本書『熱源』(文藝春秋)は、直木賞候補作である(編注)。「本屋が選ぶ時代小説大賞2019」を受賞している。「もう圧倒的でした。熱さが違った」「とにかく完璧」「アイヌのこととかロシアのこととかもっともっと知りたいと思わせる」などの賛辞が寄せられている。BOOKウォッチでも、昨年(2019年)は『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』 (集英社新書)など、アイヌにかんする本を何冊か取り上げた。漠然とアイヌ関連の本かと思い読み始めると、ページを繰る手が止まらなくなった。
(編注:2020年1月15日、『熱源』は第162回直木三十五賞を受賞した)
序章は、1945年8月15日、日本が降伏し終戦したものの、まだソ連軍との戦闘が続いていた樺太で始まる。大学で民族学を専攻した女性兵士クリニコワ伍長は、かつて録音で聴いたサハリン・アイヌの歌と琴の旋律を思い返しながら、戦場へ向かった。
そこから物語は明治14年(1881年)の北海道へさかのぼる。樺太から北海道の石狩に移住したアイヌの村が舞台だ。ヤヨマネクフ(山辺安之助)らアイヌの少年の群像劇で始まる。和人との葛藤を抱えながらも漁業で生計を立てていた村をコレラと痘瘡が襲う。850人ほどだった村人から340人を超える死者を出した。妻を失ったヤヨマネクフは、ロシア帝国領のサハリンへ帰る。
当時のサハリンはロシアの流刑地だった。リトアニア出身のポーランド人、ブロニスワフは、ロシアの首都サンクトペテルブルグの大学生だったが、革命運動に連座し、サハリンに流刑されていた。過酷な開拓労働を強いられる懲役15年、さらに流刑入植囚として10年、島内の決められた場所に住まねばならない。極寒の地でブロニスワフは、先住民ギリヤークの村に出入りするようになり、彼らの言葉や風習を学ぶ。
革命党派の残党の民族学者シュテルンブルグの勧めでギリヤークについての論文を書き、学会に認められたブロニスワフは、特別なはからいでウラジオストックの博物館の資料管理人となる。囚人身分のままだったが、ようやく島から抜け出すことができたのだ。
博物館の展示品を集めるため、ふたたびサハリンに戻ったブロニスワフは、ヤヨマネクフや友人の元教師・太郎治と出会い、アイヌの子どもたちの寄宿学校をつくることを計画する。
資金援助を求められたアイヌの頭領でいくつもの漁場を経営する実業家バフンケのこんな言葉が、日本とロシアの間で翻弄されたカラフト・アイヌの心情を物語る。
「和人が去った後、ロシアの罪人どもと資本家が、どっとやって来た。日々の暮らしは物騒になり、ロシア人が経営する漁場でまたもアイヌは酷使された。ひとつだけよかったのは、サハリン行政府の許可があればアイヌも漁場を持てたことだ。わしは結構な苦労をして漁場をもらい、アイヌを雇うことができた。まっとうな給料を渡し、儲かれば増やしてやる。ごく当然のことが、やっとできるようになった」
識字教室を始めることになったブロニスワフの身の回りの世話をバフンケの姪チュフサンマがするようになり、やがて二人は結婚を決意する。日露戦争は日本の勝利に終わり、不安定になったロシア帝国。ポーランドの独立運動に協力するため妻子を残してブロニスワフは日本へ渡る。
ここからは、二葉亭四迷の筆名で知られるロシア文学者、長谷川辰之助やアイヌの叙事詩の研究で有名な金田一京助、南極探検隊の白瀬矗ら実在の人間とブロニスワフやアイヌの人々との交流が描かれる。遠く離れたリトアニアとサハリンが、人の縁で結ばれていたことに驚く。ブロニスワフの運命は、そしてアイヌの人々は......。
「無住の地」と言われたサハリンには、ギリヤークやアイヌなどの先住民族が暮らしていた。そこにロシアや日本が進出し、彼らの生活を圧迫していった。「民族学」は文明に秀でた優等民族が、彼ら劣等民族を支配する学問的な根拠として、帝国主義国家で発達した。その矛盾を意識しながらも、先住民に寄り添うブロニスワフの人間像に共感を覚える。
彼が収集し記録、録音したものによって、今日私たちは「失われた」民族の文化や生活の一端にふれることが出来る。
実在の民族学者を主人公に山あり谷ありの壮大なドラマを仕立てた著者の力量に感服した。ブロニスワフのそして著者の熱い思いは「熱源」というタイトルにふさわしい。
川越さんは、1978年、大阪府生まれ。京都府在住。龍谷大学文学部史学科中退。2018年、「天地に燦たり」で第25回松本清張賞を受賞。
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