コラムの名に値しないコラムが氾濫する中で、小田島隆さんのコラムは昔から目を引いていた。80年代からコンピューター雑誌などに載った小田島さんの辛口のコラムをいつも愛読してきた。メーカーだろうと権力だろうと遠慮なく問題の本質に切り込み、きちんとオチをつける。そしてそこはかとないユーモアと余韻がただよう。そんなコラムだ。最初のコラム集のタイトルが『我が心はICにあらず』(1988年)とネーミングもうまい。その小田島さんの新著が『上を向いてアルコール』(ミシマ社)だ。副題のとおり、小田島さんが以前の「アル中」体験を告白した本だ。20代の終わりから30代にかけて「アル中」だったという衝撃の内容だが、そこはタイトルとおり、小田島さん流のシャレがきいている。
朝からジンの水割りを少しずつ飲む生活を続けていたある日、医者から「四〇で酒乱、五〇で人格崩壊、六〇で死にますよ」と宣告され、初めてアルコール依存症=アル中であることに気がつき、以後20年酒を断っているという。
朝から飲み始めて吐くまでずっと飲み、点滴が必要になるまで飲む連続飲酒発作が週に1回やってくるようになったという。何も食べることができず、水も飲めない日があり、点滴を打ってはまた飲むという凄絶な当時の体験を冷静な眼でふりかえっている。
酒をやめてからの生活は、人生に4つの部屋があるとして、そのうち2つの部屋で暮らしているような「独特の寂しさみたいなものがあります」と比喩する。
オールド・メディア業界に長くいた評者の周囲には、紛れもない「アル中」が少なからずいた。その中の一人と夜中に飲み屋の前でばったり会った時の死相ただよう表情が忘れられない。翌日訃報が届いた。彼らと我々との境界はどこにあるのかと考える。本書によると、「アル中」予備軍は全国に300万人いるという。しかし、著者は医学的な警告といった手法ではなく、「アル中は考え方の病気」という立場から、淡々と断酒前と後の生活をつづるばかりだ。
実際、本書に登場する医師の話では、「アル中」は8~9割直らないそうだ。小田島さんはレアケースとして脱出したわけだが、本書にその秘訣が書いているわけでもない。壮絶で滑稽な断酒前と、その後の静謐な日々との対比が面白い。
10年前に同じテーマで執筆のオファーがあったが、思い出したくなくて書けなかったと、最後に記している。本文の間にコラムのページがいくつか挿入されている。コラムニスト小田島隆の面目躍如だ。酒の上での失敗について書いた一文が秀逸。「失敗は、成功の母のような顔をしているが、たいていの場合、別の失敗の愛人であり、さらに別の失敗の母親になるものだからだ」。酒飲みは心して、その意味をかみしめたい。
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