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東大名誉教授が「東大名誉教授の通説」をひっくり返した!

岩佐又兵衛風絵巻の謎を解く

 岩佐又兵衛と荒木又右衛門――しばしば混同しそうになる。名前が似ているうえ、ほぼ同時代の人だからだ。二人につながりはない。又兵衛は絵師、又右衛門は剣豪だ。

 本書『岩佐又兵衛風絵巻の謎を解く』 (角川選書)は、絵画史料研究の泰斗、黒田日出男・東京大学名誉教授が「又兵衛」作品の謎を解明したもの。帯に「通説を覆す」「隠された『真実』に迫る」とある。これがまた大変な内容なのだ。というのも「通説」の主は、日本美術史の最高権威、辻惟雄・東大名誉教授。黒田vs辻、すなわち東大名誉教授が同じく東大名誉教授の通説に挑む形になっている。

東京大学史料編纂所所長も務めた

 黒田さんは1943年生まれ。専門は日本中世・近世史、絵画史料論・歴史図像学。著書に『源頼朝の真像』、『国宝神護寺三像とは何か』、『洛中洛外図・舟木本を読む』、『豊国祭礼図を読む』、『江戸図屏風の謎を解く』、『江戸名所図屏風を読む』(以上、角川選書)、『岩佐又兵衛と松平忠直 パトロンから迫る又兵衛絵巻の謎』(岩波現代全書)、『増補 姿としぐさの中世史 絵図と絵巻の風景から』(平凡社ライブラリー)など。東京大学史料編纂所所長も務めた。絵画史料から歴史を読み直すということにかけては第一人者として知られる。

 一方の辻氏は1932年生まれ。東北大や東大の教授、千葉市美術館館長、多摩美術大学学長などを務め、朝日賞受賞、文化功労者。1970年に出版した『奇想の系譜 又兵衛‐国芳』で、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曾我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳を、「奇想の画家たち」として取り上げ、今日の若冲ブーム、日本美術再評価の機運に先鞭をつけた研究者としてあまりにも有名だ。

 辻氏は長年、又兵衛を研究しており、『奇想の系譜』も又兵衛から始まる。教え子の美術史家、山下裕二・明治学院大学文学部芸術学科教授は『日本美術の底力 』(NHK出版新書)の中で、「辻先生は、日本美術史の深海に沈潜していた彼らを正史に編み込むべく『奇想』という新たな系譜を提示し、その異才と革新性を世に知らしめたのです」と称賛している。

江戸初期を代表する絵師

 まず岩佐又兵衛(1578~1650)とはどういう画家なのか。これがまた数奇な人なのだ。戦国武将で摂津の大名でもあった荒木村重の子として生まれる。村重は織田信長の家臣だったが、信長に反逆、一族の多くが虐殺された。2歳の又兵衛はかろうじて生き延び、母方の姓である岩佐を名乗る。絵画技術を習得して40歳ごろから20年ほど越前(福井)に、のち江戸に住んだという。

 俵屋宗達と並ぶ江戸初期を代表する絵師で、躍動感に満ちた劇画的な表現力で知られる。浮世絵の源流ともいわれているそうだ。本人及び工房による多くの作品を残している。「洛中洛外図屏風」(舟木本)は国宝。そのほか、「山中常盤物語絵巻」など重要文化財も少なくない。「奇想の画家」の中では、もともと知名度もあり、評価の高かった人だといえる。

 とりわけ多数の絵巻物で有名だ。一般に絵巻物は、平安期から室町期のものとされているが、江戸に入ってからも盛んに制作された。その代表格が又兵衛だという。

 黒田さんは「山中常盤物語絵巻」など七つの絵巻を「又兵衛風絵巻群」と名付けて、「絵画史料論」の角度から詳細に分析する。いったいどういう物に描かれているのか。そのサイズはどうなっているのか。

 まず材質。高級な紙に描かれている。一枚の紙のサイズは通常の絵巻物一枚のサイズより大きい。縦が34センチほど、幅が95センチほど。大きさは七作品にほぼ共通している。高級な特注品。それを一つの作品で何百枚も使っている。「このような特注品の紙を大量に用意できた人物は一人しか考えられない」と黒田さん。それは、越前六十七万石の大名だった松平忠直だという。越前は中世以来、最高級品の越前和紙の産地だった。

 つまり、又兵衛絵巻の注文主は松平忠直だった。徳川家康の孫だ。ここからが本書のポイントなのだが、又兵衛の絵巻には、内容面でも表現面でも注文主である松平忠直の「好み」(趣味)が反映されていると考える。又兵衛らの絵師が勝手に好きなように描いたのではないというのだ。

常盤御前が盗賊に襲われた

 以上のような前置きから、個別の作品の分析に入っていく。ここでは「山中常盤物語絵巻」に関する部分を紹介しよう。この絵巻は、「平家攻略を目指し、ひそかに奥州へ向かった牛若の身を案じた母の常盤御前が、牛若を探すため侍従の女と旅に出るが、美濃国で盗賊に襲われ、身ぐるみを剥がれて殺される。のちに牛若が仇討ちをする」というストーリー。まさに劇画を見るかのような多数の場面で構成されている。

 黒田さんは、辻氏が過去に記した多数の「山中常盤物語絵巻論」を参照、引用しつつ、その解釈には「美術史家の問題点が最も明瞭に現れていると、絵画史料論者の私には思われる」と記す。

 美術史家としての辻氏は、作品の芸術的に優れているところに注目する。例えば、瀕死の常盤御前の様子を描いた場面。「豊満な胸に鮮血をしたたらせたその肢体は、まぶしいばかりの官能性に満ちていて、見る者を痛切な陶酔にさそう。画家が美人画家としての天才的な表現力を持っていたことがここからもうかがえる」。あるいは「遺言を終え合掌して息絶える常盤の顔は可憐である」と書いている。

 黒田さんは上記のような辻氏の『岩佐又兵衛』(日本美術絵画全集13、集英社)、『岩佐又兵衛』(日本の美術二五九号、至文堂)、『岩佐又兵衛 浮世絵をつくった男の謎』(文春新書)などでの記述を引きながら、「エロティシズムを感じるのは如何なものか」「常盤御前は四十三歳」「盗賊は、貴女たちの着ている衣類を剥ぎ取って売る魂胆で宿に押し入った。狙ったのは衣類だ」「常盤や侍従たちの肉体ではなかった」と述べる。

 むしろ、ここで重要なのは侍従の女、「乳母=めのと」の存在なのだという。常盤とほぼ同年齢。つまり牛若に乳を飲ませて育てた女。絵柄として常盤御前が51回、侍女も50回も登場する。したがって、この作品は、表面上は常盤御前と御曹司の母子愛だが、「御曹司」と「めのと」の侍従の物語でもあると強調する。

 「絵画表現は、それが制作された時代のコードを十分に把握(理解)した上で『読む』べきなのだ」「当該作品が制作・受容された時代の社会観念などを十分に弁えた上での解釈を、美術史家には期待したい」

 黒田さんは、盗賊に襲われる場面の常盤御前と侍従について、辻氏とは異なる見方をする。二人は、当時としては女ざかりをとっくに過ぎた年齢だった。しかし、又兵衛は2人を初老の女性ではなく、「気品のある中年女性の顔」「母たちにふさわしい豊満な身体」として、要するに「貴人の母にふさわしい容姿」で描いた、と見ている。

作品に侍女が頻繁に登場する

 他の作品も含めて黒田さんが注目するのは、侍女が頻繁に登場することだ。そこには注文主、松平忠直の事情があると推測する。忠直は乳母に育てられた。9歳で江戸の叔父のところに「人質」として置かれた時も「乳母」が仕えていた。これは又兵衛も同じだった。信長に背いて一族がほぼ皆殺しに遭ったときも、2歳の又兵衛は「乳母」に抱かれて難を逃れた。「幼児であった彼を懐に抱いて本願寺に逃げ込み、大切に守り育てたのは『乳母』であった。又兵衛にとって『乳母』は母親以上の存在だったのである」と指摘する。

 対象とした七つの絵巻のうち、「堀江Ⅰ」「山中常盤」「上瑠璃」「堀江Ⅱ」の四絵巻は「乳母」と養君(御曹司牛若・浄瑠璃姫・若君月若)の物語を内包していると見る。

 近世初期の「乳母」では、徳川家光の乳母だった春日局が有名だ。たいへんな権力を持っていた。政治的にも動いた。一方の豊臣家。大坂の陣で秀頼と淀殿(茶々)が最後まで信頼したのは「乳母」と「乳母子」だった。淀殿の御供をして殉死したことが確実な侍女5人のうち3人は乳母だった。それらを踏まえて黒田さんは説く。

 「『乳母』と養君(御曹司牛若・浄瑠璃姫・若君月若)の物語に強い関心・興味を抱いたのは、松平忠直だけではなかったと思われるのだ」
 「すなわち又兵衛風絵巻の読解は、注文主松平忠直の意図・意向や『好み』にとどまってはならず、近世初期の将軍や大名と『乳母』の関係の考察へと視野を広げるべきなのである。『乳母』たちの存在に着目し、その歴史的役割を考えることは、物語絵巻の制作・享受をめぐる政治文化史的な考察に不可欠となるであろう」
 「我々は、又兵衛風絵巻の物語を読むことによって、従来の近世初期政治史の認識や叙述から抜け落ちていた『乳母』の存在に気付き、その役割を見いだしたのであった。近世史の諸研究にも、文学史料や絵画史料の読解が必要不可欠な所以である」

 本書を読んで驚いたのは、又兵衛絵巻群の壮大さだ。上述の「山中常盤物語絵巻」は全長約150メートル。このほかの6絵巻も合わせると又兵衛は1.2キロメートルほどもの絵巻を残した。欠損分が再現されたら1.4キロメートルにもなるという。劇画のようにコマ数(段数)が多いのが特徴で、「山中常盤物語絵巻」は九十八段(場面)もあるという。

 その作品を美術として見るか、歴史史料として読むか。いろいろ可能だろう。黒田さんは、「山中常盤物語絵巻」について、「常盤御前主従が六人の盗賊に襲われて殺害されてしまう場面の絵画表現が最も優れているとする美術史家たちの判断に異論はない」としつつ、「美術史家たちの解釈には従えない」としている。本書には多数の作品写真も掲載されている。とにかく又兵衛という絵師が、多くの研究者を引き付けてやまない魅力のある作品群を桁外れのスケールで残した人だということだけはよくわかった。

 BOOKウォッチでは関連で、『後水尾天皇』(岩波書店)、『文化財分析』(共立出版)、『美意識の値段』 (集英社新書)、『私の美術漫歩――広告からアートへ、民から官へ』(生活の友社)、『時の余白に 続』(みすず書房)、『徳川家康の神格化』(平凡社)、『戦国日本と大航海時代―― 秀吉・家康・政宗の外交戦略』(中公新書)なども紹介している。

  • 書名 岩佐又兵衛風絵巻の謎を解く
  • 監修・編集・著者名黒田日出男 著
  • 出版社名株式会社KADOKAWA
  • 出版年月日2020年4月24日
  • 定価本体2400円+税
  • 判型・ページ数四六変形判・364ページ
  • ISBN9784047036437
 

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