を行おうとしたら、地元バス会社の路線と競合する。反省を踏まえ、森田さんはこう書いている。

 「地域交通には歴史の重みがあり、あらゆる交通をシームレスにつなぎ、軽やかに見えるMaaSも、歴史の磁場から自由になれないということだ。交通事業の恐ろしさを感じた」

 このサービスは「Izuko」と名付けられ、実証実験が2段階で行われた。しかし、アプリの不具合や致命的なエラーが発生、トラブルを抱えながらの日々が続いた。

 決済機能を実装することが出来なかったため、ドイツ製のアプリから日本製のウェブへと切り替える修羅場もあった。そして、岩田の退職。実証実験のフェーズ2の終盤は、今年の新型コロナウイルスの流行と重なった。まさに小説のような展開......。伊豆でもあらゆるイベントがキャンセルになる中、3月10日まで実験は続けられ、デジタルフリーパスなど商品は6166枚を売り上げた。そして壮大な実験はひとまず終わった。

 森田さんはアフターコロナでは、交通や観光チケットを事前決済できるMaaSが一層推奨されるはずだ、と期待している。そして観光やワーケーションで伊豆に人々が戻る日も。

 MaaSは、交通や観光だけではなく、不動産、生活サービス、医療分野などと組み合わせ、人口減少時代に地域課題解決のための公共的役割も担うと見られている。今後、日本各地で取り組みが始まるだろう。その最初の取り組みが、こうしたストーリーになったのは喜ばしいことだ。鉄道オタクの評者も教えられるところが大きかった。

 BOOKウォッチでは、鉄道関連で『鉄道路線誕生秘話』(交通新聞社新書)、『ふしぎな鉄道路線』(NHK出版新書)、『電鉄は聖地をめざす』(講談社選書メチエ)などを紹介済みだ。

  


 


  • 書名 MaaS(マース)戦記
  • サブタイトル伊豆に未来の街を創る
  • 監修・編集・著者名森田創 著
  • 出版社名講談社
  • 出版年月日2020年7月20日
  • 定価本体1700円+税
  • 判型・ページ数四六判・318ページ
  • ISBN9784065205518

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