『数学する身体』(新潮文庫)。タイトルに違和感を覚えた。「数学をする......」ならば分かるのだが、数学するという自動詞はしっくりこない。そして何よりも数学をする主体は精神ではないのか。読み進めていく中で、森田さんはそうした疑問を解きほぐしていく。
著者の森田さんは在野の数学研究者だ。東京大文科2類に入学。物理学出身の現スマートニュース会長・鈴木健さんとの交友で数学と物理に関心を持ち、理学部に学士入学した。変わった経歴の持ち主である。卒業後は、どこにも属さず、研究活動を続けている。
本書は2015年に単行本として出版され、小林秀雄賞を受賞したものを文庫化した。同賞を主催する新潮文芸振興会が「自由な精神と柔軟な知性に基づいて新しい世界像を呈示した作品(評論・エッセイ)一篇に授与する」と定めるように、本書は数学書ではない。数学をする精神とは何かを探るエッセイだ。
数学をするのはもちろん精神だ。自然界には厳密な意味での数や直線、円もない。一応自然科学に分類されるものの対象は自然ではなく架空の人造物なのだ。身体や環境とは厳密には無関係だ。これが一般の受け止めだろう。しかし、森田さんは数学の歴史を概観しながら、そうではないという。
数学の歴史はざっとこのようになる。最初は「数える」という行為。「自然数3までの数は見ただけで認識できるが、4あたりを境にして数える必要が出てくる」。この認識能力は脳の原初的な機能に依存している。左脳の頭頂間溝が司るとされる。
以降、数える行為は、大きな数を処理する必要から指などの体を使う(精密な計算には言語野を使う)ように発展。その後、ギリシアでの客観性確保のための論証(社会化)とイスラムで高度化した代数が合流して、数量関係・命題の一般式化を獲得する(ルネサンス以降)。さらに命題の数値化(ヒルベルト、ゲーデル)を経て、ついに、「数える行為は人間の体を離れた」。チューリングによるコンピュータの発明だ。そこでは、さまざまな命題がさまざまな計算をする。森田さんは、「数学が数学するようになった」と言う。
「だが、チューリングは計算から出発し、(コンピュータを進歩させて)人間知性の神秘へと迫っていこうとした」。そこに身体が再登場する。
どう進歩させるのか。答えは学習機能を持たせることだった。しかし、その後のエイドリアン・トンプソンによる、コンピュータに学習機能を持たせる人工進化の研究で不思議なことが起こった。
目標は異なる音を聞き分けるチップの制作。チップは4000世代目で完成した。不可思議なことはその回路にあった。最初に用意された論理ブロック(「AならばB」という命令)は必要と考えられた100種。完成したチップではわずか37しか使用されず、このうち5つは他の論理ブロックとつながっていなかった。この孤立したブロックは、機能的にはどんな働きもしていないはずだ。機能しないブロックは排除するのが回路設計では常識なのだ。ところが、5つのどのブロックを取り除いても、チップは動かなかった。
人工進化の実験は通常、コンピュータ内に生物を設定する。その生物がランダムな解の候補を大量に生成して、その中から比較的優秀な候補を選別。これを基に次世代の解の候補を生成する。コンピュータ内だけで行う「試行して、評価し、次世代へ残す」という学習のシステムだ。ただ、トンプソンの場合はそのつど、実物のチップを設計させるところが異なっていた。
トンプソンはその後の研究で、このチップの秘密を突き止める。回路は、5つの孤立ブロックからの電磁的な漏出や磁束漏れを利用していたのだった。1997年のことだ。
森田さんはトンプソンのチップを「論理はその外部(身体や自然)を利用していた」とした上で、「脳は人が経験する世界の一つの原因であるとともに、人がさまざまに経験してきたこと(外部世界への適応)の帰結でもある」と結論に導く。本書タイトルの「数学する身体」は「数学する数学」へのアンチテーゼだったのだ。
ここまでで、本書は終わってもいい。しかし、評論は続く。数学者・岡潔が数学界の難問とされていた多変数複素解析関数の解明にどうやって至ったかを、精神と身体との関連から考察している。
岡の数学は非常に難解なことで知られる。率直な人で、嘘やはったりがないことは想像がつくのだけれど、数学の解を求めるのに、情緒や仏教の教えが持ち出されると、門外漢の理解を超えてしまう。情緒は岡の思想のキーワードなのだ。
岡は「小川のせせらぎを構成する水滴の流線や速度は、重力やその他の自然法則によって決定される。しかし、人間が計算しようと思えば、非線形の偏微分方程式を解かなければならず、現実的な時間内で解くのは難しい。にもかかわらず小川は流れている」と晩年、講義の中で発言した。
森田さんはこのことを「自然は人間やコンピュータによる計算とは違う方法で、遥かに効率的に同じ結果を算出することがある......自然界には膨大な計算の可能性が潜在している」として、「そもそも計算という行為も、道具という脳にとっては外部である自然現象を部分的に切り出すことで成立している」と解説。この自然と交渉を持つものこそが身体なのだ、と分析している。
本書は、数学は頭脳だけでするものだと考えている人には刺激的だろうし、岡潔の情緒という概念を理解するのにも有益だ。ここでは触れなかったが、ものの見方や考え方については、本居宣長や小林秀雄、フッサール、ベルクソンと通じる。比較しながらの読書を薦めたい。
森田さんには『数学の贈り物』(ミシマ社)がある。
本欄では関連で『クロード・シャノン 情報時代を発明した男』(筑摩書房)、『はじめまして数学 リメイク』(東海大学出版部)も紹介している。
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