川の流域面積や自治体の人口、細菌の増殖する個体数......これら測定値の先頭(最高位)の数には共通の法則がある。常識的な理解なら、細菌の個体数は別にしても、あとの2つではきっとランダムだろう。ところが、それは事実なのだ。
「数学は役に立たない」とよく言われる。2002年からの「ゆとり教育」導入の際には、なかんずく円周率をあげつらって、数学の役に立たなさがクローズアップされた。しかし、物事を正しく理解したり物に働きかけたりするには数学が必要だ。物理を学んだ人には常識だと言える。数学は日常を営むのに役に立たないどころか、不可欠なものなのだ。本書『とてつもない数学』(ダイヤモンド社)には、自然や社会に潜む数学が紹介されている。
著者の永野裕之さんは一風変わった経歴の持ち主だ。物理学を学び、後に指揮者も経験した。永野さんは関心の赴く方へ進むことで徹底している。現在は数学塾を主宰する。高等遊民とはこういう人のことなのだろう。
高校時代に数学オリンピックに出場、東京大理学部地球惑星物理学科卒。 同大学院宇宙科学研究所(現JAXA)を中退し、レストラン経営やウィーン国立音大(指揮科)への短期留学を経て 帰国後は帝国劇場、東京二期会、ベトナム国立交響楽団などで指揮活動に従事した。現在は個別指導塾・永野数学塾(大人の数学塾)の塾長を務める。
冒頭に挙げた最高位の数字には一定の共通点があるという話題に戻そう。共通性があるのには理由があるし、れっきとした名前もある。「ベンフォードの法則」と呼ばれる。物理学者のベンフォードが指摘して有名になった。1938年のことだ。
当てはまるのは、流域面積や人口、細菌の個体数だけでなく、新聞記事に出てくる数字や住所、死亡率、原価データなどの先頭の数字にも当てはまる。原価データでこの法則に従わない操作をして不正が見つかったケースもあるそうだ。先頭の数字は1から9までになるわけだが、それが大きくなるにしたがって頻度が低くなる。しかもそれは顕著だ。1が30%程度と極めて高い。2は18%、1から3まで合わせると60%を超える。最も低い9は4.6%に過ぎない。
では、何故なのか。本書によると、この法則が成立するのには条件がある。指数関数的に分布する事象の数値に限られることだ。
流域面積(分水嶺で囲まれた河川に水が流れ込む区域の面積)は川の長さの指数関数となる。人口もマルサスの『人口論』で示されたように等比数列的に分布している。いずれも指数関数的分布だ。
細菌の増殖はもっと分かりやすい。増殖は元の細菌が分裂して倍々になっていく。ウイルスは、健康な細胞にもぐり込み、遺伝子とタンパクをそれぞれ増殖させた上で、1つずつに組み立てて増えていく。細菌、ウイルスいずれにしても増加は一定時間ごとに指数関数的となる。ウイルスが1世代進む(指数が増える)ごとに、ウイルス数が等比数列的に拡大するわけだ。この事態をウイルス数のカウント・測定する視点から見て、永野さんは説明する。
(例えば最初のウイルスが100個、一定時間=1年間に2倍になるとすると)100個から200個に増えるまで1年間かかる。この間、個数の最初の数字は1のままである。これに対し、例えば個数の最初の数字が5である期間(500個から600個に増える期間)は約3カ月しかない。同じように1000個から2000個まで(評者註:1000個増えているが)は1年間、......5000個から6000個まで(評者註:同じ1000個の増加だが)はやはり3カ月である。
このことから、ウイルスの数と計測結果の最初の数との関係が見えてくる。最初の数字が大きい時ほど時間当たりの変化が大きくなるというわけだ。
本書では触れられないが、この法則は新型コロナの理論的な感染者拡大にも当てはまる。その場合、実効再生産数(1人の患者が感染させる人数。日本では2.5とされた)=Rt、一定時間とは陽性患者がウイルスを外部に放出する単位期間数(世代数)=xと新規感染者数との関係は次の通りだ。
新規感染者数= Rt^x=実効再生産数の単位期間乗
となって、指数関数になる。非常事態宣言が発表された際に、懸念されたオーバーシュート(急激な拡大)は指数関数的な増加のことだったのだ。
ちょっと逸れるが、「実効再生産数」は感染拡大のカギとなる指標だ。これは、ウイルスが最も良い感染条件での1人の患者が感染させる人数に当たる「基本再生産数」に対して、現実社会での感染者拡大を推測した数値を言う。算定は難しいとされる。また、陽性者60%で集団免疫が獲得されると言われるのは、基本再生産数を基にした数値で、人の接触にムラのある実効再生産数で算出した場合には、かなり低いパーセンテージで獲得されるそうだ。
ベンフォードの法則が顔を出すケースは、流域面積や人口、細菌だけではない。
ベンフォードの法則のほか本書では
・無限回の計算で求める円周率 ・フェルミによる推計学 ・ゲーデル不完全性定理 ・数学に現れる美と芸術性
など実に多くの数学にまつわる不思議な現象が紹介・解説されている。
芸術家も目指した永野さんは本書の中で、美の要素について「①対称性②合理性③意外性④簡潔さ」の4点を挙げている。個別具体的な美の体験は、この4点から説明できる――と本書を読んで思ったが、そのあたりはことさらに意外だとは感じなかった。しかし、繰り返されない(つまり対称性がない)のに美を感じる「ペンローズ・タイル」や、逆に対称性が保たれているのに美しくない「15種類目の凸五角形」も併記。読者に謎を残している。
永野さんには『中学生からの数学「超」入門』 (ちくま新書)、『根っからの文系のためのシンプル数学発想術』( 技術評論社)、『東大教授の父が教えてくれた頭がよくなる勉強法』(PHP文庫)など著書多数。
数学の意外な一面の紹介といった趣向の本は、本欄でも数多く取り上げた。竹内薫さんや小島寛之さんらも類書を出している。ゲーデルの不完全性定理など避けては通れないテーマでそれらの本はかぶっているが、それ以外では著者の関心の違いが際立つ。読み比べするのも、ちょっと面白いかもしれない。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?