「阪急や阪神、東急や西武といった"電鉄"が、衛生的で健全な"田園都市"を郊外につくりあげた」という都市空間論が長らく日本では語られてきた。
電鉄を核に郊外を開発するというモデルをつくったのが、阪急の創始者、小林一三であり、それはすでに神話化している。
一方で、社寺参拝を目的につくられた電鉄が少なくないことも知られている。川崎大師を目指したのが、京浜電気鉄道(現・京急電鉄)であり、成田山新勝寺と東京を結んだのが京成電気軌道(現・京成電鉄)である。こうした例は全国に多い。だが、近代鉄道の歴史としては、取るに足らないこととして切り捨てられてきたことに義憤を感じたのが、本書『電鉄は聖地をめざす』(講談社選書メチエ)の著者、鈴木勇一郎さんである。鈴木さんは川崎市市民ミュージアム学芸員で『おみやげと鉄道』(講談社)などの著者がある。
寺社参拝という前近代的な動機で、近現代インフラの代表とも言える電鉄が敷設されたとは、21世紀の人にはあまり信じられないかもしれない。しかし、本書に登場するさまざまな怪人たちの言動を見ると、"宗教心"がレール敷設のモチベーションだった。そして電鉄は儲かったのである。
成田山新勝寺と成田の鉄道、川崎大師と京浜電鉄、穴守稲荷神社(東京都大田区)と京浜電鉄、池上本門寺と池上電気鉄道(現・東急池上線)などの章から成る。
成田山新勝寺と言えば、関東有数の古刹と思うかもしれない。だが、鈴木さんによると、江戸時代以前はほとんど名の知られない農村の小さな寺だった。江戸でのご開帳や歌舞伎による宣伝で知られるようになったが、ブレイクしたのは明治以降の三代の住職の力による。
明治16年、貫主(住職)となった三池照鳳は成田鉄道(現・JR成田線)の発起人総代となった。佐倉―成田間が開業、東京から参拝客が押し寄せ、門前町は発展した。
成田をめぐる鉄道史は一筋縄ではいかない。江戸時代に将軍に直訴して刑死した義民佐倉宗吾を祀った霊堂が新勝寺から5キロ東京側にある。この二つを結ぶ成宗電軌が明治44年に開業した。門前町を迂回したので、門前町の住民には不満が募った。成宗電軌はその後、廃止されたが成田駅近くに奇妙なトンネルの跡が今でも残っている。
さらに大正15年、京成電気軌道が東京押上と成田間で開業した。新勝寺駅近くへの駅設置に対して反対運動が起こり、京成の駅は新勝寺から離れた国鉄成田駅近くに作られた。
鈴木さんは鉄道が社寺の発展に大きな役割を果たしたことは確かだが、必ずしも利害は一致しない、と指摘する。鉄道や駅は寺と運命共同体とも言える門前町と利害が対立することもあるからだ。
いずれにしろ、成田までの鉄道、電車路線があったことで、成田空港までの延伸は容易だった。
現在、京急の空港線となっているのは京浜電鉄の穴守稲荷線だが、この穴守信仰の元締めとなったのは、明治の「いろは王」と呼ばれた木村荘平である。政府から家畜市場と屠畜場の払い下げを受け、牛鍋屋「いろは」を開店し、当時日本最大の牛鍋チェーンをつくった人物である。愛人に店を任せ、子どもを産ませた。鈴木荘八(画家)、鈴木荘十(作家)、鈴木荘十二(映画監督)ら文化人の人材を輩出している。著者は「性経一致」と皮肉っている。
東京モノレールと京急空港線で羽田空港は都心と結ばれているが、木村荘平の穴守稲荷への肩入れがなければ、電車が乗り入れていなかったかもしれない。そう思うと、"信仰心"が後世の役に立ったと言えるかもしれない。
このほか、「金儲けは電車に限る」と豪語した明治の虚業家、高柳淳之助にも触れている。怪しげな出版ビジネスで儲けた高柳は池上電鉄の社長になる。その後、投資商法の被害者たちから告訴され失脚するが、池上電鉄は都心側の五反田までその後延伸し、現在、東急池上線となっている。
通読して思ったのは、先人たちは何も理想を掲げて電鉄を作った訳ではないということだ。阪急の小林一三「伝説」があまりにも大きいため、電鉄経営はかっこいいことのように思われてきたが、結局は人を集めての金儲けの手段だったのだ。現在はネットが人を集めてある種の金儲けの手段となっているが、電鉄も明治・大正期の人集めのメディアと考えれば納得がいく。
著者が面白いデータを披露している。各地の電鉄の初期、通勤客はほとんどいなかったということである。物見遊山で作られた電鉄の沿線にしだいに人が住むようになったのだ。関東では関東大震災がその引き金になった。
本書では触れていないが、近鉄は伊勢神宮、熱田新宮、橿原神宮という3つの聖地を結ぶことを目指して、戦前に合併を繰り返して発展した。戦勝悲願を祈る人々が電車に乗り、経営は安定した。遊園地や球場と並ぶ集客施設として寺社は大きな役割を果たした。そして今は通勤客が電鉄の経営を支える。ともあれ、先人たちの異常な情熱がなければ電鉄はなかった。電鉄がなければ日本の大都市の構造も今とは違ったものになったのではないだろうか。
もちろん、都市間輸送の手段として電鉄が発達したのは言うまでもないことだが、あまり顧みられることのなかった角度から光を当てた本書は労作と言うべきだろう。
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