2020年1月30日に亡くなった作家、藤田宜永さんの『奈緒と私の楽園』が文春文庫になった。妻でやはり直木賞作家の小池真理子さんが先日、朝日新聞の連載エッセイに藤田さんより先に同賞を受賞した際の困惑を綴っていた。それで藤田さんを思い出し、読んでみたら、「禁断の純愛小説」というキャッチ通り、思いがけない収穫のある作品だった。
音楽プロデューサーの塩原達也はバツイチ独身の50歳。良き友人となった前妻と、セックスを楽しむ愛人がいたが、「母親の行方を探している」という29歳の奈緒が突然家を訪ねてくる。
「婦人手帖」という雑誌に「私の秘密」というタイトルで載った手記の切り抜きが、父の遺品から見つかったという。25年前のもの。仮名で書かれていたが、奈緒は自分の母親が書いたという。画家のモデルになり深い仲になったと告白していた。母はその後、奈緒が4歳の時に失踪し、行方不明に。出版社に聞いて、手記を書いた塩原を訪ねてきたという。
塩原には書いた記憶があったが、編集部に頼まれたアルバイト原稿だった。まったくのでっち上げで書いた創作だったので、奈緒の母である訳がなかった。しかし、若い奈緒と一緒の時間を過ごす気分は悪くなく、話を聞くことにした。
手記で画家を登場させたのは、塩原の父親が画家だったからだ。設定にも父親の行きつけの喫茶店などを利用した。二人で、その喫茶店を訪ねると、果たして奈緒の母に似た女性が画家とよく出入りしていたという。
嘘が現実をなぞっていたのか、このあたりのストーリー展開が巧妙だ。人妻との逢瀬を楽しむ塩原だったが、しだいに奈緒に惹かれていく。探索の成果はあがり、しだいに奈緒の母の所在に近づいていく。
関係を迫る塩原に対し、彼女の望む性愛の形は奇妙なものだったが、塩原は次第に甘美な毒にとらわれてゆく。それは一種の幼児への退行だった。
藤田さんは1950年福井市生まれ。母親からの干渉を嫌い、早稲田大学高等学院に進学、東京に出てきた。早稲田大学第一文学部を中退、渡仏する。エールフランスに勤めるが、日本に帰国。他にあてもないので、小説を書いたというパリ帰りの青年だった。
母親との関係不全について自らエッセイに書いているが、福井→東京→パリという「逃避行」は、母親からの呪縛を逃れるためではなかっただろうか。
本書で、塩原が幼児に退行したかのような振る舞いをするのは、母親からの愛の欠落の埋め合わせをするかのようである。作中、彼の母親はそのように造形されている。
解説で、村山由佳氏は、「小説の登場人物を、そのまま書き手に重ねるのはナンセンスだ」とした上で、藤田作品には、母親との関係に不全感を抱えた男性主人公が多く登場する、と指摘している。
それだけ何度もこのテーマと向き合おうとしたのは、「とうに棄ててきたはずの母親そのものが、書いて書いて書き尽くすことでしか鎮めることのかなわない荒ぶる<神>であったのだろうと思う」と書いている。
小池さんは7月18日掲載の朝日新聞エッセイに、「不可解な小説の力を実感」というタイトルで書いている。まだ、藤田さんは病気の兆候もなく元気だったが、小池さんは夫をがんで亡くしたばかりの女性を主人公にした作品を2014年に連載したという。その後、小説で書いたことが現実に起こったというのだ。
本書の構造と驚くほど似ているではないか。でっち上げの手記が現実をなぞっていたのだから。「言霊」とはよく言ったものだ。
仲のよかった作家夫婦には、目に見えない力が働いていたのかも知れないと思った。
本書は2017年3月に文藝春秋から刊行された。
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