「痛みを直視して人間を描き、強く心に突き刺さる圧倒的引力の傑作!」――。 一木けいさんの『全部ゆるせたらいいのに』(新潮社)を読んで、胸をえぐられる思いがした。「傑作」にもいろいろあるが、読者の心に爪痕を残すという点で本書はそう呼べるのではないだろうか。
テーマは家族。タイトルの「ゆるせたらいいのに」とは、アルコール依存症の父、アルコール依存症のきらいのある夫のことを、である。父、母、娘・千映の物語と、時を経て夫・宇太郎、妻・千映、娘・恵の物語が描かれている。
本書は「1 愛に絶望してはいない」「2 愛から生まれたこの子が愛しい」「3 愛で選んできたはずだった」「4 愛で放す」からなる。1と4は千映、2は母、3は父の視点から語られる。千映だけでなく母、父の視点からも語られることで、互いに家族を思う気持ちはあったにもかかわらず、最後までわかり合えなかった過去が浮き彫りになる。読んでいてやりきれない思いがした。ただ、本書はそれだけで終わらない。アルコールに振り回される歴史の繰り返しに閉塞感が漂うなか、ところどころ家族愛がにじみ出ているのだ。
三十歳の千映は、育児ストレスにより追い詰められていた。夫・宇太郎は、仕事の責任が重くなるにつれ酒量が増え、何度言っても連絡もせず呑みに行き、泥酔して深夜に帰宅。宇太郎の姿にアルコール依存症の父の姿が重なる。「このままだと宇太郎は父と同じようになってしまい、恵がわたしと同じ道を歩むことになるのでは」と不安で叫び出しそうになる。一方、千映には宇太郎に対する諦めがあった。
「どうせ死ぬまでこのままだろうなと思う。諦めるんじゃなくて、ゆるせたらいいのに。ゆるして信じてやさしくできたらいいのに。でもいまのわたしにはそんなこと、できそうもない。ゆるすと諦めるって、どう違うんだろう」
千映は普通とは言えない家庭環境で育った。父親はいつも酒を呑んでいた。平日は泥酔して帰宅、休日は朝から泥酔。十歳の千映に一升瓶の焼酎を買ってこいと命じることもあった。些細なことで怒り、暴力をふるった。そして、なにもかも忘れる。昨日と今日で言うことが違う。
「諦めて生きる癖がついた。明日何が起きるか予測がつかない、それがわたしの日常だった」
千映の視点からは、父は救いようのない存在として描かれている。しかし、続いて母、父の視点に移ると、別の父親像、家族関係が見えてくる。母はなぜ父と結婚したのか。母の目に映る当時の父は、こんな人物だった。
「声だけでなく、彼には横顔にも不思議な魅力があった。ひとりを好む気持と人恋しい気持とが混在していた。彼のような男性に会ったのははじめてで、二度、三度と顔を合わせる度にどんどん惹かれていった」
「人をはじき飛ばすような険しさと、誰かにそばにいてほしいと願う切実な飢え。彼は頭はいいのにその葛藤を乗り越える術を知らず、だから酒や本の中に迷い込むのだろうか」
「アルコール依存症」と一言で括ると、父の本質を見失ってしまう。そこで母の視点からアルコール依存症になる前の父の姿が語られることで、父に対する見方に奥行きが出てくる。母は父について「理知的で穏やかな人」であり「繊細なところがあるから、組織の中で戦うのはきっと難しい」と案じたが、千映が生まれ、父はアルバイトを辞め企業に就職した。そこから父は心身のバランスを崩していく。
千映が高校二年生のころの、父が仕事から帰宅した際の様子が描かれている。このころすでに千映は父を疎ましく思い、あからさまに態度で示していた。父はこれも「成長の証」と思う反面、内心つらかった。
「親だって助けてほしいときがある。重荷を背負いきれず誰にも本音を話せず爆発してしまいそうな夜、娘にまで要らない人間のように扱われたら」
「幾つもの選択肢から、三人の望みが最大値になるべく近づくものを選んできたつもりだった。なのに俺はいったい、ここで何をしているんだろう」
母が案じた通り、父は仕事に疲弊し「呑まなければ狂う死んでしまう。でも呑んだらやられる。このままじゃ全部だめになる」と、葛藤を繰り返しながらアルコールに依存していく。
「文武両道、地域の大人や教師からの信頼も厚かった父は、県内一の高校に進み、優秀な大学に進み、結婚して親になり、出世し、アルコール依存症になり、頭も身体も壊して、無職になって離婚して、死んだ」――。これが父の生涯だった。
千映は恵を連れて、父に三回会いに行ったことがある。はじめて孫を見た父は、歯の抜けた顔で、笑い泣きしていた。父が亡くなったいま、千映は「制御できない強さで、肚の底から悲しみが突き上げてきた」のを感じた。
「どうすればわたしたちはもっと互いを思いやり、信じ合って生きていくことができたのだろう」
全体を通して、誰一人としてはじめから家族を壊したいなどと思ってはいない。だからこそ悔やまれるが、千映のこれからに望みを託したい。本書はつらいのに読んでしまう、読者を離さない「引力」がある。一度読んだら忘れられない作品になりそうだ。
著者の一木けいさんは、1979年福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年「西国疾走少女」で第15回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。18年、受賞作を収録した『1ミリの後悔もない、はずがない』(新潮社)でデビュー。BOOKウォッチでは、『愛を知らない』(ポプラ社)を紹介済み。
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