WTOと言っても世界貿易機関ではない。もう一つのWTOとは世界トイレ機関という国際NPO団体だ。本書『トイレは世界を救う』(PHP新書)は、WTOの創設者で、「ミスター・トイレ」と呼ばれるシンガポールの社会起業家、ジャック・シムさんがその活動と信念を語った本だ。
シムさんが、WTOという名前をつけたのは、トイレにまつわるタブーを「笑い」、ユーモアで打ち破るためだ。2001年、WTOを創設、世界各国で「ワールド・トイレ・サミット」を開催、サステナブルなトイレのデザイン・製品開発などの事業を通し、トイレ問題の普及啓蒙に努めてきた。
2013年、国連で全会一致でWTOの創設日(11月19日)が「世界トイレの日」に制定されるなど、国際的にその活動は認知されている。
なぜシムさんがトイレにかかわるようになったのか。生い立ちから語っている。1957年当時まだ英国領だったシンガポールに生まれた。屋外で排泄することも当たり前で、公衆衛生も悪く、腸チフスの流行も多かった。
貧しく小さな集落で育った。汲み取り式の共同トイレがあった。大きな緑のハエが飛び回り、トイレに行くのはトラウマになるような恐怖体験だったという。
5歳のときに独立したシンガポール政府がつくった公共団地に引っ越した。親族3家族で暮らしたが、初めて水洗トイレがある生活がうれしかった。
さまざまな会社を起業、借金をして15件もの不動産を抱えていた40歳のとき、転機が訪れた。前シンガポール首相のゴー・チョクトンが「我が社会の成熟度は我々の公共トイレの清潔さと比例していると考えるべきだ」と発言したのを目にし、「これだ」と思った。シンガポール「お手洗い協会」を始めるきっかけとなった。
「トイレについて大勢の人に話し、大勢の人を笑わせ自分も楽しみながら、社会に貢献できる。この社会福祉活動を行うには、まさにもってこいの資質を自分は持ち合わせている、と確信したのだ」
ビジネスをいくつか売却し、残る6つの家からの家賃収入と貯金をもとに、1998年、「お手洗い協会」を始めた。トイレの美化を呼びかける「語り部」としてシンガポールの学校などを行脚した。2001年、WTOに名前を変えたが、職員はシムさんのほかに3人だけ。募金は集めず、低予算で活動しているという。ANA、リクシル、カルティエなどの企業やゲイツ財団、ユニセフなどがパートナーとして協力している。
本書では、世界のトイレ事情についてシムさんが警告を発している。世界の3人に1人(約23億人)はトイレのない生活を送っている(ユニセフ、2015年発表)。未処理の排泄物によって汚染された水が原因で命を落とす5歳未満の子供は毎年52万5000人もいる(WHO、2011年発表)。
WTOの最大のミッションは、タブーであるトイレをステータス・シンボルとして確立することだという。たとえば、人口10億人のインドでは、6億人が満足なトイレがない状況で生活している。また女性へのレイプの実に30%が、屋外で排泄するときに起こっている。
WTOでは、基本的にトイレを作る活動をしていない。「トイレを作ることは比較的容易でも、トイレを作った後に、それを使用し続けてもらう文化を醸成することのほうがはるかに難しいのである」。
日本がらみの話も披露している。シムさんが「お手洗い協会」を始めたころ、世界には15のトイレに関する組織があった。日本には、一般社団法人日本トイレ協会があり、1999年に北九州でトイレ協会の集会があり、シムさんも参加した。WTOの本部を日本に置くかという話になったときに、日本側は辞退した。WTOの本家(世界貿易機関)から批判の声が上がるのではないかと及び腰になり、発起人ではなく、あくまで「参加」という形を取った。しかしながら、日本への評価は高い。
「日本の最大の輸出資源は、日本のトイレ文化だと言いたい」 「トイレをとりまく、社会・文化・トイレに対する水準・期待値――すなわち、次に使う人のことを考える気づかい、清潔にしよう、丁寧にものを扱おう、といった気持ち。こうした、日本人にとって空気のように当たり前だと思われていることこそが輸出すべきものなのだ」
ワールド・トイレ・サミットは2001年シンガポール、2002年ソウル、2003年台北、2004年北京......、2019年サンパウロと毎年、世界各国で開かれてきた。
WTOは小さな組織だが、トイレの持つ重要性を理解する人が増えてきたということだろう。シムさんは社会起業家が「巻き込み力」をつける法則をいくつか書いている。その中で「常識的な考え、ビジネス的な思考によって社会課題を解決すること、募金・チャリティに頼った考え方は避けること」というのが印象に残った。
本書はシムさんが、トイレ事情について語った本だが、社会のさまざまな課題に取り組もうとしている人にも参考になるだろう。
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