半世紀前、社会の在り方に若者が声を上げて抗議した時代。エヴァリスト・ガロアにあこがれた若者もいたという。フランス7月革命の闘士で、恋人をめぐる決闘に散った20歳の天才数学者......。
決闘の日の朝、「ぼくには時間がない」とノートの余白に走り書きながら書き上げた論文が、その後の数学を変えた。いわゆる「ガロア理論」だった。本書『完全版 天才ガロアの発想力』(技術評論社)は、その理論を素人にも理解できるようにした解説書だ。
著者の小島寛之さんは帝京大教授。東京大理学部数学科を卒業、同大学院経済研究科へ転身した経済学博士だ。近代の経済学は数学の上に構築されているため、経済現象を数学的に分かりやすく解説する著書にお世話になった人は多いのではなかろうか。
一方で、リーマン予想やゲーデルの不完全性定理など、純粋な数学をテーマにした一般向け解説書も多数ある。本書はその1つだ。2010年に同社から出版したものに、当時は「平易に書くことができなかった」として見送られた完全証明を追加、改訂した。
完全版は、完全証明にいたる複雑なプロセスを解説した4冊から、最も分かりやすい部分を「いいとこ取り」してガロア理論の証明を追ったそうだ。小島さん自身のブログで、そう言っている。
ガロアが証明したのは、5次以上の方程式には一般解がない(正確には、5次以上の方程式には解けないものがある)、というものだ。この証明はそれ自体有意義なものだが、決定的に重要だったのは、結論を導くために作られた理論だった。いわゆる群論である。
群論にチャレンジした人なら経験されただろうが、他の数学のようにゴールがあって数式を丹念に追っていけば理解できるようなものとは大きく異なる。言ってみれば、人の思考や行為そのものといった操作を対象にした数学なのだ。
構造主義人類学の創始者レヴィ=ストロースは、未開社会(豪・カリエラ族)の婚姻制度に高度な合理性があることを証明(『親族の基本構造』青弓社 福井和美訳)。未開社会は非合理だとする西欧社会の常識を覆した。証明に用いられたのが群論(レヴィ=ストロースは数学的証明作業を数学者アンドレ・ヴェイユに依頼)だった。
対象が人の思考や行為だと言っても、本書はそうした数学以外の実例はあまり紹介しない。数学に限って例えば、3次方程式の解の関係、正三角形の頂点の対称性、3本のあみだくじの入り口と出口の関係。さらに、2次方程式と2等辺三角形、4次方程式と正方形の関係......。いずれも別物に見えるが、実は同じ構造を持っていることが群論で明らかになる、と解説する。それだけでも十分に突飛な印象だろう。
ガロア理論を簡単にまとめることはもとより不可能だ。数式を追うだけでは不十分なうえ、複数登場する一覧表にも精通しなければならないからだ。しかしここでは、同理論を理解するための専門用語は一部まとめておきたい。高校数学までとは全く異なる数学であるため、基本となる用語を押さえておくことが入門の第1歩になる。
面食らうのは「体」、「自己同型」、「群」だろう。
まず「体」。これは、整数、整数+有理数、有理数+ルート数、有理数+複素数に定義された数の地平だ。方程式を解くためには、加減乗除とルート数を開く操作に限られるため、それらの操作が保証されている。つまり操作によって取り得る値の範囲も限られる。本書では紹介されていないが、英語では「field」となる。
次に出てくるのが「自己同型」。ある体(Kとする)の数を自らの体Kの数(別でも同じでも構わない)に移動させる操作(演算)のこと。ただしそのような操作のうち、すべての元が1対1対応し、ここでは方程式を解くことがテーマなので、移動前に四則計算が成立していれば移動後も四則計算が成立していること。ベクトル空間や複素空間では、加減乗除の操作は平面上での共役関係の平行移動(線対称)と回転移動(点対称)に当たる。このような操作を体Kの自己同型という。
「群」。操作の組み合わせを指す。正三角形の対称移動を例にとると、操作は線対称軸(3本ある)についての裏返し、60度、120度の回転、これに動かさない操作を含めて計6種類の操作がある。それらのうちの操作2つを組み合わせると結果は36種類になる。
以上の用語に、操作結果の一覧表(乗積票)を加えたものが出発点になる。続いて、操作結果の分析に入っていき、方程式が解けるための条件をあぶりだして、5次以上の方程式には解けないものがあることを導くというのが、本書の解説するガロア理論の大筋だ。
文科系学部に進んで数学の知識は高校どまりの評者だが、繰り返し読むことで何とか筋を追うことはできた。その中で、「正数負数の掛け算の群」と「奇数偶数の足し算の群」が同じ構造、つまり足し算と掛け算がある側面から見た場合、同じであることなど、想像だにしなかった驚きにしばしば出合った。
先に、群論をわれわれの思考や行為を扱う数学だとした。それは、思考というものを1段抽象化すれば、そのほとんどが加減乗除の操作に当てはまるからだ。そのことが、物理学や情報理論など幅広い分野で群論が使われていることの理由であるに違いない。
音楽CDが売れるとサバの漁獲量が増える――という相関関係がある(ヤフー ビッグデータレポート )。それも強い相関なのだそうだ。サバの漁獲量やCDの売り上げを4次以下の関数で表すことは不可能だろうが、相関関係があるものには、同型の群が隠れているのではないか。評者はそんな思いに駆られる次第である。関心のある向きには薦めたい1冊だ。
小島さんには『暗号通貨の経済学』(講談社選書メチエ)、『世界は素数でできている』 (角川新書)、『数学的思考の技術 』(ベスト新書)など多数の著書がある。
BOOKウォッチでは関連で『数学する身体』(新潮文庫)、『クロード・シャノン 情報時代を発明した男』(筑摩書房)、『はじめまして数学 リメイク』(東海大学出版部)、『ニューヨークタイムズの数学』(WAVE出版)、『北欧式 眠くならない数学の本』(三省堂)、『小数と対数の発見』(日本評論社)なども紹介している。
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