このところサハリンが改めて注目されている。サハリンを舞台にアイヌ人、ロシア人、ポーランド人、日本人などが登場する川越宗一さんの小説『熱源』(文藝春秋)が2020年1月に第162回直木三十五賞を受賞したからだ。本書『サガレン――樺太/サハリン 境界を旅する』(株式会社KADOKAWA)は、ノンフィクション作家の梯久美子さんによる紀行記。「小説 野性時代」などの雑誌連載を単行本にまとめた。取材で2回、さらに個人的にもう一回、現地を訪れている。
サハリン鉄道に乗りたい、できれば廃線跡もたどりたい。そんなシンプルな動機で始まった旅だったという。大まかなルートしか決めずに出発した。この島の複雑な歴史はひとまず横に置いて、移動しながら感じたり考えたりしたことを、そのまま文章にしたいと思ったという。
シベリア鉄道に乗ったことがあるという日本人は多少いるが、サハリンまで足を運んだという人は極めて少ない。実は梯さんは鉄道ファン。したがってサハリン鉄道は、どうしても乗りたかった路線だったようだ。
出発前に、あまり写真を撮らないように、と現地事情に詳しい日本人にアドバイスされたという。旧ソ連の時代ではないのに、なぜなのか。実はサハリン鉄道に乗る日本人は基本、鉄道マニアのみ。彼らは、列車の車輪とか連結部とか、細かいところを熱心に撮影する。何をしているのだろうと思われかねない。したがって、ほどほどに、というわけだ。
本書には梯さんが撮影した現地の写真が多数収録されている。どれもプロ並み。梯さんは文章だけでなく、写真も得意なのだということを再認識した。
本書は「第一部 寝台急行、北へ」「第二部 『賢治の樺太』をゆく」の二部構成。島の南端から北部までを縦断するサハリン鉄道613キロの体験記が軸になっている。寝台急行だが、12時間もかかる。意外にも列車は定刻通りに出発して車内で2泊。二段ベッドのいちばん安いB寝台だ。途中に32駅あるが、この急行が停まるのは6駅のみ。
梯さんは83年前、同じ線路の上を作家の林芙美子が北上していたことに思いをはせる。林は「樺太への旅」という紀行文を残している。ほかにも樺太にまで行った文学者は少なくない。
中でも有名なのが宮沢賢治だ。「第二部」で登場する。賢治が樺太を旅したことはよく知られている。1923(大正12)年の夏のことだ。当時の賢治は岩手県立花巻農学校の教師。樺太の王子製紙に勤める級友を訪ね、教え子の就職を頼むのが直接の目的だった。
だが、本当は前年11月に亡くなった妹トシの魂の行方を追い求める旅だった、というのが定説のようになっている――ということを紹介しつつ、梯さんは記す。「正直言って、私にはいまひとつピンとこなかった」。妹は花巻で生まれ育ってそこで亡くなっている、墓も花巻にある。樺太には縁もゆかりもない。「私にわかるのは、鉄道好きだった賢治が、日本最北端の駅だった栄浜駅まで、汽車に乗って行ってみたいと思ったであろうことである」。
本書の「サガレン」というタイトルは、サハリンの別名だ。シベリア出兵当時、日本から北樺太に派遣されていた軍は「サガレン州派遣軍」という名称だった。賢治もそのころ旅行し、「サガレン」と記している。語源には諸説あるようだ。
妹トシの魂の行方を追うというのはどういうことなのか。『銀河鉄道の夜』には本当に樺太での鉄道旅の経験が反映されているのか。梯さんは二度目の現地訪問では「賢治」にテーマを絞ってゆかりの地などを訪ね歩いている。
「列車の揺れは心地よく、目にうつるものはみな面白く、空も海も雪も、工場の廃墟でさえ、信じられないほど美しかった。旅そのものが与えてくれる幸福が大きすぎたのだ」
いろいろと感激することが多かったようだ。この島の吸引力は強く、この先も繰り返し訪れる予感がしている、と記している。
BOOKウォッチでは『熱源』のほかにも樺太関係の本を何冊か紹介している。『地図でみるアイヌの歴史』(明石書店)には古い時代の樺太の歴史が登場する。間宮林蔵のサハリン探検は有名だが、その100年前にはすでに清による探検が行われ、地図も作成されていたという。『シベリア出兵――「住民虐殺戦争」の真相』(花伝社)は約100年前、樺太も巻き込まれた戦争の話だ。『秘境旅行』(角川ソフィア文庫)には、日本統治下の樺太から戦後、北海道に移住してきたオロッコ(ウイルタ)やギリヤーク(ニヴフ)の話が出てくる。『考古学講義』(ちくま新書)によると、ユーラシア大陸で話されている言語は2500以上あるが、その中で、同系関係がたどれない孤立的言語は9つにすぎず、うち4つはアイヌ語、日本語、朝鮮語、サハリンのニヴフ語だという。
『サハリンに残された日本』(北海道大学出版会)は稚内に住む写真家が夏休みの一週間、必ずサハリンに出かけ、あちこち足を延ばし写真を撮ってまとめた記録だ。寡黙な一枚一枚の写真から、過ぎ去った日々の静かな息遣いを感じ取ることができる。『海わたる聲』(柏艪舎)は樺太からの引揚げ船3隻がソ連潜水艦の攻撃を受けて約1700人の邦人が犠牲になった「三船殉難事件」の「ドキュメンタリーノベル」。梯さんの著書では、『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)を紹介済みだ。
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