今から約100年前の1918年、日本はシベリアに出兵し、7年間にわたって戦争を続けた。本書『シベリア出兵――「住民虐殺戦争」の真相』(花伝社)はその概要を改めて振り返ったものだ。
すでに専門家による類書はいくつかあるが、本書の著者、広岩近広さんは毎日新聞の専門編集委員。新聞記者らしく、単に史料の参照にとどまらず、人から人へと辿って埋もれた話を掘り起こし、今の時代への教訓を伝えている。
1917年、ロシア革命が勃発。反革命軍はシベリアに追いやられた。救援を目的に日本はシベリアに派兵する。反革命のコサック兵と日本軍が、革命派のパルチザンと対峙する構図だ。当時の日本は、日清・日露の戦争で、すでに朝鮮半島から満州にかけて権益を確保し、シベリアにも触手を伸ばそうとしていた時だった。
それでは本書の副題、「住民虐殺戦争」とは何か。
かいつまんでいうと、こういうことだ。日本軍は1919年2月、「ユフタの闘い」でパルチザンゲリラに急襲され150人の歩兵七二連隊第三大隊が全滅。後続部隊も奇襲を受けて107人が戦死。その復讐戦で日本軍はゲリラが潜むと考えた村を襲撃、イワノフカ村では293人の村民を虐殺。逆に翌20年2月には、アムール川河口のニコラエフスク (尼港) を占領中の日本軍がパルチザンの攻撃を受け、351名の将兵だけでなく、副領事を含む 383名の日本居留民を殺害された。この事件を奇貨として、日本は「賠償と謝罪」が得られるまで北サハリンの「保障占領」を行う。
これら一連の事件の中では、日本の民間人が犠牲になった「尼港事件」は一部で知られている。逆にロシアの民間人が被害者になった「イワノフカ事件」については、日本ではほとんど知られていない。
本書は、自身がシベリアに抑留され、シベリア墓参を続けてきた岐阜県の住職、横山周導さんの話から始まる。
横山さんは1924年生まれ。44年、19歳で陸軍入隊。ソ満国境部隊に派遣され、敗戦で捕虜になる。シベリアで2年間、強制労働を強いられ、83年から関係者とシベリア墓参を続けてきた。
「このあたりに抑留された日本人の墓所はありませんか」。91年夏、抑留者の団体「全抑協」会長だった斎藤六郎さんが、イワノフカ村を訪ねた話が紹介されている。村長からは意外な答えが返ってきた。「日本人の墓など知らぬ。あなたは、この村のことを知って来たのか、それとも知らずに来たのか」
「知らずに来た」と斎藤さんが答えると、村長が慰霊碑に案内した。「1919年3月22日、日本の干渉軍たちによって、257名のイワノフカ住民が射殺された」「36名の住民を生きながら焼殺した」と書かれていた。
驚いた斎藤会長はその後、村長と話し合い、95年、村に日ロ共同の追悼碑を建立した。日本側はシベリア出兵で日本側が非戦闘員を虐殺した過去を反省し、ロシア側も日本人を抑留して酷使して死に至らしめたことを反省する主旨だ。除幕式では、横山さんが開眼供養と法要を務めた。
シベリア出兵と、シベリア抑留。二つの現代史が民間レベルで繋がり、「和解」に向けて動きだしたことがつづられている。
シベリア出兵についてはいくつかの先行書や史料がある。本書で多数引用されており、それらを通して100年前の泥沼戦の実相を知ることができる。
作家の高橋治はシベリア出兵をテーマに1970年代に『派兵』を書き残している。日本軍関係者を取材する中で、当時の掃討作戦について「ソンミですよ、ソンミ」という証言を得ている。ベトナム戦争のソンミ村で起きた住民虐殺事件と同じような虐殺をやっていたということだ。
その前段の「ユフタの闘い」は悲惨だった。敗れた日本兵の遺体は身ぐるみをはがされていた。「必ず仇を取る」と復讐戦はエスカレートする。村を襲い、住民を戸外に連れ出し、撃つ、突くで死体の山。「悲惨な光景これ以上はあるまい。しかし恨みをのんで戦死傷した我将卒の仇に報いるにはこれは当然だと思った」(出兵した日本軍上等兵の日記)
「侵略戦争にあっては、このように神経過敏に陥り、理性の抑制が効かない状態での敵愾心の亢進は、厳格な統制手段が講じられない限り一般民衆に対してまで闇雲の殺戮に走る傾向をもつ」(原暉之『シベリア出兵』、1989年刊)
司馬遼太郎の『ロシアについて』も紹介されている。「大正時代の日本、それまでの日本の器量では決してやらなかったふたつのことをやった」。ひとつが中国に対する「21か条の要求」、もうひとつを「シベリア出兵」と書いている。それだけ問題がある行動だったということだろう。
日本軍は、米英仏などが撤兵後もシベリアに居残り、列国から非難された。広岩さんは、「あくなき大陸侵略の一環として、シベリア出兵がなされたと言っても過言ではない」「アジア・太平洋戦争の火種はこのときから広がったと言えるだろう」と結論付けている。
歴史を振り返ると、「イワノフカ村事件」が起きた1919年は、朝鮮では独立を求める「三・一独立運動」が広がり、それを日本側が抑え込む中で多数の犠牲者が出ていた。中国では「五・四運動」で抗日の動きが急拡大していた。日本はシベリア、朝鮮、中国の三方面で同時多発的に大変な「反撃」にさらされていたことを改めて知る。
関連で本欄では『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮社)、『軍事機密費』(岩波書店)なども紹介している。
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