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あそこに鉄道が走っている意外な理由

鉄道路線誕生秘話

 過疎化の進行による赤字や災害による不通を理由に、廃止される鉄道路線が相次いでいる。つい最近もJR北海道の札沼線、北海道医療大学~新十津川間(47.6キロ)が廃止されたばかりだ(2020年4月17日)。だが、どの鉄道路線も設立当初には必ず敷設された理由があり、使命を帯びていたはずだ。本書『鉄道路線誕生秘話』(交通新聞社新書)は、鉄道が盛んに建設された明治時代から昭和初期を中心に、なぜその土地に鉄道が求められたか、歴史をひもといた本である。

21路線の由来を紹介

 取り上げているのは、JR、私鉄含め全国の21路線。長い幹線よりも短い路線に注目しているのが特徴だ。いくつか見出しとともに挙げてみよう。

 鉄路の"シルクロード" JR高崎線
 鉱石を運ぶために誕生した JR青梅線
 川砂利を積んで貨車が走った JR相模線
 信仰心は鉄路も通す JR成田線
 聖地に向かって延びた鉄路 近鉄天理線
 本州最北の民鉄敷設の意外な資金源 津軽鉄道
 鉄道建設のための鉄道線 JR武豊線
 線路の蛇行が歴史を語る 新京成電鉄
 日本海軍の命脈を担った JR横須賀線

物資を運ぶための路線

 今はJR(民営化前は国鉄)になっているが、設立当初は民営鉄道だった路線も多い。上記の中では、高崎線、青梅線、相模線がそうだ。高崎線は華族士族らの資本で設立された日本鉄道により明治16年(1883)、上野~熊谷間が開業、翌年前橋まで延伸した。群馬県富岡に政府がつくった富岡製糸場など、養蚕・製糸業が盛んな北関東と東京・横浜を鉄道で結び、国益に貢献することが期待された。

 また、青梅線は石灰石の輸送を目的に青梅鉄道が明治27年(1894)、立川~青梅間が開業した。翌年には採石場のある日向和田駅まで貨物専用線が延伸、石灰石輸送が始まった。中心になったのは浅野セメント(現・太平洋セメント)の創業者でセメント王と言われた浅野総一郎だった。鉄道による石灰石輸送は平成10年(1998)まで続いた。

 その後、これらは国有化され旅客輸送も伸びたため、設立当初の目的を知る沿線住民も多くはないだろう。

成田山新勝寺めざした3つの鉄道

 まだ鉄道による通勤客が多くない時代、寺社への参拝客を目的につくられた路線も少なくない。成田線は成田山新勝寺への参拝客輸送を目的とした成田鉄道が前身。東京から成田山まで約50キロ。明治初期まで人々は船と徒歩で2日がかりで詣でた。明治10年代には東京~成田間に乗り合い馬車が開業し、8時間になった。総武鉄道が市川~佐倉間を明治27年に開業、馬車と乗り継げば約3時間に短縮された。

 しかし、まだ成田まで鉄道は延びていない。最初に乗り入れを果たしたのは成田山新勝寺の三池照鳳・山主が発起人に加わった成田鉄道だった。明治30年(1897)佐倉~成田間を開業、総武鉄道と直通し、約2時間半で本所~成田間を結び、飛躍的に参拝客が増えた。

 ここから少しややこしくなる。成田鉄道は成田から西へ分岐して我孫子に至る支線を明治34年(1901)に開業、翌年からは我孫子~上野間の日本鉄道と提携し、直通運転を始める。距離が長く3倍の運賃が取れる我孫子経由に力を入れるようになったのだ。総武鉄道との直通運転は廃止、喫茶室付きの一等車両を連結し、集客を図った。

 両社はしのぎを削るが、その後国有化される。昭和になり、東京と成田を最短距離で結ぶ京成電鉄が開業し、電車を走らせると参拝客は便利な京成を利用するようになった。

 現在、成田と言えば、空港の利用客が思い浮かぶが、3つの路線が成田まで延びているのは、かつての参拝客のおかげである。

軍事と鉄道

 鉄道建設のもう一つ大きな目的として軍事輸送が挙げられる。武豊線は愛知県の知多半島にある短い路線だが、開業は明治19年(1886)と古い。沿線の亀崎駅舎は現存する日本最古の木造駅舎と言われる。東西を結ぶ幹線は当初、東海道沿いではなく陸軍の要請を受けて中山道沿いに計画された。艦砲射撃を避けるためである。西側の鉄道建設の資材を運ぶためにつくられたのが武豊線である。開業した年には、東西幹線は東海道沿いに変更され、武豊線は東海道線の支線となった。名古屋の通勤圏にありながら、ディーゼル車が走るローカル線の趣があったが、平成27年(2015)にようやく電化された。

 横須賀線は言うまでもなく、軍港のある横須賀への輸送が目的でつくられた。沿線の逗子、鎌倉は住宅地、別荘地として開発が進んだ。海軍士官や別荘居住者の利用を見込んで、現在のグリーン車にあたる二等車を早くから連結したことでも知られる。

 一方、JR総武線の津田沼とJR常磐線の松戸を結ぶ新京成電鉄はカーブが多いことで有名だ。直線距離で16キロのところ、26.5キロをかけて走っている。戦前、鉄道連隊が演習用にわざと長く敷設した路線跡を利用し、戦後、数カ所をショートカットしながら延伸し、開業した。

 近代に入り、鉄道が戦争を変えたと言われるが、軍事と鉄道の深い結びつきの跡は、今も各地に残っているのである。

 著者の米屋こうじさんは、1968年山形県生まれのカメラマン。著書に『ニッポン鉄道遺産』(交通新聞社・共著)、『鉄道一族三代記』(交通新聞社新書)など。カメラマンだけに収録された写真はどれも魅力的だ。

 BOOKウォッチでは、人々の宗教心が鉄道建設の動機となったことを明らかにした『電鉄は聖地をめざす』(講談社選書メチエ)、陸軍が路線選定に介入した事実にふれた『ふしぎな鉄道路線』(NHK出版新書)のほか、サハリンの鉄道ルポ『サガレン――樺太/サハリン 境界を旅する』(株式会社KADOKAWA)、『漱石と鉄道』(朝日新聞出版)など鉄道関連書を多数紹介している。

  
  • 書名 鉄道路線誕生秘話
  • サブタイトル日本列島に線路がどんどんできていた頃
  • 監修・編集・著者名米屋こうじ 著
  • 出版社名交通新聞社
  • 出版年月日2020年4月15日
  • 定価本体900円+税
  • 判型・ページ数新書判・222ページ
  • ISBN9784330044200
 

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