安倍政権は官邸主導で多彩な仕事に取り組んできた。中でも際立つのが経済政策だった。これまでの財務省や日銀任せから脱却し、かなり強引に株価や賃上げ、消費税問題などに関わってきた。本書『ドキュメント 強権の経済政策――官僚たちのアベノミクス2』 (岩波新書)はそうした政策決定の舞台裏に迫ったもの。2年前の前著『官僚たちのアベノミクス――異形の経済政策はいかに作られたか』(岩波新書)の続編となっている。
著者の軽部謙介さんは1955年生まれ。現在は帝京大学経済学部教授。前著では時事通信社記者だったので、この間に退職し、ジャーナリズムからアカデミズムに軸足を移したようだ。
時事通信時代は、ワシントン特派員、経済部次長、ワシントン支局長、ニューヨーク総局長、編集局次長、解説委員長等を歴任。著書『日米コメ交渉』(中公新書)で、農業ジャーナリスト賞を受賞している。
前著は2013年半ばまでの安倍政権を対象とし、副題にもあるように「異形の経済政策はいかに作られたか」について詳述していた。アベノミクスの評価を論じるのではなく、「様々な意味で歴史に残るであろうこの政策が、いつどこで、誰によって形成されていったのかの原点を記録しておこうという単純な試み」だったと説明している。
そうした中立的かつ抑制気味のスタンスは今回も変わらない。今回は前著以降の、「その後のアベノミクス」の軌跡をたどる。政策そのものの評価について検討を加えるのではなく、「何があったのか」に焦点を当てたものだという。とにかく政策プロセスを記録しておく、というのが基本姿勢となっている。
全体は以下の構成。
プロローグ プリンス動く/「再任がだめという規定があるのか」/姿現すひび割れ/ドンの怒り/「古き良き時代」 第1章 賃上げ介入 アベノミクスの忘れ物/賃金を上げろ/異例の「意見交換会」/誰が担ぐのか/風で動く国/就職活動解禁問題/組合への怨念/気乗り薄の首相/戦線統一会議 第2章 内閣人事局の船出 安倍の秘蔵っ子/机上の空論/人事院の抵抗/「各省に圧力をかける」/仕切りは誰が 第3章 「政労使」発足めぐる攻防 一つのアイデア/財界包囲網づくり/カブキプレー/「文句があっても協力せよ」/認識ギャップ/官製春闘/財務官僚たちの危機感/あり得ない話/「場内アナウンス」/インナー会議では/枠がはめられた/「合意」ではなく/「瑞穂の国の資本主義」/主語は誰だ? 第4章 消費税増税延期へ 空前の出来事/ある財務官僚の奔走/電話一本で/「循環がうまくいっていない」/最低賃金再び/突然の「新三本の矢」/揺らぐ「官庁の中の官庁」 第5章 「一強」政権下の日銀 ざわつく行内/五つの行動原則/極秘文書/意見の相違/官邸との距離 第6章 「為替市場に介入せよ」 為替条項/事実上骨抜きに/円安確信犯/三つの基準/政治主導の限界/三者会談 第7章 伝統か、非伝統か 不評のマイナス金利/「共同声明」見直し論/企画されたコミュニケーション/消費税引上げの教訓 エピローグ 海図なき航海/変節なのか、進化なのか/時代は回る
とかく無味乾燥な記述になりがちな経済政策。その舞台裏をなるべく人間臭く描こうと苦労している。現在は学者だが、つい最近までジャーナリストだったから、丹念な取材が売りだ。前著では「延べ120人へのインタビューなどに基づく」と書いていたが、今回は「延べ150人へのインタビュー」を踏まえているという。さらに取材の厚みを増している。
安倍政権の経済政策を巡る全体の骨格や力学は、すでに多くのマスコミに書かれている。要するに財務省や日銀が政権と一体化、もしくは意向に屈した形になり、官邸主導の経済政策になっているということだ。
それは本書の目次や流れを見ても明らかだ。「プロローグ」の「ドンの怒り」のドンとは、86年から88年まで大蔵省の事務次官を務めた吉野良彦氏のこと。財務省の後輩たちが安倍政権に屈し続けているように見えることを怒っている。
第5章「『一強』政権下の日銀」の中で「ざわつく行内」というのは、日銀生え抜きの白川体制から、アベノミクス推進の黒田体制になって、日銀の独立性を懸念する声が日銀OBやマスコミで強まり、行内がざわついているということだ。
本書はそうした動きを、実に細かく様々なエピソードをもとに提示していく。前著もそうだったが、今回も内輪の会合などでの発言を丁寧にフォローする。「プロローグ」は麻生太郎財務相と、福井俊彦日銀元総裁の会談から始まる。話題は次期日銀総裁人事。福井氏は日銀OBの中の重鎮だ。
記者として、こうしたハイレベルの密会の中身が取れるようになれば、関連の取材も楽になる。「軽部さんとは話しておこう」と、「150人」がインタビューに応じることにつながる。
繰り返しになるが、軽部さん自身はアベノミクスの評価を避けている。しかし、世間ではいろいろと言われている。のちの世には、さらに問題になるかもしれない。場合によっては責任を問われる人も出てくるだろう。
アベノミクスは、「財政出動」「金融緩和」「成長戦略」という「3本の矢」で、長期のデフレを脱却し、名目経済成長率3%を目指すというものだった。しかし、成長戦略は一向に見えてこない。
世界経済はハイテク分野で「GAFA」と、中国のIT業界を支配する「BAT」(バイドゥ、アリババ、テンセントの頭文字)との覇権争いになり、その激烈な戦いから日本は完全にカヤの外にあるのが近年の状況だ。「2年程度で物価上昇率2%達成」という日銀の目標は何度も先延ばしになり、最近では話題にもならない。
政権は「戦後最長の景気回復」を主張していたが、実際には一年以上前に後退局面に入っていたことも2020年7月30日に開かれた内閣府の有識者会議「景気動向指数研究会」で明らかになった。
8月19日の朝日新聞・原真人編集委員の記事によれば、いまや日銀は「まるで政府にとって使い勝手のいい現金自動出入機(ATM)のよう」であり、「国際通貨基金の財政健全度指数ランキングで日本は188カ国中ワーストワン」「一部の政治家や官僚、日銀マンたちは事態をかなり悲観している。そして安倍政権と黒田日銀のもとで何の手立ても講じられないことに悶々(もんもん)としている」のだという。
先ごろ亡くなった中曽根康弘元首相は『自省録―歴史法廷の被告として』(新潮社)という著書を残している。一国の元宰相として、自身の政策や決断を反省しつつ、その責任については、とことん引き受けようとする気概が感じられる。
中曽根氏は、現役時代の多数の資料やオフレコメモなどの「証拠資料」を全部残して国会図書館に寄託している。J-CASTニュースはそれを掘り起こし、「『日航ジャンボ機事故』直後の『人事』暗闘 消えた『社長候補』...中曽根文書から読み解く」などを報じている。
周知のように安倍政権では、隠蔽・改竄・廃棄などが相次ぎ、公文書ですらまともに保存されていない。後世の検証作業はなかなか難しいと思われる。
その意味では、軽部さんの本書などは将来、官の資料の不在を埋める形で役立つことになるかもしれない。「未来の審判」の基礎資料としての意義が大きいと言える。歴史法廷に耐えうる、ジャーナリズムの側の貴重な仕事になる。
BOOKウォッチでは関連で何冊か紹介済みだ。『貧乏国ニッポン――ますます転落する国でどう生きるか』(幻冬舎新書)は近年、アベノミクスも含めてどの政権の景気対策も、成果が表れていないと指摘する。『日本銀行「失敗の本質」』(小学館新書)、『日銀バブルが日本を蝕む』(文春新書)はアベノミクスに絡めとられた日銀の姿を描く。『平成経済 衰退の本質』 (岩波新書)、『なぜ日本だけが成長できないのか』(角川新書)、『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)などは平成というスパンで日本の衰退を分析している。
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