「工場マニア」「廃墟マニア」――工場や廃墟を撮るのが楽しいという人たちだ。本書『サハリンに残された日本』(北海道大学出版会)は、そういう人にとって極めて興味深いのではないか。なにしろ工場や廃墟が次々と出てくる。ただし、それらの大半は「重い歴史」を背負っている。
著者の斉藤マサヨシさんは写真家。1955年、北海道稚内市生まれ。東京写真大学短期大学部(現東京工芸大学)を卒業して稚内市役所に勤務、観光交流課長、教育部長等を歴任し2015年退職。写真工房Westenを主宰している。稚内で生まれ育ち、今も稚内で暮らしている。
稚内の宗谷岬に立つと、彼方に横たわるサハリンの島影が見える。直線距離で40キロほど。斉藤さんは子どものころからその姿を見慣れ、行ってみたいと思っていた。しかし、行けなかった。
1991年のソ連崩壊で「近くて遠い島」が近い島になる。98年には稚内とサハリンの定期航路も開設された。斉藤さんは夏休みの一週間、必ずサハリンに出かけ、あちこち足を延ばし写真を撮った。それをまとめたのが本書だ。
冒頭に書いたように、まず目に付くのが古い工場や廃墟だ。サハリンは、かつては樺太と呼ばれ、1905年から45年まで北緯50度以南を日本が統治していた。最盛期は日本人が40万人も住んでいた。製紙会社や石炭会社の大きな工場があり、鉄路が敷かれ、郵便局や学校などの社会施設も整っていた。林業が主要な産業だっただけに旧王子製紙の工場跡はあちこちにある。戦後も旧ソ連が利用していたものの、さすがに現在は朽ちた。しかし巨大な煙突が今も立ち尽くしている。
70年余り前まで確かにそこにあった「古き日本」。その姿の残影を目を凝らすと見つけることができる。そこではまた、樺太開発に情熱を注いだ人たちの思いを感じ取ることもできる。
意外なほど残っているのが旧日本人小学校の奉安殿だ。天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物だ。神社の鳥居や石段、横倒しになったお地蔵様なども含めて当時の日本人たちの精神的なよりどころが、遺物として戦前の人々の営みを伝える。
女優の岡田嘉子が国境を越えて逃避行を決行した50度線。妹を亡くした傷心の宮沢賢治が訪れ、「銀河鉄道の夜」を構想したという白鳥湖。間宮林蔵が樺太は半島ではなく島だということを確認した海峡。日本人やロシア人よりもずっと昔からこの地で暮らすウイルタやエベンキなど先住民族たちの集落。横綱大鵬の生まれ故郷の町に建つ立派な銅像。
終戦の混乱で、迫りくるソ連兵から逃れられないと日本人看護婦が大勢自決した場所もあれば、日本人が、朝鮮人27人を虐殺した村も。数万頭のオットセイが生息する無人島なども紹介されている。
本書は何かを声高に主張しているわけではない。丁寧に撮った写真に、短い説明が付いているだけ。寡黙な一枚一枚の写真から、著者の謹直さと、過ぎ去った日々の静かな息遣いを感じ取ることができる。
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